■節子への挽歌561:ファッション感覚がずれていた節子
だめ節子シリーズその3です。
節子のファッションセンスはいささかずれていました。
私は、基本的にシンプルなスタイルとわかりやすい色が好きですが、節子はちょっと昭和的なファッションが好きでした。
そのくせ、オップアートのような目がチカチカするようなものも好きでした。
最先端のブランドファッションには往々にしてその種のものもありますが、
私の稼ぎの関係で節子はブランド物などは縁がありませんでしたので、ただ単にちょっと風変わりなファッションが好みだっただけなのです。
節子がいなくなった後、クローゼットなどを見たら、まだ袖を通していないものも含めて、節子にとっては「ちょっとおしゃれな」、しかし私にとっては「ちょっと奇妙な」衣服がみつかりました。
たぶん私が嫌いなのを知って、私と一緒の時には着なかったのでしょう。
そのため私には見覚えもないものもありました。
ファッションセンスは個性的なものですから、どれが「おしゃれ」で、どれが「奇妙」かは一概に言えません。
それに私自身、おしゃれなどには一切興味がありません。
ですから、節子のファッション音痴は私の偏見だと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。
わが家では節子の趣味の「悪さ」は合意された常識なのです。
今でもテレビで時々、昭和的な人が出てくると、誰からともなく節子みたいな服だという声が出てきます。
たしかに、そこに節子を感ずることもあります。
女性にとっては、おしゃれはとても大切なのでしょうが、私には全く理解できない世界です。
節子が新しい服を買ってきて私に見せても、またそんなおかしな服を買ってきたのかと、私はけちをつけることが多かったような気がします。
今となってはもはや後悔先に立たずです。
私がもっと誠意を持って応えていたら、節子のファッション感覚はもう少し良くなっていたのかもしれません。
とまあ、ここまで書いてきて、気がついたのですが、私のほうが先に逝って、節子が私の思い出を書いたら、きっと「ファッション感覚ゼロの修」と書くでしょうね。
修からファッションのことをとやかく言われたくないといわれるかもしれません。
節子からはいつも、もう少し身だしなみをきちんとしたらといわれ続けていました。
歳が歳なのだからもう少し良い物を身につけなさいというのが節子の口癖でした。
でも着る物にお金を使うくらいなら、稼ぐお金を減らしたいと思うのが私だったのです。
結局、ファッション感覚がずれていたのは私なのかもしれません。
「だめ節子」を書くのは難しいです。
いつも自分に戻ってきてしまいます。
まあ、夫婦なんていうのはそんなものなのでしょうか。
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