■節子への挽歌576:幸福と不幸はいつも隣合わせ
節子
3年前の今日は再開したオープンサロンの日でした。
元気を回復してきた節子も参加してくれて、久しぶりににぎやかなサロンになりました。
あの頃は、1年先のことなど思いもつかず、節子は元気に回復するとばかり思っていました。
そのためか、私には「大きな油断」があったのです。
「幸福の真っ只中」に「不幸のはじまり」があることに、私たちはなかなか気づきません。
それは、自分の幸福に目が行き過ぎて、まわりにある「不幸」に気づかなくなっていることと同じことなのかもしれません。
私たちは、それなりにまわりにも気遣っていたつもりですが、まだまだ不足していたのでしょう。
節子がいなくなり、一人になって、心細さが高まるにつれて、まわりのことはよく見えてきましたが、3年前にはまだ私にはあまり見えていなかったのかもしれません。
3年前のサロンのときの写真は節子が撮ったものです。
節子の目線を少し感じながら、あの時の節子の心情はどんなものだったのか、それさえももしかしたら私は見落としていたかもしれないと不安になります。
元気になりだした節子の前で、私は現実を「見たいようにしか見ていなかった」のかもしれません。
節子の撮った、この写真を見ていると、とても落ち込んでしまいます。
その一方で、元気だった節子の笑顔もはっきりと思い出します。
ところで、「幸福の真っ只中」に「不幸のはじまり」があるのであれば、「不幸の真っ只中」には「幸福のはじまり」があるのかもしれません。
いまの私は「不幸の真っ只中」にいるわけではありませんが、幸福と不幸はいつも隣合わせなのかもしれません。
宮沢賢治は「みんなが幸福にならないと自分も幸福にならない」といいました。
それは言い換えれば、「自分が幸福にならないとみんなも幸福にならない」ということです。
私はそう思って生きてきていましたが、最近どうも私のまわりに「自分の不幸」をばら撒いているのではないかという気がしないでもありません。
愛する節子を失った「不幸さ」を嘆きたくなる自分が、いつもどこかにいます。
その一方で、これだけ嘆き続けられるほどの愛を得ていることの「幸せさ」も感じます。
「不幸」を嘆くことは、まさに「幸せ」を発していることなのかもしれません。
今の私は、そうした「幸せと不幸せ」の両方を実感しています。
節子が参加していたオープンサロンは、もう二度と開かれることはありません。
節子がいなくなってから、何回かオープンサロンを試みてみましたが、どうしても「気」が起こってこないのです。
今日は、湯島で節子がいない集りを開きます。
3年前とはかなり違う趣きのサロンなのですが、節子も同行しているつもりで会に臨もうと思います。
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