■節子への挽歌574:フラメンコ
節子
昨夜、テレビの世界遺産の番組でアンダルシアとフラメンコの話を見ました。
スペインは、ついに行くことのできなかった憧れの地のひとつです。
スペインほどさまざまな血が入り混じっているところはないのではないかと思っていたのですが、その番組も「血(知)の混じりあい」がテーマでした。
スペインには15年程前に行く計画を立てたのですが、私の両親の関係で直前に行けなくなってしまいました。
節子が望んでいて実現できなかったことのひとつがスペイン旅行でした。
節子が元気になったら最初に行こうと決めていました。
私と節子と違うことのひとつが、踊りに対する反応でした。
節子は音楽や自然に合わせて自然と身体が動きましたが、私はどうも身体が動かないのです。
簡単にいえば踊れないのです。
節子から一緒にダンスでもできれば楽しいのに、と何回かいわれましたが、私はダンスのようなものが全くだめなのです。
踊れないだけではありません。
踊りを見るのも全く興味がわかないのです。
ですから盆踊りもだめなのです、
節子は盆踊りなどが大好きでした。
踊りどころか私は太極拳も苦手です。
近くの手賀沼公園に散歩に行っていたころ、日曜日の朝、太極拳をやっている人たちがいました。
早速、節子はいっしょにやろうといい、私も誘ったのですが、私は1回目でこりてしまいました。
身体が動かないのです。
フラメンコを見ていて、そんなことを思い出しました。
そういえば、節子とフラメンコの発表会を見に行ったこともありました。
私の知人がフラメンコをやっていて、その発表会の招待状が送られてきたのです。
私は乗り気ではありませんでしたが、節子が行こうと言い出して、見に行きました。
そうした音楽芸術の場に誘うのはいつも節子でした。
身体は動きませんが、音には心を揺さぶられます。
私の心と身体は連動していないのかもしれません。
そう思うことが時々あります。
番組で流されたモロッコのアル・アンダルス音楽の演奏に感激しました。
望郷の音楽だそうです。それが見えて気がします。
番組の後半に、フラメンコのプロの家族パーティが延々と流されていました。
歌いあい、踊りあう家族。家族の絆。世代を超えた継承。
見ていて涙が出てきました。
最後にピアノフラメンコの演奏もありました。
身体は動きませんでしたが、心には深く響きました。
なぜ節子とスペインに行かなかったのだろうか。
悔やまれてしかたありません。
みなさんも、できる時に行動しておいてください。
節子も、いつもそう言っていたのですが。
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