■節子への挽歌569:私の環境世界に意味を与えていた節子
節子
風邪で少しダウンしていました。
いつものように、こじらせてしまい、3日ほど自宅で休養をとっていました。
考えるでもなく、考えないでもなく、ぼんやりとしている時間が多かったのです。
そして、ひとつ気づいたことがあります。
人生は、もともと退屈で平板なものなのではないのか。
節子がいなくなってから、私にとっての世界は一変しました。
日の出をみてもわくわくしないのです。
夕陽を見ても感傷的にならないのです。
テレビで景色の良い風景を見ても行きたいとも思いませんし、
上野で阿修羅展があると知っても、行こうと思わないのです。
日々の生活もなぜか平板です。
昨日と同じ今日があり、今日と同じ明日がある。
そこには、なんの物語もなく、ただ時が平板に過ぎていく。
節子がいた頃は、全く違いました。
日の出には元気をもらい、夕陽からはドラマを感じました。
テレビで見た場所には節子と一緒に行きたくなり、
退屈な美術展でも節子に誘われれば、あるいは節子となら行く気になる。
今日は昨日よりも充実していて、明日にはわくわくする夢を感じました。
私の周りの世界は、節子がいようといまいと変わりません。
しかし、なぜこんなにも変わってしまったのか。
そこで気づいたのです。
世界は、もともと白いキャンバスであり、意味のない舞台なのだ。
そこに絵を描き、物語を育て、意味を与えるのは、愛なのではないか。
それがこの3日間の風邪の中での放浪の結論です。
なんだか夢多き中学生の妄想のような話ですね。
しかし、そう考えると、いろいろなことが私には理解できます。
私自身と節子と世界が、三位一体となって、物語を創っていたわけです。
何の変哲のない景色が、節子との関係の中で、意味のある舞台や素材になってくれわけです。
たとえ美味しくない料理でも、美味しくないねと言い合うことで、物語を豊かにしてくれます。
節子との関係において、世界は生き生きとしてくるわけです。
節子がいなければ、世界は全く無意味な存在なのです。
私はなぜか、いつのころからか記憶はないのですが、私の人生の意味を与えてくれているのは節子だと思うようになっていました。
友人知人にも、そういう話をしていましたし、節子にももちろんそう話していました。
その意味がようやくわかったのです。
私にとっての世界にいのちを与えてくれていた節子がいなくなった途端に、世界は再び灰色になってしまい、意味が失われてしまいました。
そのために最近どうも時間が平板で、変化が感じられないのかもしれません。
最近、少しずつ「愛」の意味がわかってきたような気がします。
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