■節子への挽歌554:「私らしい生き方」を支えていた「節子の存在」
佐藤さんは、何でもポジティブに考えるので元気をもらえます。
昨日、久しぶりにお会いした人からそういわれました。
その言葉を聞いて、節子との別れだけはどうしてもポジティブに受け入れられない自分に、改めて気づきました。
以前ほど、後ろ向きに考えることはなくなりましたが、まだ前向きに考えることができません。
節子の不在を思い出すと、今でもとたんに気が沈んでしまうのです。
その時の私の周辺には、きっと重苦しい雰囲気が漂っているのでしょうね。
そのせいか、最近は私に会いに来る人も少なくなったような気もします。
3日前に、記憶は脳と環境の間にあるということを書きましたが、
節子の不在への思いを実感するのは、会う人の言動に触発されることが多いのです。
しかし、不思議なのですが、その人が節子の知り合いであるかどうかとか、会話や行動が節子につながっているかどうかとか、そういうこととは全く無関係なのです。
ある状況が、突然、節子の不在を実感させるのです。
そうなると、ブラックホールに引き込まれたようになってしまいます。
普段は、実のところ、不在を実感しているわけではなく、むしろ節子と一緒にいるような気がしているのです。
節子との別れは、私にたくさんのことを気づかせてくれました。
そう考えるのは、ポジティブ発想なのかもしれません。
しかし、その一方で、節子との別れによって、大きなダメッジを受けました。
その大きさが計りしれないのは、今なお時々、新しいダメッジに気づかされることがあるからです。
ですから、どうしてもポジティブには考えられません。
こう書いてきて、気づいたことがあります。
私らしい生き方ができたのは、節子がいたからであって、節子がいなくなると、私らしい生き方ができなくなるのではないかということです。
言い換えれば、私が物事をいつもポジティブに考えられたのは、節子がいたからだったのではないか。
いざとなったら一緒に取り組む同士がいれば、こわいものなどあるはずもありません。
だからいつでもポジティブになれたのです。
私が私らしく生きていくためには、節子の存在は不可欠なのです。
そんなわけで、今なお節子との別れは現実として受け入れられないでいるのです。
受け入れてしまうと、私らしい生き方ができなくなってしまいかねないからです。
つまり、「私らしい生き方」とは、実は「私たちらしい生き方」だったのです。
ですから、「節子の不在」そのものが存在しないのです。
したがって、ポジティブであるかどうかを超えてしまっているのです。
なんだかややこしい話になってしまいました。
読んでいる人には「たわごと」に聞こえるでしょうが、私にとっては、「目からうろこ」なのです。
私もだんだん「彼岸」が見えるようになってきているような気がします。
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