■節子への挽歌564:ひとつの財布
節子
むすめたちと話していて、夫婦別財布が多いという話になりました。
私の周りにも、夫婦別財布の人は少なくありませんが、私には全く理解できない話です。
私たち夫婦は完全に「ひとつの財布」でした。
もっとも、節子は「夫に内緒のへそくり」に憧れがあったようで、へそくり口座をつくったことがありますが、私にまで自慢したので、すぐにばれてしまいましたが。
結婚以来、わが家には「家計」はひとつでした。
私の収入は、すべて節子のものでした。
節子の収入もまた、すべて節子のものでした。
ですから節子にとっては、「へそくり」は全く意味がなかったのです。
そんなわけで、私はお金から全く解放されていました。
お金が必要になれば、節子にいえばよかったのです。
家族で旅行に行っても食事をしても、お金の担当はすべて節子でした。
私は自分で支払ったことがありません。
これはいたって楽なことです。
それに、財布が一つになるということは、お互いの生活を夫婦で共有できるということです。
それがわずらわしいと言う人もいるかもしれませんが、徹底してしまうと楽になります。
相互の信頼関係も高まりますし、お互いの性格もよく見えるようになります。
ですから、夫婦が別々の財布を持つことが、私には全く理解できません。
もしこれを読んでいる方が結婚されていないのであれば、ぜひ「ひとつの財布」をお勧めします。
ちなみに、社会全体が「ひとつの財布」になれば、もっと楽になります。
その時にはお金はいらなくなるはずです。
私にとっては理想の社会です。
お金がなくなれば、格差も戦争もなくなるかもしれません。
お金を管理しなければならなくなった節子は大変だったのではないかと思うかもしれません。
大変ではなかったのです。
なぜなら節子は家計簿などつけることなく、簡単なルールで対処したからです。
ルールは2つ。
「出て行くものは出て行く」「なくなれば出なくなる」
それは私と共有していましたから、お金がなくなれば働くか節約すればいいわけです。
最近はいささか状況が厳しいですが、私たちの時代は、まじめに働けば、いかようにもやっていけました。
それに、節子も私も質素でしたし、2人とも普段はお金を使いませんでした。
私たち夫婦がこんなに仲良く信頼しあえる関係になったのは、そしていつも誠実に生きられたのは、「ひとつの財布」のおかげだったのかもしれません。
もっとも節子には一つだけ不満がありました。
私から「意外な贈り物」をもらえなかったことです。
私の節子へのプレゼントのやりかたは、何かほしいものがあるかと節子に訊いて、じゃあそれを買っておいてというだけでしたので、節子はプレゼントをもらった気にはなれず、いつも買わずに済ませてしまっていたことです。
今から思うと、「ひとつの財布」も欠点がありますね。
もしかしたら、節子は喜んでいなかったかもしれませんね。
気づくのが遅すぎました。
いやはや。
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コメント
佐藤様、サクラの開花も間近ですね。
今日のブログ、ちょっとクスッと笑わせて頂きました。
うちも「ひとつの財布」でした。佐藤家と似ていますが
私もお金にあまり振り回されることはありませんでした。
「あるなら、あるように、ない時はない時なりに・・・」
「ない袖は振れません」からね(笑)
主人はスマートな人なので、洋服も靴も普通のサイズで
十分。ブランド物には全く興味なし。ある程度の収入が
できても、その姿勢は全く変わりませんでした。
普段着など、息子の「お上がり」を喜んで着ていました。
ちょっとした工夫が好きで、値段にかかわりなく物を
大切に活かして使っていました。
私もブランド物より、私のオリジナルにすることの方が
興味があって・・・安いセーターを買ってきてちょっと
手芸をしたりするのが楽しみでした。今も私は主人の
セーターやシャツを縮めて着ています。私達は自分達の
オリジナルにこだわっていたように思います。
幸せはお金に支えられる部分もありますが、やっぱり
共有する時間をどう過ごすかということが大切です
よね!
春は周りが明るくなってきますので、それはそれで少し
置いてきぼりの感があります。。。サクラの花もまぶし
すぎるかもしれません。
花粉シーズン真っ只中ですが、佐藤様は症状ないですか?
お大事にお過ごしくださいませ。
投稿: 田淵 マサ子 | 2009/03/20 10:54