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2009/03/09

■「人の幸せは自分の幸せ」

昨日、ぐんまNPO協議会の集まりに参加させてもらいました。
そこでお2人の方からとてもうれしいお話を聞かせてもらいました。

おひとりは会社を定年退職された後、病院などで患者さんに楽しんでもらう活動を始めたのだそうです。
最初は、果たしてみんな喜んでくれているのだろうか、とても心配だったそうです。
ところがある人から、相手を楽しませるのではなく、自分が楽しむことが大切だといわれたのだそうです。
それ以来、気が楽になり、その活動がとても楽しくなったそうです。
もちろんみんなも楽しんでいることが伝わってくるようになったでしょう。

もうおひとりはこれまで13年間、カンボジアの学校の改築活動をされている方です。
ご自分で会社をやっているため、年金は生活には必要ないので、もらった年金を投入して、この活動を続けているのだそうです。
13年前には300万円あれば、校舎が改築できたそうです。
今は500万円かかるそうですが。
毎年1校が目標だそうです。
最初は、カンボジアの子供たちのためと考えていたそうですが、ある時に、これは自分のためなのだと気づいたそうです。
そこからますます楽しくなり、13年も続いてきたのです。
今では仲間も増え、NPOの代表も別の人がやっていますが、その人も含めて、お二人ともとても幸せそうでした。

「人の幸せは自分の幸せ」
私もそんな話をさせてもらったのですが、実際に活動されている方たちは、そんなことなどよくわかっているのです。
しかも心身で実感しています。
NPOの中間組織の人や行政のNPO支援部署の人たちとの温度差をいつも感じますが、「人の幸せは自分の幸せ」だと気づく人が増えてくれば、きっともっと住みやすい社会になっていくでしょう。
しかし、まだ現実は、「人の不幸が自分の幸せ」と勘違いしている人も少なくないのが残念です。

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