■節子への挽歌552:鎌倉五山のお線香
節子
鎌倉の宮澤さんから、温古堂のお線香が送られてきました。
宮澤さんは私たちより一回り年上の3人組の仲間の一人でした。
そこに、なぜか私も入っていましたが、私以外は実に個性的な3人でした。
一人は大の飛行機好きの稲村さんです。
人力飛行機を実現したいという相談を受けたのが付き合いの始まりでした。
飛行機の夢を追いすぎてしまい、いささか失意の晩年でしたが、最後までお元気で自称万年青年を絵に描いたような人でした。
湯島にもよく来てくれましたので、節子も何回も会ったことがありましたね。
館山に転居された後、なかなか会う機会がないまま、ある日、息子さんから突然の訃報が届きました。
稲村さんの夢は叶えませんでしたが、ある意味では夢を追い続けた幸せな人でした。
稲村さんのおかげで、私もいろいろな体験をしました。
M資金(といっても今では知る人も少ないでしょうが)関係らしき人にも引き合わせられましたし、渋沢栄一さんのひ孫とも知り合いになりました。
もう一人は、これも昔の人ですが、森繁久弥さんのヨットの船長をやっていた鈴木さんです。
私が出会った頃は某銀行の調査部長でしたが、話が壮大で夢か幻かの話が多かった人です。
ある研究会でお会いしましたが、なぜか付き合いが始まってしまいました。
企業の枠を超えた人で、その後、外資系銀行の社長をやっていましたが、ともかく破天荒な人なので、なかなかついていけませんでした。
稲村さんを鈴木さんに紹介したお返しに、鈴木さんが紹介してくれたのが宮澤さんでした。
宮澤さんは上場企業の社長でしたが、私が知り合った頃はもうほぼ引退されていました。
これまた常人の枠を超えた人で、大企業の社長をやっていたとは思えない、人間的な人でした。
2回ほど、正月に湯島に酒を持ち込んで、4人で新年会をやりました。
飲めない私は、3人の大言壮語を聞くだけでしたが。
残念ながら、そこで語られていた大構想はいずれも夢のままになってしまいました。
コムケアの集まりにも3人で応援に来てくれました。
私の知り合いの中では、もっとも時代をはみ出した人たちでした。
その宮澤さんから、思いもかけず線香が届きました。
鎌倉の温古堂が創業135周年を記念してつくった「鎌倉五山」です。
早速、節子に供えさせてもらいました。
ちょっとシナモンを感じさせる、今までにない香りでした。
これまでもいろいろな方からお線香をいただきましたが、香りは場所を思い出させます。
高野霊香は火をつけなくても高野山のイメージが広がります。
節子と一緒に宿坊で一泊し、真っ暗なお堂で市川覚峯さんに護摩をたいてもらった記憶が浮かんできます。
どなたから送ってもらったかわからなくなってしまったのですが、法隆寺の線香もあります。
法隆寺は、節子とは何回か行きましたが、もう一度行きたかったお寺です。
節子との最後の旅行になった東尋坊近くの吉崎坊で、たしか節子はお線香を買っていたはずです。
それもどこかにまだあるでしょう。
これまではどこのお線香かなど気にせずに供えていましたが、お線香もそれぞれに節子の思いがつながっていることに、今日、やっと気づきました。
鎌倉五山は、節子とは一度しか歩きませんでしたが、建長寺で永六輔さんを見かけた思い出があります。
久しぶりに電話でお話した宮澤さんはお元気そうでした。
「鈴木さんから、佐藤さん夫婦はとても仲が良いといつも聞かされていた。仲が良かったぶん、さびしさも大きいでしょうね」といわれました。
そうなのです。
地球の重さよりも大きいさびしさに今もつぶされそうです。
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