■節子への挽歌557:若い友人からのメール
今朝、2つのメールが届きました。
今日から、「だめ節子」シリーズをはじめようかと思っていたのですが、そのメールのことを書きたくなってしまいました。
予定変更です。
一人は、節子も会ったことのある、若いSTさんからです。
年賀状をもらったので、返信メールを出した、そのまた返信です。
私の生き方へのエールなので、いささか気恥ずかしいですが、一部を引用させてもらいます。
いただいたメールを拝見していて、奥様に対するとても大きな深い愛情を感じました。長い引用ですみません。
思わず、自分自身の経験してきた恋愛と比較してしまい…。また、感じたことをどう表現してよいのか分からず、メールの返信が書けずにいました。
いま僕が感じることですが、修さんの生き方はとてもステキだと思います。修さんの大きく暖かな愛情に包まれて、今尚奥様は存在し続けていらっしゃるように感じています。
修さんは『会えなくなってから、時間は止まってしまっているよう』だと、前回のメールでお話されていましたが、僕には奥様と共に歩まれているように感じてしまいます。
それは修さんのメールにあった『奥様のおかげで新しい出会いを得たり、生きる意味について思いを深められたりした』というお話から感じています。例え肉体がこの世に存在していなくても、愛した伴侶の心の中にいつまでも存在し続けることができたなら、きっとすごく幸せだと僕は感じます。
僕も結婚を考える人を持ち、2人で人生を歩む時が来るとしたら、修さんのような生き方をできたらいいなって思っています。
最後の一文がとてもうれしかったのです。
共にお互いの心の中に「住み込み合う」関係、それが夫婦の意味ではないかと、私は思っています。
そうした伴侶を得たことの幸せと、そうした伴侶とのいささか早い別れを余儀なくされたことの寂しさを、改めて感じています。
STさん、ありがとうございました。
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コメント
佐藤さんのうれしい気持ちが伝わってきて、私までとてもうれしくなりました。
「伴侶を得たことの幸せと、そうした伴侶とのいささか早い別れを余儀なくされたことの寂しさを、改めて感じています」
私も郁代に出会えた幸せと、早く別れた寂しさを感じています。
お願いがあります。
ここらで節子さんの、「ハッとする美しさ」の写真、アップして下さいませんか。時々、お会いしたくなります。
投稿: 大浦静子 | 2009/03/13 09:55
大浦さん
ありがとうございます。
「ハッとする美しさ」
節子は飛び上がって喜んでいるでしょうね。
でももう一度見ると、何で最初見たときにはハッとしたのかなと大浦さんの幻想が打ち破られてしまいそうなので、写真は保留さです。
私は毎日、妻の写真を見ていますが、ハッとしたことがないので困っています。
はい。
投稿: 佐藤修 | 2009/03/14 09:58