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2009/03/11

■節子への挽歌556:節子は美化されているのではないか

節子
むすめたちから、この挽歌の節子は「美化」されているのではないかといわれました。
おそらくそうでしょう。
節子自身も、たぶん「美化」されている自分を感じているかもしれません。

しかし、その一方で、不満な表現もあるでしょう。
修は、私の本当にいいところをちっとも理解していないわね、と思っているかもしれません。
それはまあ、お互い様なのです。

夜中に目が覚めると、必ずといっていいほど、節子のことをまず思い出します。
以前は、夜中に目が覚めると、隣に節子がいつもいました。
目が覚めて眠れない時は、わがままな私は必ずといっていいほど、節子を起こしました。
節子と一言二言話すだけで、気が静まってなぜか眠れたのです。
時には代わりに、起こされた節子のほうが眠れなくなってしまうこともありました。
私は、迷惑をかけあうのが夫婦なのだという考えなので、節子にも目が覚めたら起こしていいよといっていましたが、節子に起こされたことはありませんでした。
節子は一時、寝つきが悪かったことがありますが、一度眠るとよく眠る人でした。
その上、私と違って寝相がよく、寝た時とほぼ同じスタイルで朝を迎えるタイプでした。
私の寝相の悪さはかなりのもので、節子はいつも、よく動くわねといっていました。

話がまた全くそれてしまっていますが、昨夜、夜中に目覚めた時、なぜか娘たちから言われている「美化」の話を思い出しました。
本当に節子のことを美化しているのだろうか。
たしかに「良いところ」だけを書いており、あんまり悪いところは書いていません。
しかし、「良い悪い」は、人それぞれです。
それに、私の心の中に残っている節子の良いところは、とても言葉には書き表せないのです。
ですから、ここで書かれているのは、節子の良いところの一部でしかないともいえるのです。
いやいや、こう思うところが、すでに節子を美化しようとしているのでしょうね。

逃がした魚は大きい、という言葉があります。
失った妻はどうでしょうか。
悪い妻だったと思うようにすれば、きっと悲しみも半減するでしょう。
しかし、美化し続けていると、悲しみはますます高じていくでしょう。
思い切って、節子のだめさ加減を書いていくのもいいかもしれません。
さてどうすべきか。

一晩、だめな節子シリーズを書き出すかどうか考えてみます。

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