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2009/03/07

■ファノンの法則

小沢さんの秘書逮捕事件以来の、この時評は、いささか感情論に陥っていて、独善的過ぎるかと思いますが、もう一度だけ続けてしまいます。

アルジェリア独立戦争に参加したフランツ・ファノンは、支配される者同士の激しい暴力のぶつけ合いは、実は彼らを支配している者から加えられる暴力が原因だ、と指摘しています。
何かを支配する場合、相手と戦ってはいけません。
それは自らを消耗させることであり、持続できないでしょう。
持続的に支配するためには、つまり安定した支配構造は、戦いあう構造を支配するものの中につくりだすことなのです。
暴力が果てしない報復を生み、本来は仲間であるはずのもの同士が憎しみをぶつけ合うようになれば、真の問題が見えなくなってしまいます。
それによってはじめて、支配は安定するわけです。

このファノンの法則にしたがって世界を見ると、さまざまな現象の背後にある真実が見えてきます。
戦っているもの同士は、実は戦っているのではなく、戦わせられていることがわかります。
しかし、戦いに目を奪われている当事者は、そのことにはまず気づきません。
こどもたちの「いじめの構造」も、これがまさに当てはまります。
おそらくDVもそうでしょう。

戦いの構図だけではありません。
秩序の構造においても当てはまります。
報道においても、こうした構図が色濃く出ています。
テレビなどのキャスターの言動など見ていると、面白いほどにそれが良く見えてきます。
みのもんたさんがその典型ですが、要するに「弱いものいじめ」が得意です。
そして、世論もまた「弱いもの」いじめが大好きです。
判官びいきの文化はなくなりました。
日本も次第に一神教の文化になってきたのかもしれません。
近代の文化には、見事なほどに一神教の文化が埋め込まれていますから。

権力に楯突く側を一番強く攻めるのは、実は権力によって押さえ込まれている人たちなのです。
今回の小沢代表秘書逮捕に関しても同様な風景が広まっています。
ですから、現象ではなく、その奥にある問題の構造に気づくことが大切なのです。
まあしかし、気づけばどうなるかですが、胃が痛くなるだけかもしれませんし、自分の無力さにさいなまれるだけかもしれません。
最悪の場合は、人嫌いになってきます。
困ったものです。

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コメント

世の中のこの構造は見ていて嫌だなあと感じるものの一つですが、これを負の関係性とするなら正の関係性というのもまたあって、人と繋がることがそれに当たると思います。
団体活動では所属する人同士がこの関係性を作れるように、活用させていただいています。
この考え方を持っていると活動の中で負の関係性が出来つつあることも直ぐに判るようになりますし大変便利なものですね。

佐藤先生もお忙しいようで、それは元気でいらっしゃるということなのでしょうね。
三沢ではそろそろ春の活動が始まっています。

投稿: 齋藤聖子 | 2009/03/10 09:29

齋藤さん
ありがとうございます。

とても偶然なのですが、一昨日、高崎で齋藤さんのお話をしていました。
ぐんまNPO協議会の集まりでした。
齋藤さんというよりも、斉藤さんたちが取り組んでいる花いっぱい活動の話ですが。
まちづくりは人のつながりを育てることだと、私は思っていますが、花はつながりを育ているにはとてもいいテーマですね。

表情の見えるつながりが育っていくと、つまらない「対立」などはなくなるはずですね。

三沢にはなかなかいけませんが、いつかまたお伺いしたいと思っています。
きっとそのときは前に行ったときよりも、三沢は花であふれているでしょうね。

楽しみにしています。

今日は北海道から、どんぐりの実を植える活動をしている友人がやってきます。

投稿: 佐藤修 | 2009/03/10 10:01

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