■「時間がたつと遺族の被害感情は薄れる」
昨日、「時効」制度の撤廃・停止を求めて、「殺人事件被害者遺族の会」(通称「宙(そら)の会」)が結成され、記者会見が行われました。
刑事事件でいえば、一定の期間が過ぎると容疑者がわかっても起訴できなくなるのが「時効」制度です。
私も、時効制度には大きな違和感があります。
社会状況や法の意味合いが変わってきたにも関わらず、相変わらず法論理は旧来の発想から抜け出ていないような気がします。
新聞報道によれば、会員は、制度の存続理由の一つとされる「時間がたつと遺族の被害感情は薄れる」という考え方を否定しているそうです。
私が、今回興味を持ったのはそのことです。
「時間がたつと遺族の被害感情は薄れる」
だれがそう言ったのでしょうか。
当事者ではない人が考えた「論理演算」としか思えません。
私は1年半前に、妻を病気で見送りました。
「時間が癒してくれる」などという人がいますが、当事者でもないのに、なぜそんなことがいえるのでしょうか。
アーレントは「意見や行為は代表されたり委任されえない」といっていますが、ましてや個人の経験や感情は誰かにわかるはずもありません。
時効制度は、権力者の暴力から人々を守るための制度の一つであり、時間の経過が事実認定を難しくすることによって「冤罪」が起こることを避けるためのものだったのではないかと思います。
法に限らず、制度には必ず、「意図」や「理由」がありますが、それら波立場や状況によって変わってきます。
事実認定を難しくするという点では、今回も指摘されているように、DNA判定などのより時間がたっても事実を証明することが出来るようになったこともあります。
また権力者の暴力という点でも状況はかなり変わってきました。
冤罪は今なお決してなくなったわけではありませんが、裁判の透明性を高めればかなり減らすことが出来るでしょう。
残念ながらいまの「司法改革」はそういう方向に向いていませんが、それがもっと徹底されれば、冤罪という司法の犯罪は減らせるはずです。
刑法の基本的な位置づけや意味合いが全く変わってきているにもかかわらず、権力に仕える法曹界は発想を変えていません。
時効制度にしろ、死刑制度にしろ、あるいは保釈制度にしろ、量刑原理にしろ、向いているベクトルの方向が間違っているような気がします。
それを見直すには、「革命」が必要なのかもしれませんが、せめて時効制くらいは根本から見直していってもいいように思います。
どう考えても、いまの時効制度は素直な常識に合致しません。
常識に合わない制度は、やはりどこかに問題があるのです。
その問題をきっちりと見直していけば、法律のおかしさや司法制度の問題も見えてくるように思います。
「殺人事件被害者遺族の会」の主張に共感するとともに、殺人事件のみならず、時効制度全体(商事や民事も含めて)の見直しの必要性を感じます。
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