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2009/03/14

■節子への挽歌559:片づけが苦手の節子

いよいよ、予告していた「だめ節子シリーズ」第一弾です。

節子は「片付け」が不得手でした。
と言うと怒られそうです。
本人はきっと片づけが好きで得意だと思っていたかもしれませんから。
実際、整理整頓の知恵を出すのは好きでした。
今もなお、節子が書いた「小見出し」などがいろんなところに残っています。
書類などを保管するクリアファイルに小見出しをつけるのも好きでした。
写真を整理して、コメントをつけながらアルバムを整理するのも好きでした。
旅行に行く時にバッグに荷物を詰め込むのも節子が得意でした。
私が勝手に詰め込むと怒られました。

しかし、どう考えても片づけがうまかったとは思えないのです。
なぜそう思うかと言うと、節子は「捨てる」のが下手だったからです。
まあよく言えば、「物を大切にする」のです。
本当にいろんなものを捨てずに残していました。
お菓子などもらうと箱はもちろんですが、包装紙まで丁寧に残していました。
物を捨てない割には、使いもしないの、これはいつかきっと役に立つと面白そうなものがあるとすぐ買ってきました。安いものばかりでしたが。

病気になってからは、持ち物整理に入りましたが、それを私が止めてしまいました。
整理するとなんだか先がないような気がするからです。
節子が病気になってからは、私がむしろ節子の物を買いだしました。
これを使い切るためにも元気にならなければいけないと節約家の節子に「圧力」をかけたのです。
小賢しい知恵ですが、まあ当事者になると、そんなものです。

まあ、そんなわけで、節子が逝った後にはたくさんのものが残されました。
かばんやポーチもたくさんありました。
それをあけると、必ず出てくるものがあります。
駅前でもらったポケットティッシュ、短い鉛筆(節子は鉛筆が好きでした)とメモ、小銭、そしてなぜかキャンディ。
関西人は、誰かに会うと「あめ」をあげると以前テレビでやっていましたが、関西人の節子らしく、いつもアメかチョコレートを持ち歩いていたようです。
もっとも彼女自身は、そうしたお菓子類をふだんはあまり食べない人でした。

節子が残していったもの片付けるのは大変です。
ですから今もほぼそのままです。
ということは、もしかしたら、片づけが下手なのは私のほうかもしれませんね。
しかしまあ、残されてしまったら最大の粗大ごみになりかねない夫(つまり私です)を片付けないうちに彼岸へと自分だけ旅立ってしまったのは許せません。
夫くらいきちんと片付けてから、自らの身を片付けてほしかったです。

なんだかわけのわからない話になってしまいました。
明日は、きちんとだめ節子第2弾を書くことにします。

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