■節子への挽歌563:能天気夫婦
節子
ジュンがお母さんは能天気だったね、と言っています。
もっとも「能天気」だと言っているジュンも、かなりの能天気ですから、あんまりどうということはないのですが。
最近、わが家ではユカが一番、まともなのではないかと思うことがよくあります。
わが家ではユカはいつも少数意見で、みんなから「変わっている」と思われていたのですが、もしかしたら「変わっている」のは他の3人だったのかも知れません。
今頃気づいたのか、とユカにまた怒られそうですが、節子がいないのでいまさら私も反省はできません。
困ったものです。
先日、ジュンと話していて、ジュンの能天気さは私の遺伝かなと話したら、お母さんも能天気だったよ、と言うのです。
節子が能天気?
私には、自分が好き勝手に生きてきたために、節子には多大な負担や苦労をかけただろうと言う罪悪感があるのです。
節子は私に愚痴をこぼしたことは一度もありません。
私の両親との同居も、私が知る限り、一度も愚痴をこぼしませんでした。
そのことに感謝していたわけですが、ジュンの考えでは、大変さなど感じていなかったのです。
つまり、単に私と同じく能天気だっただけなのです。
思い直すと、たしかに節子は能天気でした。
親が脳天気だったぶん、子どもたちは苦労しているようです。
私たちはあまり良い親ではなかったのです。
どうもそれは間違いない事実です。
娘たちには本当に申し訳ないと思っていますが、いまさらどうにもできません。
しかし、その責めを私だけが負うのはいささか不公平です。
恨めしい気がしないでもありません。
いま、むすめたちのことで苦労しています。
困ったものです。
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