■節子への挽歌555:東京の空にも節子がみえます
節子
今日はあたたかな、そしておだやかな日です。
今日は何人かの友人が会いに来るので、湯島に来ました。
週に2,3回は湯島に行こうと思っているのですが、なかなかそうなりません。
何となくおっくうなのです。
今日は少し早めに来たのですが、穏やかな空をぼんやりと見ていると節子がいた時とどこがいったい違うのだろうかという気がしてきます。
私は湯島のオフィスから空を見るのがとても好きです。
子どもの頃から、空や雲を見るのが好きでしたが、会社に入ってから空を見る習慣がなくなってしまっていました。
東京の空をゆっくりと見るようになったのは、このオフィスで過ごすことが始まってからです。
東京の青空がとてもきれいで穏やかなのに気がついたのです。
もっとも、空の青さのすばらしさを思い出したのは、エジプト旅行でした。
エジプトの空の青さは、感動的でした。
きれいな空を見るといつも、私たちはエジプトの空の話になりました。
日本で見た一番印象に残っている空の青さは、節子と一緒に行った、千畳敷カールでした。
あの時は、節子はとても元気でした。
私のホームページにも掲載されていますが、あの時の空の青さは感動的でした。
あの時、もしかしたら節子の「いのち」は青空に吸い込まれてしまったのかもしれません。
学生の頃書いた私の詩に、こんなのがあります。
私の詩の中では最も短い作品です。
空の青さがあまりに深かったので、思わず死んでしまった私はこの詩がとても気に入っていました。
節子に会うずっと前の詩ですが、この頃から「金魚が泣いたら地球が揺れた」的な作風だったようです。
湯島から見る夕陽もきれいでした。
そんなことを考えていると、そこに節子が居るような気がしてきます。
節子がいなくなって、いったい何が変わったのだろうか。
この頃、そんなことをよく考えるようになりました。
どこにでも、最近は節子が見えるような気がしてきています。
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