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2009/03/20

■企業献金はなぜ悪いのか

小沢秘書事件は、ますます謀略性を感じさせるようになって来ていますが、それはともかく今回はまた暴論です。

企業の政治献金はなぜ悪いのでしょうか。
企業の政治献金は悪いものだと言う前提でみんな考えていますが、本当にそうなのでしょうか。
献金した企業に有利に仕事が発注されるではないかなどと言うのは、たぶん回答にはならないと思いますが、なぜかみんなそれで納得します。
不思議な話です。

企業の政治献金に関しては、すでにさまざまな論点が議論され尽くされていますし、判決もいろいろと出ています。
それを再整理したところで、何の意味もないでしょうが、大切なのは「問題の本質」は何かです。

たとえば個人献金と企業献金とはどこが違うのか。
企業のNPOへの寄付と政党への寄付とどこが違うのか。
企業献金と従業員の献金を集めての献金とどこが違うのか。
いずれも答は一つではなく、いかようにも答えられるでしょう。
つまり、この問いこそが「政治的」なのです。
「問題の本質」は、その外にあるのです。

では、与党への献金と野党への献金は同じでしょうか。
考えようによっては、全く正反対のものともいえます。
買収が絡んでくるのは、いうまでもなく権力の立場にいる与党議員です。

形式犯とか実質犯とかいう言葉が出ていますが、法で裁くのはあくまでも形式犯です。
しかし形式犯はすべてが罰せられるわけではありません。
権力は、罰したいときに罰します。
いつでも罰せられるのだぞと思わせておく事が、一番効果的だからです。
罰してしまえば、その効力は消滅してしまいます。

企業献金はどんどん認めていいと私は思います。
ソーシャルマーケティング活動と位置づければいいでしょう。
企業の社会貢献活動と同じです。
そうした献金や寄付が個別の企業に利益還元されることを避ければいいわけです。
その方法は簡単です。
事業の発注先を決めるプロセスを公開し、政治献金者と個別事業を直接つなげないようにすればいいわけです。
もちろん政治献金者の名前も公開すべきです。
すべてを公開すればいい話です。
すべてを公開しないがゆえに、さまざまな問題が起こります。
つまり問題は、行政の進め方にあるのです。
政治の問題ではなく、行政(官僚制度)や経済(産業政策)の問題です。

技術的には公開は難しい話ではないでしょう。
なぜ公開されないかと言えば、買収行為ができなくなるからです。
あるいは権力行使が出来なくなり、権力への反対行為をとめられなくなるからです。
つまりは、すべては循環的構造にあります。
その循環を好循環に変えていくことが大切なのであって、「企業の政治献金」に問題があるのではありません。
それに、献金してくれる人がいたらどんどん献金してもらえばいい。
それくらいの自信を持って、みんな仕事に取り組むべきです。

ところで私に献金してくれる企業はないでしょうか。
私はそれなりにいい仕事をしているという自負がありますので、いつでも歓迎です。
それに、検察に捜査される心配もありません。
ただし、献金してくれた企業にとっては、何の役にも立ちませんが。

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