■節子への挽歌567:心地よい借金
佐藤さん 前回会ったときより、ずっと元気になりましたね。一昨日、大阪から会いに来てくださったMさんが、帰り際に行った言葉です。 みんなが私の元気を気にしてくれている。 そう思うと、いつまでもこの挽歌を書き続けていてはいけないという気もします。
Mさんと知り合ったのはたぶん1年ほど前ですから、私はおそらく失意のどん底にいたのかもしれません。
もっとも、その時、Mさんを連れてきてくださったIさんは、Mさんにそろそろ佐藤も元気になってきたので会いにいこうと言ったそうです。
Iさんも、私のことを気にしていてくれたのです。
こういう話を聞くたびに、感謝の気持ちでいっぱいになると共に、どうしてこんなに良い人ばかりなのに、社会は快適にならないのかが不思議です。
節子がいなくなった後、どれほど多くの人たちから元気をもらったことでしょう。
どれほど多くの人から声をかけてもらったことでしょう。
おかげで、人はみんなつながっていて、支えあっているのだということが確信できました。
「元気になったね」「おかげさまで」
この短いやりとりが、人の絆をどれほど強めることか。
それは体験したものでないとわかりません。
心から気遣ってくれた人のためであれば、いつかお返ししようと思うのは当然です。
人に気遣ってもらうということは、たくさんの「借金」を背負うのと同じような気がしますが、その借金は心地よい借金です。
たとえ今生で返せなくとも、来世で返す機会はあるだろうと思うと負担にもなりません。
それに、会ったことのない人も含めて、人はつながっていると思えると人生はとても生きやすくなります。
無理をして元気を装おうこともありません。
私の嘆きに辟易している人もいるでしょうが、嘆きはその人にもいつか降りかかるでしょう。その時には、私はその人の聞き役になれるはずです。
嘆きは聞き役がいてこそ、嘆き甲斐があるのです。
もしかしたら、嘆き役こそが最高の聞き役かもしれません。
みんな無理して元気を装おうのはやめましょう。
人はみんな多かれ少なかれ、嘆きの種を抱えています。
人の数だけ幸せも不幸もある、と節子と話したことを思い出しました。
嘆きながら聞いてやる、そんな関係がもっともっとひろがるといいと思っています。
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