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2009/04/21

■スーザン・ボイルさんの歌は聴きましたか

スコットランドのスーザン・ボイルさんが話題です。
国の素人オーディション番組での歌唱映像が「ユーチューブ」で世界中に広がり、今や世界の人気者のようです。
昨日のテレビの報道番組でも各局取り上げていました。
海外のプロのミュージシャンも絶賛らしいです。
日本のキャスターもコメンテーターもみんなその素晴らしさを褒め称えていました。
報道ステーションの古館さんも絶賛し、大切なのは歌い手の見かけではなく、歌そのもので評価しなくてはいけないというような発言もしていました(かなり不正確な記憶なのですが)。
皆さんはいかがでしたでしょうか。

私は、音楽音痴なのか感動しませんでした。
テレビで聴いたせいか、みんなが大騒ぎするほど魅力的でもありませんでした。
もちろんいい声ですし、表情のある歌唱だとは思います。
しかし、この程度の、と言うと失礼ですが、よく聴いたような気がするレベルでした。
なんでみんなあんなに感動するのかと不思議でしたので、わが家の娘たちにも訊いてみましたが、彼女たちもまあそれほど感動していませんでした。
一家そろって音楽音痴なのでしょうか。

さらに私は思います。
やはり歌い手の歌う時の雰囲気はとても大事だと思うのです。
娘もそういう思いで、目をつぶって聴いたそうですが、やはり感動するほどではなかったといいます。
まあ、それとは意味が違うのですが、私はやはりどんな人がどんな雰囲気で歌うのかにはとても影響を受けます。
美人でなければいけないとはいいませんが、雰囲気は大切です。
大変失礼ですが、ボイルさんの雰囲気で歌われるのは感動につながりにくいです。

決してスーザン・ボイルさんをこき下ろしたいのではありません。
実際に、生で直接聞いたら、感動するのかもしれません。
いえ、「ユーチューブ」で聴いても、とても快いです。
ただみんなが騒ぐほどのことはないと思うのです。
そして、話題になるとみんなどうしてこうも同調してしまうのか、しかも感動まで同調してしまうのが気になるのです。

最近読んだ本にこんな文章が出ていました。

大勢の人々が価値と考え、賞賛し欲望するもの、これがどんな社会においても、人間の社会的欲望の一般基準である。

天才の創造力が美の模範を、つまり日の秩序の基準を作り出すと考えられるが、実際には、不特定の人々の美的感受性による批評こそが、天才とそうでないものの秩序を作り出すのである。

何だかその実例を見せられているような気がします。
私はスーザン・ボイルさんのコンサートに招待されても、たぶん行きません。
和田あきこさんのコンサートなら喜んで行きますが。

無粋な話ですみません。
まあ今回は音楽の話なのですが、これが教育や政治の話になると恐ろしいです。

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文化時評」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。
同じ番組ですけれど、こちらのほうが感動的だと思いました。
http://labaq.com/archives/50811792.html

投稿: 鈴木村長 | 2009/04/23 22:14

鈴木村長さん
ありがとうございます。

はい
賛成します。
ポール・ポッツさんは、たしか心に響きました。
実は娘たちからボッツさんの話は聴いていました。

ところで、
スーザン・ボイルさんの記事ですが、あとでちょっと反省しました。
スーザン・ボイルさんに感動した人もいるはずですから。

実は、記事の中で引用した文章を書きたくて、スーザン・ボイルさんをだしにしてしまいました。
それでこの数日ちょっと後悔をしていました。

鈴木さん
ありがとうございます。
まさか鈴木さんの目にとまるとは思いもしていませんでした。

投稿: 佐藤修 | 2009/04/23 22:30

昨日スーザンさんの動画を見ました。
私は幼少期からピアノが好きになり今でも生活の中で音楽はかかせません。
スーザンさんの歌についてですが、これは何かに挫折をしたりつらい思いを乗り越えてきた方には、力強いメッセージだったようでした。
ステージに立った時は役者にならないといけませんが、大観客を前にしてステージに立った時の緊張感も、立った人間にしか理解できません。

ステージの上で偽りは通用しないです。その人間の背景が表に出ます。
自分自身のすべてを歌で表現することは、
感受性の高さ、心の豊かさ、声の美しさ、肺活量、歌への強い思い、人前で力を出し切る強さ、表情、観客との息の合わせ方、パフォーマンス、それらが備わった人間でしかできません。
彼女が有名になったのはメディアが騒いだからではありません。
何も持たない人間にとって音楽の世界はそれほど甘い世界じゃないと思うんですが。
それだけの実力が、見る人を引き付けたからではないでしょうか。
どこにでもある感じとのことですが、歌がうまいのと歌で誰かを感動させることができるのとは違いますし、人によっては石もダイヤモンドの原石も同じものにしか見えなかったり、どうでもいいものだったりします。
だからもちろん、何も感じない人もいます。

テレビを見ただけでは彼女自身の評価は私にもできません。
ただ考えさせられるブログだったのでお邪魔しました。

どうも失礼しました。

投稿: yoko | 2009/05/07 01:47

yokoさん
ありがとうございます。

ブログに書きましたが、一昨日、3人のミュージシャンがわが家に演奏に来てくれました。
とても気持ちの良い時間を過ごしました。
私も、そして奏者の一人も、最近、ちょっと心に穴をあける辛い体験をしていたせいか、とても素直に心が通ずる体験をしました。
音楽の持っている力の大きさはやはり凄いですね。
そして、音楽はまた、「関係性」のなかで大きな意味を持っていることも改めて感じました。

スーザンさん報道に関して私が持った違和感は、スーザンさんの歌にではなく、その取り上げ方に対してだったのですが、スーザンさんの歌まで評価の対象にしてしまったのは、いささか不見識でした。
友人から、自分の書いた文章には責任を持たなければダメだといわれていますが、この記事は書いた後、どうもすっきりしないものの一つでした。

コメントいただき、ありがとうございました。


投稿: 佐藤修 | 2009/05/07 09:36

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