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2009/04/01

■節子への挽歌577:現実逃避したい気分

節子
なにやらまた忙しくなってきました。
心身は相変わらず重いのですが、活動は始めると際限なく広がっていきます。
ますます「偏屈」に「怠惰」になっているのですが、人は多分そんな変化にはお構いなく、昔のイメージで私に働きかけてきます。
明らかに私の言葉は、その人の心には届いていません。
私がそうであるように、人は本当に「聴きたいこと」しか聴かないものです。
今の私の言葉は届かずに、すでに形成されている私が、その人の前にいるのです。
とても不思議な感覚ですが、昔の私と今の私と、両者を見ている私がいます。
これを「アイデンティティ・クライシス」というのでしょうか。

忙しいとは「心を失う」ことだそうです。
だから私は「忙しい」という言葉をあまり使わないようにしていましたが、最近はまさに「忙しい」のです。
時間はあっても心がないので、仕事ができないのです。
そんな状況に陥っています。
いつも「やるべき課題」をメモにして、手元においていますが、それがなかなか減りません。
その気になって誠実にこなせば、たぶん1日で終わるでしょう。
節子がいるときはそうでした。
どんな難しい課題でも1日徹夜すればできる。それが私の姿勢でした。
節子は、そんなに無理しなくても、もっとゆっくりしなさいよとよくいってくれました。
しかし寝食を忘れるほどに、熱中するのが私の悪癖でした。
私が寝食を忘れようと忘れまいと、世界は変わりなく動いていることはわかっていたのですが。
おかしな話ですが、節子が隣にいる幸せの中では、寝食を忘れるほどのエネルギーがもらえたのです。
仕事のしすぎだと、節子はいつも言っていましたが、それが私への不満のようには聞こえませんでした。
しかしもしかしたらあれは「不満」だったのかもしれません。
そう思い出してからは、もう寝食を忘れることはなくなりました。
なぜなら寝食こそが節子とともにある時間だからです。
気づくのがあまりに遅すぎました。

それに最近は、最初に「面倒くさいな」「億劫だな」という思いが頭に浮かびます。
昔は解けにくそうな「難題」こそが魅力的でした。
しかし、今はあえて難問に取り組むよりもできれば楽をして逃れたい、という気持ちが育っています。
もう節子はいないのだから、苦労することもない、と脈絡なく思ってしまうのです。

今日も朝からいろいろありました。
そのおかげで、やらなければいけないことに取り組めませんでした。
これから取り組むつもりですが、まずはその前に、やらなくてもいいことをやりたい気分です。
まあ、手はじめに挽歌を書きました。
さて、これから何をするかです。
リストには緊急課題が4つ挙げられていますが、まあ明日に延ばしても、何とかぎりぎり間に合うでしょう。
こうやって、ますます心を失う忙しさの世界に陥っていくわけです。

まずはコーヒーをいれることにします。
節子はいませんが、ケーキもありませんが、現実から逃げられます。
最近、私の好きなモカコーヒーがないのがいささか残念ですが。

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妻への挽歌03」カテゴリの記事

コメント

佐藤さま
僕も最近 超多忙な日々が続いています
このペースで 気力がもつか、いささか不安です。
平日は、デザイン会社であるのにまるで新聞社のような忙しさで、一息つくのはたいがいこんな時間(19:30)です。
デザインのPDFチェックが導入されてから、客の直しも増え、すぐレスポンスの習慣も身についてしまったせいでしょう。
また、世間の年度末ということもあったのですが、3月は目が回るようでした。

さて、佐藤さんの挽歌や週間レポートを読んでいて、だいぶ前から感じていたのですが、佐藤さんは予定を半分くらいに減らし、もっと ぼーっとしたり、気ままに時間を楽しむようなライフスタイルをキープすべき と 生意気ながら思ってしまいます。
時間に、世のニーズに追われ、苦しむのは、気の毒に感じてしまいます。
社会や、いろんな人々のやわらかな要求に応えようとするのは、もちろん、佐藤さんの意志に違いないとは思うのですが、エネルギーを、以前の半分以上欠いているわけですので、あまり多くの消化は無理です。佐藤さんのことが好きなので、ゆったり楽しむ生活を送って欲しいと、僕は個人的に思います。

最近 週末は音楽三昧で、おかげで コカリナ奏者と巡り会う事ができました。コカリナとは オカリナではなく、木で作った楽器です。キンキンしない、とっても心地よい音です。
次の土曜 親水広場で僕のギターと合わせる予定です。奇麗な音色が、樹々にとけ込むようですので、花見客は、BGM付きの贅沢な時間を過ごせることでしょう(笑)こんど二人の演奏に脂がのってきたら、お宅の庭に押し掛けライブに行ってもいいですか?
宮内

投稿: 宮内 俊郎 | 2009/04/01 19:50

宮内さん
ありがとうございます。

みんな宮内さんのように思ってくれるといいのですが、人生はなかなかうまくいきません。
困ったものです。
最近の状況だと、どうもこの先、さらに飛躍的に用事が増えそうです。
でもその一方で、応援してくれる人たちもまた増えています。
宮内さんがおっしゃるように、もっと自然をめでるような時間がないといけませんね。

わが家への押し掛けライブは歓迎です。
ただ、週末は不在がちで、ちなみに4月の週末はやはり全滅なのです。
どこかでやはり生き方が違っているかもしれませんね。
今週は箱根で合宿、来週は熊本のコムケアフォーラム、次は東京でのフォーラム、さらにその先は自殺多発地域での活動者の緊急フォーラムです。
もっともそうした活動の中には、宮内さんも参加してくれている地元のプロジェクトもあります。
こんな状態ですので、仕事をやる時間がないのです。
そこで今年から週2日は仕事デイと称して、誰の相談も受けない日を決めました。
皮肉なことにその日は当面は休日になります。
全くといっていいほど、無為に過ごしています、
それに地方に行くと、時間の進み方は全く違いますので心を取り戻せますね。

まあいささか倒錯した感じですが、20年程前に生活スタイルを変えたときから、こういう感じなのです。

ところで、しかし、私は苦しんではいないので、ご安心ください。
私と付き合いの長い人は知っていますが、気が向かないことは基本的にやらないのと面白くなくなれば途中でもやめてしまうのです。
困ったものです。
ですから周辺の人たちには、いつも迷惑をかけていますが、たぶんみんなあきらめているのでしょう。

でも、課題が多すぎますね。
政策担当者や企業経営者に怒りを感じます。

長々書きましたが、アドバイスにしたがって、出来るだけ用事を減らすように努力します。
昨日の集まりでも、そう提案したのですが、なかなか受け入れてもらえませんでしたが、もっと努力します。
でもなにか問題があると、ついつい放っておけなくなるのです。
宮内さんも、もしかしたらそのタイプのようですが。

投稿: 佐藤修 | 2009/04/01 20:20

佐藤さん

早速の応答 ありがとうございます

無理にでも 身体を休めなさい と 節子さんが言ってますよ

僕は そう感じます

くどい と言わないでくださいね

ご自身を大切にして欲しいです


僕も 佐藤さんがおっしゃるように、もしかしたら そのタイプですが
自分も楽しくなければ嫌なので
世の人との共通価値を見つけました
それが 音楽です
これは すぐ 演って すぐ感じてもらえるので 便利です(笑)しかも、場所を選ばず、どこでもやれます。
こないだ 2.22に出演した 所崎氏とちびっこピアニスト達と和楽園に慰問ライブに行ってきました
みなさんと 春の唄… 花 おぼろ月夜など 歌ったりもしました
みなさん 遠くを見つめ ある人は目にうっすら涙を浮かべていました
僕も歌いながら泣きそうになりました
これが 僕にできる社会貢献です

僕は 音楽は現代人にとっての特効薬 と思っています
コカリナ奏者は 鈴木鈴子さんと言います
まだ お互い 相手のことはよく知りませんが
たぶん いい人でしょう

二人のユニット名は

Sound Fields と命名しました

音があちこちの野原を駆け巡るイメージです
読むと 音 感じる ともとれます

今年の春から いろんなところで 出没ライブをやりたいと思います
とりあえず この土曜 13:30〜 親水広場で 二人で演奏します

宮内

投稿: 宮内 俊郎 | 2009/04/02 09:06

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