■節子への挽歌578:人生は流れるように過ごすのがいい
節子
節子も良く知っているひげのマーケターのKYさんからメールが来ました。
私が好きだった3人のマーケターの一人ですが、みんなかなり「はめをはずした」存在でした。
一人は節子よりはやく逝ってしまいました。
突然死でした。
今でも彼の不在は信じられずにいます。
KYさんは、湯島のオープンの時に彼が輸入する手配をしたフランスの紅茶をどっさり持ってきました。
節子と紅茶を飲むたびに、彼の話が出ました。
なぜなら今度は美味しく紅茶を入れられる専用の紅茶ポットを持ってくるといいながら、持ってこなかったからです。
そのため、私たちは、一生紅茶を美味しく飲めることがなかったのです。
彼の人生はドラマティックでした。
ある時、自分の会社をたたんで、自己破産でもするかと電話してきたのです。
節子には話しませんでしたが。
愛すべき若者も、いまでは破天荒なおじさんになってしまっていますが。
彼からのメールです。
ブログは時折拝見し、佐藤さんが、少しずつ元気を取り戻している様子を感じています、という書き出しですが、まあ彼のことですから、この挽歌もかなり斜め読みでしょう。メールはこう続いています。
いや本当は読んでいないのかもしれません。
彼のような破天荒なマーケターになると、読まずして内容がわかるのです。
仕事は楽しみながら、私生活は慎ましく、そんなことができるはずがありません。
会社運営は堅く・・・そして、これまでは考えたこともなかった
残る人生の設計も少しは考えながら、と思っています。
本人もよくわかっていて、こう書いています。
もっとも、小生に人生設計・目標設定などという技があれば、
こんな感じの人生にはなっていないような気もするのですが・・・。
さて、私にもしくは私と節子には、人生設計とか目標などというのがあったでしょうか。
これに関しては即断できるのですが、私たちには2人とも、そういうものは全くなかったのです。
私も節子も「偶然を大事にする」生き方をしていました。
その「偶然」は決してただの偶然ではなく、大きな必然だと知っていたからです。
節子がいなくなった今も、私は「残る人生の設計」など、全く考えていないことに気づきました。
あのKYさんが人生設計を考えるのであれば、私も考えた方がいいかもしれませんが、おそらく彼は考えもしないでしょう。
人生は流れるように過ごすのがいいのです。
KYさんは最後にこう書いています。
ニート生活の時も何度か「佐藤さんの所に遊びに行って見るかなぁ」などと思っていましたので、こういう友人が、私たちを支えてくれていたのです。
近い内にランチでも食べに寄らせて戴きたいと思います。
節子
あのひげの小難しいKYが来たら、何を話せばいいかねえ。
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