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2009/04/15

■痴漢逆転判決が示唆するセキュリティ社会の落とし穴

昨日の朝日新聞で大きく取り上げられていた記事です。

車内で痴漢をしたとして強制わいせつ罪に問われた名倉正博・防衛医大教授(63)=休職中=の上告審判決で、最高裁は懲役1年10カ月の実刑とした一、二審判決を破棄し、無罪を言い渡した。
21世紀に入り、犯罪に対する日本社会の意識は大きく変わったといわれます。
被害者視点が一挙に高まり、ゼロリスク志向が高まったのです。
前に教育に関してゼロ・トレランスに関して書いたことがありますが、同じ流れです。
犯罪被害者支援の動きも広がってきました。
それに関しては、私も共感しています。
しかし、それに伴う落とし穴にも留意しておかねばなりません。
落とし穴とは、過剰なセキュリティ社会への動きです。

リスク社会議論は確率論の世界です。
リスクをミニマイズすることで、みんなが安全安心に暮らせる社会が目指されます。
しかし、私たち個人の視点に立てば、重要なのは確立ではなく、実際に起こるかどうかです。
つまりそこでは、ゼロリスク発想になるわけです。
そこで何が起こるのか。
少しでもリスクを感じさせるものには排除の圧力がかかります。
やや極端に言えば、「疑わしきは罰する」社会の到来です。
しかも厳罰が求められます。
犯罪者の更生よりも犯罪者の排除や隔離が重視されます。
そうした流れの中で、少年法は変えられましたし、心神喪失者に対する保安処分さえ制度化されました。
いや、心神喪失者に限りません。
すべての人を監視する監視カメラも広がっています。
監視社会化に関しても以前書きましたが、私自身の意識も当時とはかなり変わってきています。
セキュリティ社会はいまや大きなうねりになってきており、そこでの生活に慣れてしまうと、さらなるゼロリスクを求めたくなります。

社会的排除が問題になっている、その根底のところで、実は社会的排除の流れが強まっているのは、いかにも皮肉な話です。
しかももっと皮肉なのは、排除する方がいつ排除される方に追いやられるかわからないということです。
社会的排除の理論は、常にその可能性をもっているからです。

今回の痴漢逆転判決は、そうしたことを考える上で大きな示唆を与えてくれます。
セキュリティ社会におけるセキュリティとは何かを考えてみるべき時期のように思います。
過剰なセキュリティ状況にある子供たちの未来は、間違いなく安全ではありません。

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