■マスコミの持つホメオスタシス機能
最近の新聞やテレビを見てつくづく思うのは、マスコミは完全に社会の体制に組み込まれ、現状維持に荷担するホメオスタシス機能を強めているということです。
ややこしい書き方をしてしまいましたが、要はマスコミも体制にほぼ完全に組みこめられたということです。
ネットの世界はまだジャーナリズムが主体性を発揮できているようにも見えますが、マスコミの情報体系に対立するものとして、それへの批判勢力になっているとしたら、その世界もまた違う意味で体制に組み込まれていることになります。
体制とは、常に反対の主張を飼いならしておくものですから。
哲学者の東浩紀さんが、たしか、マスコミは国民国家のはじまりと共にはじまった、というようなことを書いていましたが、もしそうであれば、本質的にマスコミは体制のための情報管理や情報操作を内在させていますから、国家のホメオスタシス機能の一翼をになうのは当然のことなのです。
しかし、ここまで単純に翼賛会的報道をされると情報への興味さえ失ってしまいます。
それ以上に問題なのは、近代国家の限界がかなり明らかになり、それを超える動きが具現化してきていますが、そうした中での各論的な「小さなホメオスタシス」は各論を超えた「大きなホメオスタシス」を阻害しかねないことです。
以前書いたように、大きな変化が起こっている状況の中では、静態的なホメオスタシスではなく、動態的なホメオカオスが求められています。
先の表現をつかえば、小さなホメオスタシスから大きなホメオスタシスへの転換です。
大きいという言葉には、時間的な要素も入ります。
この視点でいま起こっているさまざまなことを見ていくと、事の良し悪しの基準が変わってきます。
たとえば、小沢問題への評価も全く変わってくるでしょう。
あの事件が、小さなホメオスタシスを発動させ、旧権力を温存させることになったことは間違いないでしょう。皮肉な話です。
小泉暴政と同じです。
「小さなホメオスタシス」は現状維持のために作動します。
しかし、「大きなホメオスタシス」は未来創造のために作動します。
「小さなホメオスタシス」を「大きなホメオスタシス」に拡げていくために必要なのはビジョンです。
つまり、今こそ「ビジョン」が必要なのです。
そのビジョンのヒントは、現場にありそうです。
一見、極めて論理矛盾なのですが、現場を離れたポストモダン論議が決め付けた「大きな物語」の終焉は、現場の知恵とは違うのではないかと、最近思うようになりました。
現場にある「大きな物語」の芽を見つけ出すべき時かもしれません。
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