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2009/04/29

■節子への挽歌605:生あるものを所有することはできない

昨日、イザナギやオルフェウスの話を書きました。
愛する人を取り戻すために、「死の国」に出向いた2人は、いずれも、あと一歩のところで、成功しなかったわけですが、成功しなかった理由は明確です。
自分を基準にして考えているからです。
彼岸と現世はつながっているとはいえ、違う世界、異界です。
それを受け容れない限り、一緒にはなれません。

言い換えれば、愛する人を取り戻そうなどと思ってはいけないのです。
もし一緒になりたければ、愛する人のもとに行けばいいだけの話です。
しかし、人にはたとえ自らの生命であろうと、生命を人為的に終わらせることはできません。
それが「生を受けた者の責務」だろうと思います。
ですからこちらから彼岸に行くのはままならないのです。

最近、このブログに何回も書いているのですが、自殺のない社会づくりネットワークの設立準備会を立ち上げました。
こうして何かを立ち上げると、関連した話がいろいろと入ってきます。
気が重くなることもあれば、うれしくなることもあります。

節子が必死に生きようとしていた時期、私の友人から自殺するというメールが届きました。
少し前に生活相談を受け、節子のアドバイスである対応をしていた人からです。
正直に言えば、その時ほど腹立たしく思ったことはありません。
一生懸命に生きようと思っている私たちにとって、自らの命を自らで断ち切ろうなどと思うことは許されない行為です。
彼は、私たちのこと、節子の状況も知っていました。
だからなおのこと腹立たしい思いがしました。

節子が逝ってしまった後、彼からメールがきました。
彼は結局、みんなのアドバイスにしたがって、自己破産し再出発することにしたのです。
彼からのメールは、私たちの状況は知っていたけれど、それを考える余裕がなかったこと、そしていつか必ずお返しすると書かれていました。
彼もまた私たちと同じように、必死に生きようとしていたのだと、やっとわかりました。

生きるということの責務を果たすことは、そうやさしいことではありません。
最近、自殺を考えた人と話す機会が増えていますが、自殺は病死と同じだという気がしてきました。
私の「自殺観」は大きく変化しつつあります。

こうしたことも、節子との別れを体験したからこそ、わかってきたことかもしれません。
現世的な意味では、節子は取り戻せませんが、節子は今もなお私の中に生きています。
願わくば、早く彼岸に行って、お互いのその後のことをゆっくりと話し合いたいものです。

ところで、イザナギやオルフェウスの失敗は、自分を基準にして考えているからだと書きました。
もしそうであれば、彼らは生前もまた、自分を基準にしていたはずです。
つまり、イザナギにとってのイザナミ、オルフェウスにとってのユーリディスは、所詮は自分のものでしかなかったのです。
だからこそ、取り戻そうなと考えたのでしょう。
そこには「愛」はないのかもしれません。
イザナギやオルフェウスのような愚挙は起こしたくないものです。
生あるものは、たとえ自らであっても、所有することなどできないのですから。

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