■「自らの考えを善と主張する悪」
友人からのメールに面白い話がありました。
息子さんが就職し、バイク通勤することになったのだそうです。
それまでつかっていたバイクを使用するというので、
せめてもの親心という思いで、汚れていたバイクを雑巾で綺麗に拭いてあげたのだそうです。
そうしたら、息子さんから「余計なことしないでよ」と怒られたというのです。
そのつづきは、その人から来たメールを引用させてもらいます。
彼らしからぬ物言いに、ちょっと驚いたのですが、いろいろ考えさせられる話です。
きれいな車やバイクだとイタズラされるとのこと。
わざと汚れるままにしていたのです。
子ども達をとりまく現場の厳しさは承知していたはずなのに、
あらためて現実を突きつけられた思いでした。
おそらく私たちは、自分では気づかないままに、こうした「余計なこと」をいろいろとしてきているのでしょうね。
ヘーゲルは、近代の啓蒙社会には、それまではなかった新しい「悪」が現われたといいます。
「自らの考えを善と主張する悪」です。
神から解放された主体性をもった人間は、自らの考えを持つことができるようになりました。
ということは、世の中に多様な考えが発生したということです。
いわゆる価値の多様化ですが、そのことは自分の考えと違う考えを尊重するということが重要になってきたということです。
まあ、ヘーゲルを持ち出すほどの話ではないではないかと言われそうですが、私はこの話を聞いて、すぐにヘーゲルと多文化共生に取り組んでいる友人の顔を思い出しました。
自分の考えで人と関わるのではなく、人とのかかわりの中から自分の考えを育てていくことがますます大切になってきているような気がします。
私自身の直すべき点を教えてもらったような気がします。
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