■世界を見る枠組み
昨日の話です。
JRの小田原駅のホームで、中年の男性が怒って、隣のたぶん知り合いでない男性に話していました。
「次の電車の発車まで15分もあるので、ゆっくり歩いてきたら、階段を下りたら前の電車のドアが閉まった。まだ前の電車がホームにいるのに、改札口の表示ではもう発車済みになっていた。まだホームにいたことを知っていたら、急いでホームに着て乗れたのに、15分もホームで待たないといけない。むかしはこんなことはなく、ホームの駅員が階段の上を見て下りてくる人がいないか確認したものだ。」
怒りが止まらなかったのか、次の電車が来るまでの15分近く、ずっと怒りをぶちまけていました。
私も似たような体験がありますが、最近は駆け込み乗車を避けるために少し早目に表示を替えるようです。
まあどうでもいいような話なのですが、その人の話を聞きながら(大きな声で話していたので耳に入ってきたのです)、私も最初内心で賛成してしまいました。
私も全く同じ行動をしていたからです。
表示がもし替わっていなければ私も十分間に合いました。
正直、ちょっとムッとしました。
もし彼が私に話してきたら、同調してしまったかもしれません。
しかし、やはりこれはJRの対応が正しいように思います。
むしろ、急いで乗ろうとして怪我をする危険から守ってくれたことを感謝すべきです。
この話はいろいろと考えさせられました。
まず、私たちはどうしてこうもせわしなくなってしまったのかということです。
次に、私たちはどうしてこうもわがままになってしまったのかということです。
まあ、これは私自身の生き方への反省ですが、もうひとつ気づいたのは、
みんなのために親切な仕組みをつくればつくるほど、みんなの不満は高まるということです。
つまり、満足と不満とは反比例の関係にあるのではなく、比例関係にあるということです。
これはとても示唆に富むことです。
満足も不満も同じことだということを示唆しているのですから。
私たちは往々にして、いわゆる対立概念は反対のものだと考えがちです。
しかし、もしかしたら、私たちが考える「対立構造」は根本から間違っているのかもしれません。
つまり私たちが世界を見る枠組みが大きく変わってきていることに気づいていないのかもしれません。
枠組みを変えると、きっと私たちの生き方も変わっていくでしょう。
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