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2009/04/09

■節子への挽歌585:桜祭りに行けない人

桜の花が伝えるメッセージはいろいろです。
ちょうど「お花見のお誘い」を受けた日に、挽歌の読者からもらったメールです。

今日は暖かかったですね。私の地元では昨日今日と桜祭りでした。
もちろん私は行きませんでしたが。
とてもよくわかります。
この方には、私はまだお会いしたことがないのですが、いつもいただくメールに書かれた思いが自分の思いのように感じられることが少なくありません。
今回のメールで初めて年齢を知りましたが、私よりも一回り若い方です。
愛する人を失って3年が経っているそうです。
その、いわば私の先輩がこう語っています。
自分の残された人生、たぶんずっとこのような感覚は消えないのでしょうね。
このような感覚とどう付き合っていくか、訓練する必要がありそうです。
「このような感覚」
体験した人でないとなかなかわからない「感覚」だと思いますが、それはなかなか消えないようです。
昨日お会いした武井さんは10年以上かかっています。
この方は、環境を変えようと会社まで辞めてしまいましたが、結局は同じでした。
「どうすごしても何もかわらない」
その言葉がよくわかります。

しかし、ここにきて新しい仕事に向かうことになったそうです。
新しい世界は「介護福祉」の世界です。
きっととても人間的な介護福祉士になることでしょう。
介護福祉士は、介護するだけでなく、自らもまた介護されるようなヴァルネラビリティ(弱さ)を持っていることが大切だろうと、私は思っています。

実は、この方が愛した人も「節子」という名前だったそうです。
不思議な縁です。
きっとそのうち、お会いできるでしょう。
同じ思いにある人が前に向かって進みだすことは、私にも元気をくれます。
私もみんなに元気を分かち合えるように、もっともっと前に進もうと思います。

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