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2009/04/29

■自殺企図者という言葉

その世界には、その世界の言葉があるものですが、そうした言葉からその世界の本質が見えてくることは少なありません。
人は言葉によって、思考が大きく影響されますし、外部とのコミュニケーションにおいても言葉の役割はとても大きいです。
言葉は文化や生き方を規定します。

私は20年近く前に保育の世界に関わりましたが、その時にショックを受けた言葉が「措置」でした。
保育にかける子供を「措置」する、といった表現が保育者から出てくると、その人の人格さえもが疑われましたが、当時の福祉の世界ではほとんどの人があまり違和感なく使っていました。
私が違和感を表明すると賛成はするのですが、やはり次もまたその言葉を使います。
私が、それぞれのタコツボの中で問題解決していても限界があると感じたのは、そういうことの積み重ねでもありました。
しかし、措置などという発想で扱われる子供たちが不幸に思えました。

自殺関係のNPOに関わりだしてからもう5年ほど経ちますが、最初に違和感をもった言葉は「自殺企図者」です。
自殺を企てる人という、文字通りの意味なのですが、私にはなじめない言葉でした。
しかし自殺防止に取り組んでいる人たちには違和感がなさそうです。
今回、「自殺のない社会づくりネットワーク」に向けての集まりをやったのですが、その案内などにはみんなの意向もあって「自殺企図者」という文字をそのまま使っていましたが、どうにもやりきれない気持ちがしてきて、最後の資料づくりの段階では勝手に「自殺を考えたことのある人」という表現に変えました。
たぶん、「自殺企図者」という言葉は、私の辞書からはなくなりました。

自殺とは無縁な福祉活動に取り組んでいる人たちに、「自殺企図者」という言葉の印象を聞いてみたのですが、ある人は「ドキッとしました」と言いました。
だからこそ効果のある言葉なのかもしれませんが、その人は私と同様にこんな言葉を使われると、このテーマには距離を感じて関わりたくないと思ったそうです。

私にとっては、「自殺企図者」は人間性を感じない冷たい言葉です。
こういう言葉を語っている限り、自殺問題の本質は見えてこないのではないかと思うほどです。
ちなみに、福祉の世界にはそういう言葉が少なくないように思います。

ある人と話していて、自殺は「するもの」か「させられるもの」か、という議論になりました。
彼は、自殺を企図するのであれば、それを止められるはずがないのではないかと言いました。
私は、自殺は「する」ものではなく、「させられる」ものだから止められるし、止めないといけないといいました。
私にとっては、自殺は「企図」の対象にはなりません。
「自殺問題」をどう考えるかの、本質的な問題がそこにあるように思います。

誤解のないようにいえば、私は「自殺企図者」という言葉を否定しているのではありません。
私には違和感があると言っているのです。
今でも「措置型福祉」を望んでいる人も少なくありませんし、行政の基本発想は法が変わろうと制度が変わろうと、措置発想が今なお強いように思います。
私は反対ですが、それはあくまでも私の個人的意見でしかありません。
様々な考えがあっていいのです。

この時評編では、私は自分の考えを断定的に言い切ることが多いので、誤解されがちなのですが、ここで言い切っている考えは、あくまでも私の個人的な意見であり、普遍性があるわけではありませんし、これが正解だなどというつもりもありません。
コメントやメールで時折私の考えを否定してくる人がいますが、そんなに買いかぶってもらう必要はありません。
いろいろな考えがあればこそ、社会は豊になるのです。

自殺の問題も非常に微妙な問題なので、考えを言い切ることへの反発があるでしょうから、あえて蛇足的にいいわけを書いてしまいました。
最近、不快な批判に答えるのが疲れてきましたので。

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コメント

自殺企画者と言う言葉にドキッとしました。措置にも驚きますが、製造企業で派遣労働者を担当するのは人事、総務、資材調達のどの部門かと言うのに、資材調達だと言う事に驚きました。
何時から人間は機械の一部分の様に扱われるようになったのでしょう。新自由主義の金融工学から派生したのでしょうか。
人間は知性も感性も有るのにそれも無視してゾンビのようにしようと言うのでしょうか?つい過激な事を言ってしまいました。

投稿: maron | 2009/05/01 03:01

資材調達ですか。
まあそういうところに、その会社の本質が露呈しているのでしょうね。

過激になりたいくらい、今の社会はどこかおかしいですね。
どうやって直していくか。
疲れますが、できるところから動かないいけないのでしょうね。

最近は、本当に疲れます。

投稿: 佐藤修 | 2009/05/06 20:21

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