■企業献金議論の限界
企業献金に関しては、こういう議論があります。
いつも冷静に問題解析している日経の加瀬記者が盛んに話す論理です。
もし企業献金が何らかの見返りを求めるのであれば、買収につながる。
もし見返りを求めないのであれば、株主に対する背任行為になる。
だからいずれにしろ、企業献金は全廃すべきである。
おそらく多くの人は「なるほど」と思うでしょう。
しかし私は、1970年代に世界を席巻したフリードマンの亡霊を感じます。
私の考えでは、想像力の欠如です。
想像力の欠如は、社会を偏った方向に向かわせかねません。
フリードマンは、企業の社会貢献活動を否定しました。
裁判では時代の流れの中で、企業の社会活動は認められる方向で動きましたが、時代はそうしたフリードマンの経済思想で動いてきました。
そうして金融不況が発生したのです。
1960年代のアメリカで、「コーポレート・シチズンシップ」の議論が広がりました。
企業も社会の構成員として、しかるべき社会活動をすべきだという議論です。
日本でもその発想は紹介されましたが、大学教授の世界でしか話題にはなりませんでした。
私の記憶では、経営者の社会的責任を議論していた当時の経済同友会さえもあまり関心を持ちませんでした。
1990年代になって、コーポレート・シチズンシップは日本の企業にも広がりだしました。
そのきっかけをつくった一人は、当時、笹川平和財団にいた田中弥生さん(最近の「NPO新時代」の著者)です。
彼女が中心になって、「コーポレート・シチズンシップ」を出版するのに協力し、ささやかにその考えの広がりを応援しました。
そのときに、こうした活動の基本にあったのが、”Enlighten Self-Interests”(啓発された自己利益)という考え方です。
社会は企業の存在基盤です。
社会が健全で元気であってこそ、社会も元気になります。
決してその逆はありません。
1990年代、IBMは、企業の社会活動(コーポレート・シチズンシップ活動)は企業にとっての存続に関わる課題(サバイバル・マタ-)だと言っていました。
ところが、フリードマンのような「有識者」や「経営学者」が、その足を引っ張り、企業に短視眼的な儲け主義を植え付けたのです。
さて、企業の政治献金です。
目先の工事受注のための献金が問題なのはいうまでもありません。
しかし、長期的な視点で政治に献金していくことは、むしろ大切なことだと思います。
そうしたことを考えずに、何でもかんでも企業の政治献金はやめるべきだという人に、ぜひ考えてほしいものです。
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コメント
真面目に政治家として活動する為には政治資金は欠かせないものだとおもいます。 広い視野で政治を考えるには国民の声を聞き、広く歩き回って実際に視察し行動し、勉強しなければならないとおもいます。
企業も健全で平和な社会を望むなら、当然企業の社会活動は認めるべきだと思います。
政治家に献金したお金は元来、より良い政治の為に出したものだと思います。
もしそれが贈収賄になればその時点でしらべれば良いのじゃないでしょうか。
見返りを求めなければ株主に対する背任だと言うのもおかしいと思います。企業はこの人民が住んでいる国にあるのですもの、社会活動は認めるべきだと思うのですが。
投稿: maron | 2009/04/12 14:12
貴方のおっしゃるとおり、社会は企業の存在基盤で、経営者は社会的責任があり、社会に貢献するのは当然だと思います。 政治家は活動資金が必要で、企業も政治家も献金が正しく使われる限り良い社会、良い政治の為の浄財だと思います。
不幸にして、入札を左右したり、贈収賄に関係が有れば、その犯罪で、其の時摘発されるべきでしょう。
企業の献金は個人の献金と同様に考えてもいいのじゃないかと私は思います。
投稿: maron | 2009/04/13 00:02
maron さん
ありがとうございます。
同感です。
もっと内容に即して考えていく必要があると、私も思います。
簡単な一言でいろんな要素をくくってしまい、それを
○か×かで簡単に色分けしてしまう風潮が広がりすぎているのが気になりますね。
投稿: 佐藤修 | 2009/04/14 07:28