■節子への挽歌602:元気であることへの期待
昨日、ある集まりをやったのですが、節子の発病以来、全く会う機会のない友人が参加してくれました。
最後のオープンサロンの時に、節子に花束をくれた石本さんです。
開口一番、なんだ元気じゃないですか、というのです。
顔色もいいし、むしろ太ったようですね。
節子がいなくなった後、なぜか私に会いに来なくなった人たちがいます。
まあ用事がなければ会いに来なくて当然なのですが、もともと私のところに来る人は別に用事などない人が多いのです。
ではなぜこなくなったのでしょうか。
たぶん、「元気」ではない私には会いたくなかったのでしょう。
ですから、みんな私の「元気」に出会えてホッとするわけです。
しかし、こういわれると、なんだか元気なのを咎められているような気もします。
それに、私の内部にも、元気になったしまうことに対する罪悪感もあるのです。
伴侶や家族を亡くした時に、残されたものがどうあるべきか。
そんな「社会的期待」があるのかもしれません。
言い換えれば、私たちは、そうした「社会的めがね」を通して、人を見ていることが多いように思います。
それだけでなく、当事者もまた、そうした「社会的通念」の期待に応じてしまうように、無意識に反応してしまいがちなのです。
少し大げさな言い方をすれば、それが福祉問題を考える時の一番の障害になっているのです。
私はただ、心のなすがままに、自分を生きていますから、いつも元気です。
それがなかなかわかってもらえません。
元気ですが、悲しみ涙ぐみ、落ち込み、気力を失い、嘆き、呆然とし、混乱し、思いにふけり、我を忘れてしまうことは、あるのです。
節子
最近また活動がどんどん広がってしまってきました。
みんなは、「それでこそ佐藤さん」「以前の佐藤さんに戻ってきてうれしい」と言ってくれます。
でも私のことを一番よく知っているのは、いうまでもなく節子です。
節子はどう思っているでしょうか。
時々、そのことを思います。
世界中の人が喜ぼうとも、節子が喜ばなければ、私には全く意味がありません。
私がどうあろうと、私らしく生きていれば、節子は喜んでくれていることは、もちろん知っているのですが。
| 固定リンク
「妻への挽歌04」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌800:レインボーブリッジの夜景を見ながら思ったこと(2009.11.10)
- ■節子への挽歌799:脱余生考(2009.11.09)
- ■節子への挽歌798:節子の寝顔ももうありません(2009.11.08)
- ■節子への挽歌797:ラ・フランス(2009.11.07)
コメント