■消費者(消費機関)から生活者(人間)へ
昨日の、「消費力開発戦略」の続きです。
途中に、よせばいいのに、スーザン・ボイルさんのことを書いてしまいましたが。
誤解があるといけませんが、私は「消費力開発」を肯定しているのではありません。
その反対で、消費力開発に向かってしまった経済のために、社会は壊されてきていると考えているのです。
昨日も言及した、ラルフ・ネーダーのコンシューマリズムは、そうした経済に「生活」の視点を呼び起こすチャンスでした。
私はそこで経済に対する興味を初めて感じました。
まだ企業に在籍していましたが、コンシューマリズムの調査を行い、トップに報告しました。
その視点でいろいろと見ていくと、その時点(今から40年近く前ですが)でも社会の問題が見えてきました。
廃プラ、ゴミ問題、リサイクル、省エネ、ソフトエネルギーパス、バイオマス、工業の農業化など、いまなお問題のテーマを調べ、トップに提案していったりしました。
そして結局、会社を辞めてしまったわけです。
工業は「死に向かうパラダイム」の上に乗っています。
サブシステムとしてはいいですが、それがメインになると、主導権は人間から外れていくように思います。
たとえば、当時、盛んに言われたのが「静脈産業論」です。
いわゆるリサイクル産業ですが、それが「工業論理」に乗っている限り、結果はますますの環境汚染につながっていくはずです。
北九州市のエコタウンも2日間、じっくりと見せてもらいましたが、矛盾の集積でした。
大切なのはリサイクルでも省エネでもなく、省資源です。
リサイクル法はすべて消費力開発の視点で設計されていますから意味がありません。
資本主義の当初、経済はたぶん生活からの需要に合わせた「生産」が主導していたのではないかという気がしますが、それでは利益も少ないですし、成長も緩やかです。
そのため、ある段階から「需要創造」が始まりました。
それがトルーマン宣言からはじまる「開発主義」「進歩主義」なのでしょう。
しかし、「需要創造」とは「生活破壊」「環境消費」であり、「顧客創造」とは「生活者排除」なのです。
そしていまや企業のみならず、政治までが「需要創造」「顧客創造」を先導しているのです。
マスコミは、それに加担して利益を得ています。
新聞は、広告によって成り立っているわけです。
福祉政策や教育政策も、福祉や教育の世界までをも市場化し、消費機関にしていこうということでしかありません。
こうした動きへの対抗策は一つです。
消費力開発戦略を反転させることです。
それができなければ環境問題は解決せずに、持続可能性などは絵空事になるでしょう。
個人のできることは、消費者(消費機関)から生活者(人間)に戻ることです。
しかし今の社会の中に生きている人にとって、それは至難のことでしょう。
経済が縮小スパイラルに入ると大変だと脅されると躊躇します。
しかし、7代先の子供たちのことを考えたら、そうしなければいけません。
50年くらいの時間軸で、まずはできるところから一歩踏み出す。
それが今の私の生き方です。
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コメント
リサイクル産業も工業理論に乗っている限り結果は環境汚染に繋がると書かれていることで、フェルシルトを土壌改造土として埋め立てられた瀬戸市の見学に行ったときの現場が鮮やかに浮かんで参りました。
フェロシルトは石原産業が二酸化チタンの製造工程で出た廃硫酸と他の廃液も入れて作った物で、六価クロム、フッ素、ウランやトリウムも含まれ、魚や生物は死に、遺伝情報の狂った奇怪な植物、強烈な印象でした。
資本主義では経済成長の為には需要創造が必要だと言う理論にはついて行けません。
昔の人は着物一枚も色々リサイクルして最後は雑巾にして使った謙虚な生き方に人間らしさをかんじます。
投稿: maron | 2009/04/25 23:01