■「経済成長あっての環境と福祉」なのでしょうか
資本制社会下での行政においては、環境対策も福祉行政も「経済成長あっての」ものであり、それらは経済成長のサブシステムでしかありません。
そのことが昨今の「経済政策論議」で明らかになってきていますが、時限を逆転させると政策は全く変わってきます。
そして、それがたぶん可能なのだろうと思います。
フォードが断行した「5ドルの挑戦」は、そのことを示唆しています。
数年前に日本能率協会が環境経営の提言を出す際に、少しお手伝いさせていただきました。
私は「環境と成長のシナジーに向けてのイノベーション」に関心があり、環境と企業との共進化を構想しましたが、一人で考えていてもなかなか具体策が見えてこず、何となく見えてきた団塊で締め切りになってしまい、いささか中途半端な仕事をしてしまったといまも反省しています。
しかし、そのときに感じたのは、発想の枠組みを変えようとする経営者の少なさでした。
企業成長のために環境や福祉があるのか、環境や福祉のために企業成長があるのか、という問題です。
いうまでもありませんが、後者に決まっているのですが、多くの人はどうも前者で考えています。
それが先日書いた「組織基点発想」の落とし穴です。
仲間の従業員を解雇して、企業が生き延びる意味があるのでしょうか。
多くの人は「ある」というでしょう。
私は躊躇なく「ない」と断言しますが、ではその結果、企業が倒産したらどうするのかと詰問されそうです。
倒産したらそれはそれで仕方がなく、その先どうするかを仲間みんなで考えればいいだろうと思うのですが、たぶん受け入れられないでしょう。
映画などで、一人の生命を守るか多くの人の生命を守るかというような場面があります。
一人を犠牲にすることで、大勢の生命が救われるとしたらどうするか。
いわゆるコラテラル・ダメッジの問題です。
実際にそうした現実に直面することはあるでしょう。
しかし、勘違いしてはいけないのは、企業倒産はそれとはまったく別の話です。
第3の解決策があるにもかかわらず、問題を白か黒かにしてしまうのは危険です。
いま私たちは、あまりに景気浮揚とか消費拡大に目を向けすぎているような気がします。
ガソリンへの特別税を廃止するかどうかで議論になったときに、自動車利用を促進して環境汚染を進めていいのかという議論があったように思いますが、最近は高速道路料金を安くして自動車利用を増やすことに関しては誰も環境問題を言いません。
昨日は「仕事観」のことを書きましたが、問題は「経済とは何か」ということなのかもしれません。
「経済成長あっての環境と福祉」を逆転させて、「環境と福祉のための経済成長」を考えなければいけないように思います。
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