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2009年5月

2009/05/31

■羽田空港検疫官木村もりよさんの疑問

羽田空港検疫官の木村もりよさんが、テレビのインタビューで、新型インフルエンザ対策で行われた空港や機内での検疫を、明確な言葉で批判しているのを観て、厚生労働省職員にもこうした人がいるのかと驚いたのですが、数日後に彼女が参院予算委員会に参考人として発言しているのをニュースで見て、さらに驚きました。
木村さんは、そこで、「マスク、ガウンをつけて検疫官が飛び回る姿は、国民にパフォーマンス的な共感を呼ぶ。利用されたのではないかと疑っている」と述べたそうです。
あの画面を見て、私が感じた第1印象と全く同じです。
表面的な広報技術を学んだどこかの広報コンサルタントの浅知恵が、また馬鹿なことをやらせていると思いました。
広報は、実体が基本ですが、昨今の広報コンサルタントのビジネスは本末転倒していることも少なくありません。
後で知ったのですが、木村さんは「厚生労働省崩壊」という著書もあるそうで、早速、アマゾンで注文しました。

木村さんは、テレビ取材の前に、省内でも上司にしっかりと反論していたと思いますが(もしそうでなければ、彼女自身の行動こそがパフォーマンスということになります)、そうした議論があったということだけでも少しホッとします。

組織では、「意思決定」と「行動」との距離が少なからずあります。
行動は、社会と接点を持つ組織の境界領域で展開されますが、意思決定は多くの場合、社会と切り離されたところで行われます。
組織が大きくなると、その距離が大きくなるために、組織は現実とは無縁の論理で動き出しますから、どこかで破綻します。
ところが、行政制度の場合は、破綻せずに、それぞれが別々の世界を形成していくことがありえるのです。

たとえば、厚生労働省の意思決定者にとっては、インフルエンザの流行を止めることは第二義的な意味しかなく、予防対策を展開していることを社会に示すことが目的になってしまうわけです。
これが日本の行政お得意のアウトプット型行政です。
景気対策は予算を増やして、歳出を増やせばいいのです。
だから何も考えていない麻生首相や与謝野さんにもできるのです。
それが効果的に活用されるかどうかは全く関心の外です。
たとえば、霞が関のさまざまな助成金は、それこそ湯水のごとくばら撒かれていますから、その恩恵を受けて不労利益までもらっている人ですら罪悪感や違和感をもつほどです。
その成果には関心はありません。
しかし、アウトプット方行政とは、そういうものです。

それに対して、アウトカム型行政というのが、一応話題にはなりだしています。
ちなみに、私のこのブログに立ち寄ってくれる方の、検索ワードのトップは「アウトカム」なのです。
私のブログではそれほど話題にはしていませんが、不思議です。

アウトカムから発想すると木村さんのような指摘が出てくるのでしょうが、アウトプット発想からは出てきません。
そもそも最初に「パンデミック仮説」があるわけですから、感染者が大量に出てくることを前提にして方策が仕組まれています。
ですから、大量感染という事態になっても、行政は何のお咎めもない大勢が最初から用意されているわけです。

そうした行政の本質的な仕事への取り組み方を、木村さんは問題提起しています。
おそらくそう遠くないうちに、木村さんは大学の先生に転身されるでしょうが(つまり厚生労働省にはいられなくなるでしょうが)、現場起点のアウトカム発想から霞が関を組み変えていかなければ、厚生労働省は生活に役立つ省にはならないように思います。
分割すればいいというような問題ではないでしょう。

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■節子への挽歌637:68歳と62歳

節子
今日は昨日の続きではなく、別の話題を書きます。
昨夜、節子の夢を見ました。

昨日は私の68歳の誕生日でした。
昼間は「支え合いネットワーク」の交流会をやっていたのですが、夕方帰宅したら娘たちがお祝いの用意をしてくれていました。
私の好きなサザエと節子伝来の手づくりケーキが用意されていました。
プレゼントはないのかと督促したら、何と「肩たたき券」をくれました。
最近、私がかなりの肩こりになっているのをよく知っているのです。
いずれも、節子の文化を継承した、お金ではなく誠意のこもったお祝いです。
節子は、やさしい娘たちを残してくれました。
まあ、彼女たちがまだ家にいるのが問題ですが、今日はそんなことも忘れて、ただただうれしく思いました。
しかし、いつか書いたように、うれしい出来事は同時に、節子がいない寂しさを思いだせもするのです。
いささか浴が深すぎるかもしれません。

私は68歳になりましたが、節子は今なお私の中では62歳です。
節子とだんだん歳が離れていくような気がしないでもありません。
節子が彼岸へいってしまった時点で、節子は私にとっては永遠の存在になってしまいました。
もう歳はとらないのです。

人は不思議なもので、自分の年齢さえも相対的な目で考えます。
小学校の同級生と一緒にいると、相変わらずみんな小学生時代に気持ちになってしまいます。
節子と一緒だと、自分が年老いてきていることをあまり感じませんでした。
2人とも歳をとっているので、年齢の関係は変わらないからです。
時々、老いを感ずることはありましたが、普段は感じませんでした。
ところが、節子がいなくなった途端に、私の場合は、老いていく自分を認識できるようになりました。
娘たちとの関係も変わりました。
節子と一緒だった時は、私たち夫婦の子どもという位置づけは動きませんでしたが、節子がいなくなり一人になってしまってからは、娘に養われる老人という自覚が生まれてきました。
伴侶を亡くすと、人は一挙に歳をとってしまうのかもしれません。

その逆の話も時々聞きます。
若返る事例もあるようですが、いずれにしろ年齢感覚が変わってしまう気がします。
私の場合は、老いを強く意識するようになりました。

節子が祝ってくれる誕生日と娘たちが祝ってくれる誕生日とは、全く異質なような気がします。
こんなことをいうと娘たちには申し訳ないのですが、やはり妻に祝ってもらう場合は若さを感じますが、娘たちに祝ってもらうと何となく老いを感じてしまうわけです。
まあ、実際にはそれが正しい感覚なのですが、伴侶がいると「老い」さえも感じないですむということかもしれません。
「横断歩道、一緒に渡ればこわくない」という話と、どこかでつながっているかもしれません。

それにしても、娘たちはよくしてくれます。
すべては節子のおかげです。
娘たちや節子のやさしさに報いるためにも、老いを活かしていかなければいけません。
68歳らしい生き方は私にはできませんが、私らしい生き方で68歳を過ごそうと思います。
62歳の節子が応援してくれているはずですから。

ところで、冒頭に書いた、昨夜の節子の夢です。
節子はよく夢に出てきますが、いつもはさりげない形で日常的に出てきます。
昨日は違いました。
夢の中で、節子と久しぶりに唇を重ねました。
滅多にない夢です。
節子からの久しぶりのプレゼントです。

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2009/05/30

■国王の処刑

いささか穏当でない話を書きます。

自分たちを統治するために国王を選んだのであれば、その統治がうまくいかない場合、国王は追放されるのが論理的です。
国王が神から選ばれた場合、もし統治に失敗すれば、処刑という運命が待ち構えていたという話を本で読んだ記憶があります。
心当たりの本を少し探してみましたが、見つかりません。
ですから引用はできないのですが、この文化は多くのことを含意しています。
もっとも、その文化は、クロムウェルが英国国王を処刑し、フランスでは革命軍が国王を処刑したあたりが最後だったかもしれません。
ナポレオンもヒトラーも処刑されませんでした。

それに類した話は、今もなお続いていますが、多くの場合は、単なる権力闘争でしかありません。
しかし民の幸せを踏みにじるリーダーは追放ではなく処刑こそが相応しいと、私は思っています。
誤解される恐れがありますが、処刑に賛成しているわけではなく、自らの生命を賭けるほどの自覚がなければ、人を統治すべきではないということです。
統治の失敗は、多くの民の生命を損なうことにつながっているのですから。
事実、この10年、どれだけの人が政治の失敗で生命を失っていることでしょうか。
私は小泉元首相は凶悪犯罪者と考えていますが、私にとっては麻生首相も間違いなき犯罪者です。
いずれも近世以前であれば、処刑の対象者です。

彼らがもし企業の社長だったら、たかだかその会社を倒産させる程度ですんだかもしれません。
その息子は、借金に苦しんだかもしれませんが、まあ世襲の輪は切られ、彼も自分の人生を生きることができるようになるでしょう。
そうなる前に、殿ご乱心と社長を諌める人が出てくるかもしれません。
株主(最近の株主には倫理も良識もないかもしれませんが)も動き出したかもしれません。
しかし、国家の場合はそういう動きは出ないのです。
今の麻生政権を見ればわかるでしょうが、首相の犯罪は周りの人たちで守られているのです。
しかも首相は誰も辞めさせられません。
それを利用している官僚たちは、無能な人であるほど、辞めさせないでしょう。
首相の座を投げ出すほどの勇気も能力もない人が首相であることは、官僚にとっては実にうれしいことでしょう。

北朝鮮の金正日を独裁者と言う人がいますが、麻生首相はたぶんそれ以上の独裁が可能でしょうし、事実そうしているように思います。
国民の税金は湯水のように浪費され、自然環境も生活文化も壊され続けていますが、誰も止められません。
いまどき、クロムウェルは出てきませんので、彼はのうのうと絶対君主役を楽しみ、任期が終われば、処刑されることもなく、余生をさらに楽しめるのです。
未開社会の国王を処刑する文化のほうがいいのではないかなどと、この頃、つくづく思います。

ついでに言えば、人を裁く者もまた、その行為によって自らを裁かれるほどの緊張感がなければ、その任につくべきではないと私は考えています。
その自覚がないために冤罪が後を絶ちません。
そこが司法改革の出発点だと思いますが、それとは全く逆方向の司法改革が進められています。

韓国では前の大統領が自殺しました。
この事件から、こんな妄想を膨らませてしまいました。

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■節子への挽歌636:医師と患者の関係の悩ましさ

節子
私も68歳になりました。
そのことをどう節子に報告しようかと先週から思っていたのですが、今日は全く違う話を書きます。
昨日の話です。

節子の主治医だった先生からメールをもらいました
何回も読んだのですが、先生の許可を得ずに掲載することにしました。
許可を得てないので匿名にさせてもらいます。

昨年の手賀沼エコマラソンの次の日に書かれた日記を先ほど見る機会を得ました。
正直動揺してしまいました。

佐藤さんが「がんセンターにはいけなくなってしまいました。
近くに行くことはあるのですが、入れません。」と書かれていた気持ちは非常によく分かる気がしたのです。
「医師と患者、そして患者の家族の関係はとても微妙です。」という事も含めてです。

今でこそ白状いたしますが、節子さんが亡くなられる少し前(正確には覚えていませんがおそらく1ヶ月くらい前だと思います)に、2人の娘を連れて佐藤さんの家の前まで行ったことがあります。
もちろん節子さんに会ってお話ししたいと思ったことと、うちの娘を節子さんに会わせたかったからです。
どうしてそのように思ったのかはうまく説明できませんが、とにかく娘と共に会いたかったのです。
いろいろとお菓子を作ってくださったこともありましたし、家で佐藤さん方の事は話ししていたこともありましたが、本当のところはうまく説明できません。
その時僕は車を止めて、呼び鈴を押すかどうかしばらく迷い、やめて帰りました。
子供にもどうして折角きたのに会わないの?と言われましたが
その時の僕はそのような判断をしました。

その数日前に僕の妻に、節子さんに会おうか迷っているのだけどと相談したところ、
彼女より「医師と患者さんの関係は微妙であり、時に私情が過ぎるとうまくいきませんよ」とアドバイスされました。
彼女の言葉が大きかったのは事実ですが、その後もあの時会っておけば、と何度か思ったのも事実です。

佐藤さん方と同じように、ずいぶん深く関わっていながら内科治療に移っていったある患者さんが今入院しています。
内科の主治医に状態がすぐれないことを夕方聞きました。
そのあと偶然、佐藤さんのホームページを久しぶりに見たのです。
今日は当直なのですが、先ほどその患者さんに会いに行きました。
もう意識はなく僕が来たことがわかってもらえたか自信がありませんが、
僕ははっきりと、僕が呼びかけたときにうなずいたと分かりました。
その患者さんがずっと僕に会いたがっていたと家族の方々に教えて頂きました。

今日僕がこのような行動をとることができたのは、佐藤さんのおかげです。
急にこんな事を言われて変だと思わないでください。
とても偶然なことなのですが、
もしあの文書を読むことがなかったら、
勇気が出なかったというのが正しい言い方なのかもわかりません。
そして2年前の8月には、その勇気が出せませんでした。

これについて、少し私の気持ちを書こうと思いましたが、やはり涙が出てきて書けません。
1日、間を置いたので大丈夫かと思っていたのですが、今読み直したら、また胸が痛くなりました。
明日か、明後日、つづきを書きます。たぶん。

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2009/05/29

■無残な軽井沢

昨日から軽井沢に行っていたのですが、タクシーの運転手さんと話していたら、最近は相変わらず客が増えないとこぼしていました。
そして、彼が言うには、なにしろ最近の軽井沢にはアウトレットしかないですし。
少し耳を疑いました。

軽井沢の駅近くに大きなアウトレットができてから、もう何年になるでしょうか。
その話を聞いた時、なんでまたアウトレットなどを軽井沢につくるのか、と私はあきれてしまったことを思い出します。
でもまあ、それはそれなりの成功をしたように聞いていますが、「今、お客さんを呼びよせるものはアウトレットしかない」という話には驚きました。
軽井沢の観光行政は完全に間違っていることがはっきりわかります。
これではすたれるはずでしょう。
自分たちの魅力を自分たちで育てずに、外部資本の流行頼みのアウトレットに身を任せるなどと言う愚行は、もうとっくの昔に終わったはずなのですが、まだそれが「観光」などという馬鹿げた発想をしている人がいるわけです。
せめて、そのアウトレットを活かした「軽井沢の物語」を育てていかねばいけません。
数年前に千葉の御宿の観光に少し関わったことがありますが、そこで驚いたのは観光開発支援を業とする人たちの発想です。
そしてそれに依存しようとする行政の姿勢です。
せっかくの地域資源を活かすこともなく、浪費している事例があまりに多すぎるような気がしてなりません。

タクシーの運転手さんのぼやきは、もう一つありました。
最近のETC全国1000円制度で、土日の軽井沢は自家用車で埋まってしまうのだそうです。
地元の人に迷惑をかけるような施策は本末転倒しています。
浅知恵の麻生政権の得意技ですが、それに対抗しない地元も地元です。
対抗策はいくらでもあります。
それを考えようとしない地元の行政や観光業者、あるいは住民たちは麻生政権と同じレベルなのかもしれません。

国民は自分のレベルにあった政権しかつくれないという話は本当のようです。
私のレベルもまあ、麻生さん並だと思うと何だか恥ずかしくなりますが、もしかしたら麻生さんにうまくやられているのですから、それ以下なのかもしれません。
若い頃にもう少し勉強しておけばよかったです。
そうすればきっと今頃左団扇の生活ができたでしょう。
なにしろ麻生さん並の人たちが創っている社会ですから、いかようにも騙せそうな気がします。
いや、すでに私は騙されているのかもしれませんね。
自分のことは、なかなか見えないものです。

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■節子への挽歌635:節子の主治医だった先生からのメール

節子
仕事で昨日から軽井沢に来ています。
とても快適なシーズンのはずですが、昨日から雨です。
それも冷たくて強い雨です。

子供たちが小さい頃、夏休みにはよく家族で長野には来ましたが、軽井沢に来たことはたぶんないですね。
思い出がないおかげで、軽井沢に来るのはあまり抵抗はないのです。
しかし新幹線に乗ると、いつもとなりに節子がいたらいいのにと今でもつい思ってしまいます。
節子とはたくさん一緒に旅行もしたような気もしますが、もっともっと旅をしておけばよかったと思います。
節子との旅は、いつも本当に楽しかったです。

最近、朝早く目が覚めます。
今朝も5時には目が覚めてしまいました。
いろいろと節子のことを思い出しながら、持ってきたモバイルでメールを開いてみました。
思ってもいなかった人からのメールが届いていました。
節子の手術をしてくださった先生からです。
メールを読ませてもらって、涙が止まらなくなりました。
節子は手術後、その先生にずっと診てもらっていましたが、再発後は内科の医師に主治医が変わったのです。
しかし、最後までずっとその外科医の先生は相談に乗ってくれていました。
その先生が、このブログを読んでくれていたのです。
思ってもいなかったことです。

今日は思い出のない軽井沢と節子の話を書こうと思っていたのですが、それどころではなくなりました。
1日、時間を置いて、明日、この話を少し書かせてもらおうと思います。
うまく書けるかどうか、全く自信はないのですが。
でも節子にはぜひとも知らせておきたい話です。
正直、今は少し気が動転しています。
今日の仕事はうまくいくかどうか心配です。

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2009/05/28

■節子への挽歌634:私の周りの人間関係が変わってしまいました

節子
最近、私のブログやホームページから、私の元気が少し感じられだしたようです。
それを読んだ人たちが、もう大丈夫と思うのか、会いに来てくれるのです。

節子がいなくなって、いろいろな変化が起こりましたが、予想していなかったのは、私の交友関係が変わってきたことです。
それも節子との共通の友人知人ということではありません。
節子とは関係のない、私の友人知人との関係が微妙に変わってきたということです。
人は、一人では生きていませんが、人のつながりというのは、広範囲に影響しあうものだということを実感させられました。

たとえばこういうことです。
伴侶を失った後、何となく疎遠になった友人知人がいます。
何かがあったわけではないのですが、お互いに何となく会う気がしなくなったのでしょう。
そこにはそれなりの理由があるのでしょうが、会わないことで人間関係は変化します。
逆に、伴侶との死別を意図的に意識することなく、以前と同じように付き合ってくれる人もいますが、私自身が変わっていますので、たとえその人が前と同じように振舞っても、これもまた人間関係に微妙な変化を起こさせるのです。
自らの「半身」が削がれただけではなく、自分を取り巻く世界のバランスが崩れてしまうのかもしれません。

私自身の生きる基準が変わってしまったことが、その大きな理由でしょうが、気がついてみたら世界は一変してしまっていました。
節子がいなくなった後に、出会った人や世界もありますが、それらはなにかとても白々しくて、まだリアリティがないというか、それ以前の世界とうまく整合しないのです。
まあ、こんな理屈っぽいことを考えるのは私くらいかもしれませんが、これはただ理屈っぽく書いただけであって、実際にはシンプルな、もっと生々しい実感があるのです。
おそらく私と同じような体験をされた方は、私同様に友人知人との関係が大きく変わってしまっているのではないかと思います。

非日常的なことが起こると、人の素顔が見えてきます。
おそらく節子を見送るという、非日常を体験した私の素顔は、多くの人に見えてしまったことでしょう。
私自身にも、私が意識していなかった自分の素顔がいろいろと見えてきました。
そこには、私自身があまり好きになれない自分もいます。
でもまあ、そんな私の素顔を見ながら、会いに来てくれる人がいるのは感謝しなければいけません。

節子がいたおかげで、私はたくさんの人たちとのつながりを育てることができました。
その多くは、節子がいなくても育ってきたつながりだと思っていましたが、そうではないことに最近気づきました。
人のつながりは、とても微妙です。
人は、一人では生きていないことを、最近改めて痛感しています。

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■理念か現実かー党首討論の感想

昨日の党首討論は、残念ながらすべてを見ることができませんでしたが、報道ステーションが比較的長く流してくれたので、それを見ることができました。
私の評価は、大方のマスコミ報道とは全く違います。
価値基準が違うのですから、それは仕方がないのですが、一番気になったのは、麻生首相が、友愛や絆を説く鳩山代表を「問題は理念、抽象論ではなく、現実問題」と切り捨てたことです。
理念がないから日本の政治は迷走しています。
1980年代に、日本の政治は崩壊し始めたと私は思っていますが、その基本は理念の欠如です。
それが明確になってきたのは、1990年代に入ってからだろうと思いますが、総理大臣の職そのものが次第に私物化されたように思います。
もし1980年代に日本の政治が理念を失うことがなかったならば、今のような世界の混乱もなく、日本の社会の状況も全く違っていただろうと思います。

ジャック・アタリは近著「21世紀の歴史」でこう書いています。

多くの人々は、東京が(世界の次の)「中心都市」になるのではないかと想像するようになった。当時(1980年前後)の日本には金融力があり、経済はよく統制されていた。また、日本には貧困に対する不安感があり、テクノロジーと工業力があった。
しかし、日本は結局、その可能性を活かせず、世界の中心都市はロスアンジェルスに移ったとアタリはいいます。
さらにアタリは、日本の経済力は2025年には世界第5位ですらないかもしれないと書いています。
私は地すべり的に経済力も政治力も崩壊していくような気がします。
それが私たちの生活にとって良いか悪いかは別問題ですが。

理念がなければ社会は崩れます。
1980年代はともかく、1990年代になって、理念のない、つまり政権能力(マスコミと定義は違いそうですが)のない自民党政権が日本を壊し続けてきました。
それに便乗したのが、日本の大企業経営者でした。

もし今が100年の危機なのであれば、理念なくしては乗り越えられません。
現実対応は所詮は官僚に任せなければいけないのですから、その傀儡政権には政治はできないはずです。
その基本が、すべての議論から抜け落ちているような気がします。
「理念ではなく現実」
政治家の言葉ではありません。

この点を議論しないマスコミには失望します。
有識者といわれる人で、こうした議論を以前からしているのは寺島実郎さんくらいでしょうか。

麻生首相はまた、「国民の最大の関心は西松建設事件」といいました。
本当かな、と思いますが、少なくとも私は西松事件に大きな関心を持っています。
しかし、その関心は小沢さんの関係ではなく、検察と政治の癒着と言うことです。
政治に理念がなくなった時に、政治を正すのはだれでしょうか。
三権分立の発想から言えば、司法しかありません。
しかしその司法もまた、おかしくなってしまっています。
司法は壊れつつあるように思います。
裁判員制度は、それを加速させるでしょう。

党首討論での唯一の救いは、私には鳩山さんの「友愛」の発想です。
なぜこの理念が評価されないのか残念ですが、少なくとも私はこの理念で67年間生き続けてきて、今も豊かに暮らせています。
運がよかったのでしょうか。

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2009/05/27

■節子への挽歌633:深い信頼関係があれば、生きるも死ぬも同じかもしれない

節子
私たちは、お互いを信頼するという点では、一点の曇りもなかったですね。
まあお互いに頼りなさは感じていましたが、自らの生命ですら、相手の決断に託すことができるほどの、信頼関係があったといってもいいでしょう。

節子は、私に自らの生命のすべてを託しました。
それを、私ははっきりと実感していました。
だからこそ、それを守れなかった自分自身の不甲斐なさから、いまなお私は立ち直れないのですが、節子はそのことを微塵も後悔していないでしょう。
そのことには、自信があります。
立場が逆であったとしても、同じだったでしょう。
節子は私のために最善を尽くし、尽くしてもなお悔いを残したはずです。

人を、それも大人になってから初めて出会った他者を、これほど信頼できるということは、おそらく幸運としかいいようがありません。
私たちは、一度として、相手を裏切ることはありませんでした。
いや、そう言い切るのはわずかばかりの迷いがないわけではありませんが、節子も私も、相手に自らの生命をゆだねることにおいては、全くの躊躇がなかったと思います。
裏切られることはないという確信が、私たちには間違いなくあったのです。

人は他者を完全に信頼できるものだという体験があれば、生きるのはとても楽になります。
素直に自分を出すことにも躊躇がなくなります。
生きるためには、お金よりももっと効果的なものがあることも確信できます。
私の楽観主義も、節子の楽観主義も、お互いに伴侶を信頼できる関係をもてたからではないかと思います。
信頼する伴侶がいれば人は生きられる、と私は思っていました。

唐突にこんなことを書いたのは、理由があります。
今日、東尋坊で自殺防止活動をしている茂さんから電話をもらいました。
電話で話していて、突然思い出したのが、茂さんがこの活動にのめりこんでいった契機になった不幸な事件です。
テレビや新聞などで時々取り上げられるので、ご存知の方も多いでしょうが、茂さんの働きかけで、一度は死を思いとどまった仲の良いご夫婦が、その後、結局は死を選ばざるを得なかった話です。
いまでも茂さんは、その人たちからの最後の手紙を大事にとっています。
お互いに、心底、信頼しあっていたご夫婦がなぜ死ななければいけなかったのか。
以前から、そのことがずっと気になっていました。
今日、茂さんとの電話が終わった後、なぜか急にそのことが思い出されました。
そして、その疑問が氷解したのです。
心底信頼しあっていたからこそ、一緒の死を選んだのだ、と。
茂さんに話したら、そんなことはないといわれそうなので、内緒にしておこうと思いますが。

なぜそう思ったのか。
実は、昨日、書きかけてややこしくなってしまった記事は、「生きること」と「死ぬこと」とは同じことなのだという話なのです。
昨日も書きましたが、書いていてまとまらなくなっていたのです。
「生きること」と「死ぬこと」とが同じ、そんなはずはないからです。
でも、もしかしたらそれは正しいのかもしれません。
そんな気がしてきたのです。

もう少しまとまったらこの挽歌に書いてみたいと思います。
まだまだ未消化で、支離滅裂ですが、最近、生きることの意味が何となくわかってきたような気がしてきました。
死が近いのかもしれません。
節子が呼んでいるのでしょうか。

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2009/05/26

■節子への挽歌632:今日は挽歌が書けませんでした

節子
今日は挽歌が書けませんでした。
といいながら、まあ書いているわけですが、夕方書こうと思っていたら、来客があり、話しているうちに時間がなくなってしまいました。
彼が帰った後に書き出したのですが、昨日の続きを書き出したら、かなりややこしい話になってしまいました。
疲労している今日の頭では、どうもうまくまとまりません。

違う話題を書こうと思ったのですが、眠くなってきてしまいました。
今日は実にいろいろなことがあったのです。
まあ、いずれもたいしたことではないのですが、変化に富んでいたのです。
変化は、昔は元気の素でしたが、最近は疲労の素になるようです。
いやはや困ったものです。

今週はまだいろんなことが予定されていますが、週末の5月30日は私の誕生日です。
67歳最後の1週間は、なぜかいろんなことが集中してしまったようです。
67歳のうちに決着をつけておけということなのでしょうか。

まあこうやって、何かを書いていると話題が浮かんでくるのではないかと思っていましたが、今日はただ眠いだけです。
そういえば、なぜ最近眠いのかを書けばよかったですね。
これはやはり節子にかなりの責任があるからです。
でもまあ、今日は眠ることにしましょう。
明日はまた、いろんな人が湯島に来ます。
なんの相談に来るのでしょうか。
また何かに巻き込まれなければいいのですが。

そういえば、最近、時評編も時々書けていません。
決して忙しいわけではないのですが、なぜか時評編はモチベーションが下がっています。
その上、気ぜわしさが最近、私を覆いだしています。
能力以上のことを約束してはいけませんね。
節子がいたらきっとセイブしてくれたのでしょうが。

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2009/05/25

■北朝鮮の核実験で思うこと

北朝鮮の核実験が大きな話題になっています。
本当に次々と世間を騒がす事件が起こるものです。

ところで、私ですが、どうも感受性が弱いのか、常識がないのか、視野が狭いのか、利己主義なのか、馬鹿なのか、今回も「それが何なの?」という程度の思いしか出てこないのです。
危機感など全くないのです。
新型インフルエンザもそうですが、大騒ぎになるような事件に対して、どうしても騒ぐ意味が理解できないのです。
困ったものです。

もし今回の核実験が成功したのであれば、北朝鮮は日本への核攻撃が可能になったとテレビは報道しています。
まあ攻撃されたら逃げようもなく、恐ろしいといえば恐ろしいです。

しかし、です。
アメリカやロシアは、北朝鮮とは桁違いの核爆弾を保有しています。
なぜそれは脅威ではないのでしょうか。
自分たちは核爆弾を有り余るほど持っており、もしかしたその管理の不備から誰かに盗まれるかもしれないような状況にあるにもかかわらず、ほかの国がささやかな核爆弾をもつことをなぜ非難するのでしょうか。
核拡散防止条約に反するといいますが、なぜ既に持っているところは許されて、新たに持とうとしている動きは非難されるのでしょうか。
まあ、こんなことを書くと、私が「非難」されそうですが、私にはこのことが昔からわかりませんでした。
全く理解できないのです。

アメリカやロシアは、自国で持っている核爆弾を全世界の国々に、人口に比例して無料配布したらどうでしょうか。
そうしたら北朝鮮も巨額なお金を使ってまで、核実験はしなくなるかもしれません。
ますます不謹慎だと怒られそうです。
しかし、もしそれが嫌ならば、自国の核爆弾をなくす努力をすべきです。
あるいは核爆弾を一国の管理下におくのではなく、国連的な機関に管理を任すべきです。
いいかえれば、核爆弾を所持することの意味をなくしていけばいいわけです。
その努力をせずに、弱い国家の核実験を非難することにどうも納得できないのです。
核爆弾を持つことの意味を存続させておいて、それへの動きを封ずるというのは、どう考えても私には公正だとは思えません。
公正だないものが非難するということは、その行為が公正であるからだ、などと言うつもりはありませんが、でも少し言いたい気もします。

なんとまあ非常識な議論だといわれそうですが、そもそも人類が核爆弾を持っていることが非常識なのです。
北朝鮮を攻める前に、まずは核爆弾を持っている国家は、自らを恥じなければいけません。
それがあって初めて北朝鮮を責める資格があるはずです。

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■節子への挽歌631:関係の自立

節子
今日は、節子が嫌いで、私が好きな、いささか「ややこしい話」です。

今村仁司さんは、「貨幣とはなんだろうか」という本の中で、人間関係の媒介形式が崩壊した時にどういうことが起きるのか」について、アンドレ・ジイドの「贋金つくり」やゲーテの「親和力」を題材にして語っています。
私は、どちらも読んだことがないのですが、いずれにおいても、家族を軸にした物語が展開されているようです。
今村さんが人間関係の媒介形式と言っているのは、たとえば「夫婦」であり「親子」です。
節子と私は、節子が退出するまでは、真実そのものの夫婦でしたし、娘たちとの関係においても、間違いのない親子でした。
たとえばその夫婦関係や親子関係のなかに、ある意味での「裏切り」、夫婦でいえば浮気とか不倫、親子でいえば家出とか騙しあいが起こることを、今村さんは「媒介形式の崩壊」と呼ぶのですが、それによって「贋物の夫婦や親子」が生まれてくるわけです。
しかし、本物と贋物の違いは、さほど明確ではないように思います。

この本の主題は、貨幣とは何かであり、貨幣にはそもそも「本物と贋物」があるのかという問いかけがあるように思います。
私はお金はすべて「贋物」であると考えていますので、偽札に対してもさほど違和感がありません。
北朝鮮が国家で偽札をつくっているのと、米国が大枚のドルを世界に垂れ流しているのと、どこが違うのか、私にはほとんど理解できません。
ちなみに、私が村長を務めていた(務めている?)コモンズ村の通貨である「ジョンギ」は、みんなに偽札作りを推奨しています。

時評のような内容になってきてしまいましたが、今日は挽歌のつもりで書き出したのです。
でもまあ、たまには、どちらでもいいような記事があってもいいでしょう。
それがこのブログの特徴と言っているわけですから。

私と節子の夫婦関係という「媒介形式」は節子がいなくなった今も、まだ存続しています。
しかし、「関係」は存続していても、お互いが彼岸と此岸とに離ればなれになってしまい、会うことができなくなってしまった場合、どうなるのでしょうか。
今村さんの本はいささか難解なのですが、その本を読んでいるせいか、そうした「さらに難解な問題」を考えたくなってしまいました。
媒介すべき主体の一方がいなくなったのに「媒介関係」があるということは、媒介関係が自立しているということです。
私たちは、「関係」は、その両側に「要素」があってこそ成り立つと思いがちですが、「関係」があってこそ「要素」が意味を持つことは少なくありません。
もしそうなら、要素がなくても「関係」が存在することは十分考えられることなのです。

媒介としての貨幣を考えてみるとわかるのですが、最近では、貨幣は単なる媒介ではなく、それ自体が目的や主体になってきています。
「関係」が自立し、「意味の世界」が実体を影響しだしたのです。
それが、社会を壊しだしているわけですが、では人間関係の媒介関係の場合はどうでしょうか。
自立してしまった「関係」のもとで、夫婦を演じたり親子を演じたりしているような話もあるようですが、「関係」がそれぞれの生き方を壊してしまっている例も少なくありません。
いえ、「創造」と「破壊」は、コインの裏表でしかなく、同じものなのかもしれません。

話が拡散しそうですので、しぼりましょう。
全く無縁に育っていた私と節子が、ある時出会って、夫婦になった。
そこで私たちは、2人とも人生を一変させたわけです。
それまで存在しなかった「媒介形式」が生まれたからです。
今から考えると、私たちは2人とも、「夫婦」という新しい生き方に自らの、おそらくほとんどすべてを投げ入れました。
そこで、関係の「主役」になれたのです。

貨幣の本を読んでいて、こんなことを考える読者は私くらいかもしれません。
しかし、こうした話は、私の大好きな世界なのです。
長くなりそうなので、今回はこの辺でやめますが、いつか続けたいと思います。

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2009/05/24

■節子への挽歌630:中途半端な楽しさは、悲しさも引き出します

節子
今日はめずらしく家族3人でイタリアン・レストランに行きました。
むすめの友達がやっている、柏にあるイタリア田舎料理の「まがーり」です。
シェフの佐藤峰行さんは、23歳の時に料理人になることを決意して、イタリアに修業に行き、そこからまあいろいろとあって、2003年に「まがーり」を開店したのだそうです。
むすめから話は何回か聞いていたので、一度、みんなで食べに行くことにしていたのです。

「まがーり」では、毎月、イタリアの特定の地方の料理メニューにしているのですが、今月はアブルッツォ州でした。
と言っても、私は名前も知らなかったのですが、そこの料理では仔羊のミートソース和えがおいしいのだそうです。
肉が不得手で、しかもミートソースも不得手な私としては、残念でしたが、メインは魚にしてもらいました。
魚はヒラメでしたが、とても素直な仕上げでおいしくいただきました。
野菜の味付けも私の好みにぴったりでした。
田舎料理だからでしょうか、とても素朴で素直で、イタリアンのイメージがちょっと変わりました。

食事をしていて、思いだすのはやはり節子のことです。
節子がとても喜びそうなお店だったからです。
実にアットホームで、素朴で、いろんな意味で「すき」のあるお店なのです。
最近のレストランは、なにやらきれいすぎて退屈ですが、このお店には表情が感じられます。
それが、たぶん節子が気にいることなのです。
まあ、節子のことですから、いろいろと批判をし、改善点をあげることでしょう。
しかし、それこそが、会話を育てるお店なのです。

料理も間違いなく、節子好みです。
味付けがとても素直なのです。
おそらくシェフの人柄が出ているのでしょう。
人柄が感じられないような味は、節子も私も好きではありません。
デザートに手づくりケーキが出てきましたが、そば粉と卵白で作ってみたそうです。
これも美味しかったです。
ちょっと素朴に硬すぎる感じもしましたが、そこが田舎料理の良さかもしれません。
節子なら早速、レシピを訊いて家で作ったことでしょう。
そうした会話が弾みそうな雰囲気のレストランです。
久しぶりに3人でのイタリアンでしたが、節子がいたらもっともっと楽しい食事になったことは間違いありません。

わが家では、時々3人で外食するのですが、節子がいた4人の時と今の3人では、雰囲気が全く違います。
楽しさが全く違うといってもいいかもしれません。
そして、いつも必ず、節子のことが話題になります。
時に、私は涙が出そうになります。

家族にとって、やはり妻であり母親である人の存在は大きいです。
なにかある度にそう思います。
家族で最初に抜けるのは、やはり父親であるべきだと、今日も娘たちと話していて思いました。
妻のいない夫は抜け殻のようであり、母親のいない家族は空気の抜けかけたボールのようです。
食事は楽しかったのですが、節子のことを思い出したら、何だかとても悲しくなってしまいました。
中途半端な楽しさは、悲しさを引き出す役割を果たすものなのです。

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2009/05/23

■家族が新型インフルエンザにかかったらどうしますか

今日の朝日新聞の夕刊に、次の見出しの記事が出ていました。

家で「隔離」1週間 感染の高校生、
電話でつながる家族
記事によるとこんな話です。
新型インフルエンザに感染した神戸市の女子高校生が、1週間、自分の部屋から出ないよう病院と保健所から指示され、同居の家族とも、電話の子機だけでのつながりだったというのです。
わが家では絶対にありえない話です。
と言うか、常識的に考えても、あってはいけない話ではないかと思うのですが、どう考えても恐ろしい話です。
念のために、わが家の娘たちに確認したら、やりすぎだろうというので安心しました。
ハンセン病を思い出すといったら、批判されそうですが、どこかに通ずるものを感じます。

家族の誰かが病気になったら、私は自らがたとえうつる恐れがあったとしても、生身で看病しますし、看病してほしいと思います。
もちろん伝染しないように細心の注意は払いますが、それでもうつってしまったら、それは仕方がありません。
法的に決められている伝染力の強い病気で、病院に隔離されるのであれば、それは受け入れますが、「隔離」の発想の恐ろしさを感じます。

大変失礼ですが、その家族の親たちの見識を疑います。
そうした発想が自然と出てくる人たちが増えていることに対して、不気味さを感じてしまいます。
鳥インフルエンザにかかった鳥を大量廃棄処分にする発想と同じではないでしょうか。
いや、これ以上、恐ろしい妄想を発展させるのはやめましょう。
しかし、こうした話は、決して笑い話ですますべきではありません。

私は家族からは必ずしも同意されていませんが、風邪菌にも場を与えていくことが必要ではないかという思いを持っており、毎年、風邪を引いています。
風邪を引いたら3日ほど、彼らに活躍してもらいますが、4日目からは彼らに退出してもらうようにしています。
今は亡き妻は、そうした私の発想をいつも笑っていましたが、私はかなり真面目にそう考えています。
大げさに聞こえるでしょうが、もし生物多様性論を口にするのであれば、それくらいの自己犠牲は甘んじて受け容れるべきでしょう。
まあ、あまり論理的ではなく、たぶん支離滅裂なのでしょうが、私は本能的にそう思っています。

今回のインフルエンザ対策はもちろんですが、最近の病気予防対策には違和感があります。
風邪が怖くて、生きていけるか、という気がします。
インフルエンザに罹るのも、また人生なのです。
風邪を引いたことのない人生よりも、私は引いたことのある人生が豊かなような気がします。
また支離滅裂になってきましたので、やめましょう。

みなさん
家族が新型インフルエンザにかかったら、親身に看病しましょう。
それでこそ家族です。
人間というものがわかっていない医師の言いなりになってはいけません。
治る病気も治らなくなりかねません。
但し、その結果、問題が起こっても私は責任は取りません。
それは皆さんの家族の問題だからです。

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■節子への挽歌629:花を見ながら思い出すこと

節子
玄関のバラがみごとに咲いています。
節子は残念ながらこのバラをみることができませんでした。
Bara_2

節子のおかげで、わが家は今も花が絶えません。
花を見るたびに節子を思い出します。

湯島のオフィスのミニバラも元気ですが、元気をなくして枯れたかと思った昨年のミニバラも、一輪だけですが、黄色の花を咲かせてくれました。
それが、とても健気に見えて、節子を思いだせます。
そのミニバラを枯らせないためにも、最近は湯島に行かねばならなくなってきました。

そういえば、我孫子のサツキ展でもらったツツジも小さな花を咲かせています。
その花をくれたのは、茨城に住んでいる松崎さんという人です。
サツキ展の入り口で、みんなに小さなツツジを配っていたのですが、節子はその人からツツジの育て方をいろいろと訊いていたのです。
その人から家にはもっと大きなツツジがあるから見に来ないかと誘われていました。
一度、一緒に行こうといっていたのですが、節子の体調が悪くなったために実現できませんでした。

節子は土になじんだお年寄りと話すのが好きでした。
節子の母親も滋賀で農業を少しやっていたからです。
松崎さん(確かそういうお名前でした)の家に行って話をしたかったのでしょう。
行けませんでしたが、松崎さんのお名前は時々出てきましたので、私も覚えてしまったわけです。

節子と私の、人のつながりの育て方はちがっていましたが、世界も違っていました。
節子の付き合う人たちの世界は、みんな「生きている」香りがしました。
こんなことをいうと、私の友人たちには失礼になるかもしれませんが、私の友人知人の多くは、私と同じく、知で生きているような気がします。
節子は違いました。
良い意味でも悪い意味でも、心で感覚的に生きていましたし、自然とつながっていました。
ですから節子は私の知識に敬意を持ちながらも、そうした生き方をしようなどとは思ってもいませんでした。
理屈でいくら言い負かせても、真実は変わらないと、節子は時々私に言いましたが、私もそれを知っていました。
理屈は、弱いもの、自信のないものの、悲しい言い訳でしかありません。

節子は、花や土から多くのことを学んだのかもしれません。
書や人から学んだ私には、とても太刀打ちできるはずがなかったのだと、最近やっと気づきだしました。
節子が、やっと気づいたの、そのうちわかるだろうと思っていたけど、と言っているのが聞こえるような気がします。
節子は、知識もなく頭も悪いと自分でよく言っていましたが、私の人生の師の一人なのです。
その意味をわかってくれる人は少ないかもしれませんが、私には最高の師だったのです。
私の世界観や人生観は、節子が育ててくれたものなのです。
まあ、それなりの素地もあったと少しは自負してはいるのですが。はい

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2009/05/22

■節子への挽歌628:会社の経理の仕事

節子
株式会社コンセプトワークショップはまだ倒産せずに健在です。

といっても、この会社はこの4年ほど、ほとんど休業状態なのです。
最近の年間収入は事務所経費を賄うのがやっとの状況ですので、会社の解散も考えたのですが、借金もあり簡単には廃業できません。
それに、節子と一緒にやってきた会社ですので、私が元気な間は続けることにしました。
私の給料はこの3年間ゼロですが、3年前からは税理士へ支払う余裕もなくなったので、昨年から私が自分で決算書類を作成しています。
節子が元気だったころは、会社の経理は節子が窓口になって税理士に頼んでいましたので、私はそうしたことからは全く解放されていました。
お金のことを気にせずに、やりたいことだけをやるという幸せはなくなってしまいました。

節子も税理士もいなくなって、自分でやってみるとけっこう面倒です。
この面倒なことを節子に任せていたことを悔やんでいます。
節子も、決して向いているとはいえない種類の仕事でしたから。
昨日1日、1年分の経理処理をしていたのですが、途中で嫌になってしまい、まあだれもみないだろうし、どうせ赤字なのだから税務的にもそう正確でなくてもいいだろうとかなり手抜きをしてしまいました。
私は手抜きがうまいのです。
人生においてもかなりの手抜きで生きてきました。

しかし、節子は手を抜くのが不得手でした。
私から言えば要領が悪いのですが、手を抜けない節子が会社の経理の仕事をいつも負担に感じていたのを思い出します。
節子はそれが自分の仕事だと決めていました。
そこが節子の健気なところなのですが。

経理の仕事で、楽しいこともなかったわけではありません。
お金がなくなったけどどうしようか、という相談は実のところ楽しかったです。
足りないといってもたかが知れていますので、切実感はありませんでした。
何しろ2人だけの会社ですから、お金がなくなれば給料をもらわずに、不足分をどこかで稼いで充当すればいいだけの話です。
なにしろ私たちの会社は、仕事をすればするほど出費が増えて、収入は増えない傾向があったのです。
まあいつも質素に、小さく活動していましたから、不足してもせいぜい事務所の家賃を払えない程度の話です。
身の程に生きていれば、破局など起こらない、と私たちはいつも考えていました。
もっとも、そこまで来るには、それなりの苦労もあり、私の25年間の会社生活があったわけですが。

事務所家賃を払えずに、むすめたちの定期預金を解約させたこともあります。
しかし、家族とはそんなものでしょう。
それがわが家の文化でした。
でも、こうやってお金を気にせずに生きていけることはとても恵まれているのでしょう。
こうした状況を残していってくれた節子にとても感謝しています。

さて、肝心の会社の経理ですが、一瞬、黒字かと思ったのですが、やはり計算違いで、かなりの赤字でした。
今年度も1円ももらえませんでした。
本気でお金がもらえそうな仕事を探さなければいけなくなりそうですが、問題はそうした仕事をする時間があるかどうかです。
そうした相談をする相手の節子がいないのが、残念です。
2人だと楽しいことも、一人だと辛いことになるものです。

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■マスコミが騒いでいる後ろで行われていることが気になります

裁判員制度が始まりました。
これだけ内容がわかってきて、問題も明確になったにもかかわらず、まだ裁判員制度の意味を国民に理解させていこうという動きが、ジャーナリストの中でも広がってきていることに驚きを感じます。
それにしても、憲法違反ではないかと思うほどの悪法です。
とりわけひどいのは守秘義務です。
裁判そのものの透明性こそが司法改革の本質だろうと思いますが、あいかわらずそれは中途半端にしたままで、守秘義務を国民に求めるとは言語道断です。
私のように、秘密を持たないことを生活信条にしているものには、耐え難い侮辱です。
今の政治家や司法界の人たちは、嘘や秘密を大事にしている人たちですから、そうした庶民の生活信条など理解さえできないのでしょう。
憲法違反など全く意に介さないのが、今の政府ですから、いくら不満に思っても仕方がありません。

新型インフルエンザは、さすがに対応のおかしさに気づく人が増えてきました。
パンデミックしていたのは、実は疫病ではなかったのかもしれません
隠された実験は、どうやら一定の成果をあげたように思います。
おそらく、これからたくさんの報告書が出てくるでしょう。
しかし、生活の視点で考えれば、新型インフルエンザに関する膨大な情報発信の中で、何がうずもれてしまったかが気になります。
それに加えて気になるのは、魔女狩りのような不気味な動きです。
生徒が発病した学校の校長がなぜ謝らなければいけないのか。
どう考えてわかりませんが、実際にはもっとひどい現象が起こっていることでしょう。
発病者の出た家族に対して、世間がどう対応するのか、考えただけで気分が重くなります。
恐怖感を流布させれば、民を支配しやすくなることは言うまでもありません。
北朝鮮やタリバンの恐怖をばら撒くよりも、もっといい方法が地球環境危機やパンデミック危機であることはいうまでもありません。
まあ、こんなことをいうとひんしゅくをかうでしょうが、噂には必ず「意図」があります。

定額給付金やらエコポイントなどのアメ戦略とパンデミックや景気不安などのムチ戦略のなかで、何が行われているのか、それを考えなければいけません。
ともかく一度民主党に政権を交代して、官僚の傀儡政権体制を壊さなければいけません。
あるいはアメリカ金融資本からの自由を得なければなりません。
いまマスコミで活躍している御用有識者たちも一掃してほしいものです。

もう王様の道化はいりません。

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2009/05/21

■社会の組み立て方のパラダイム転換

昨日、市民社会フォーラムというのに参加しました。
増田元総務大臣が「地方自治と市民社会」をテーマにお話しし、その後会場との質疑応答がありました。
お話を聴いていて、問題はやはり社会の構造原理をどうとらえるのかということではないかと、改めて思いました。
簡単にいえば、社会の構造を「統治の視点」で考えるか、「暮らしの視点」で考えるかです。

自治というのは、本来、「暮らしの視点」での発想ですが、明治以来の日本の「自治」は「統治」の視点で考えられているように思います。
増田さんの話はとても誠実でしたが、やはりこれまでの「統治の枠組み」で語られていたように思います。
そこからは市民社会の論理は出てきません。

ところが、質問に応えながら、最後に増田さんは、これからはコミュニティをベースにして社会を組み立てていくのがいいというお話をされたのです。
コミュニティ、つまり「暮らし」から組み立てる社会像と「統治」のための分権型の社会像は、まったく正反対のところに位置するものだと思っている私にとっては、仰天するような話です。
もし近隣コミュニティを起点にして社会を構想するのであれば、まさにパラダイム転換しないと制度は構築できませんし、生活次元に向けての「分権」発想は出てこないでしょう。
選挙マニフェストも、いまのような目線の高いものにはなりません。
増田さんは、マニフェストを「住民との契約」と定義しましたが、これは統治、あるいは王様の論理です。
近代政治思想の出発点はいうまでもなく、社会契約論にあるわけですが、その契約を縦軸で捉えるか横軸で捉えるかによって全く違ったものになります。
昨今の「協働のまちづくり」は縦軸ですから、分権論議と同じく、構造を変えるものではありません。
行政内部の横の協働、住民同士の横の協働がないままに、各論的な縦軸の協働ができても、パラダイムは変わりません。
長年続いた「住民参加」と同じく、住民の暮らしの視点からは無意味な取り組みです。

増田さんの誠実なお人柄とビジョンをベースにしたら、おそらく新しい市民社会論が構想されるように思いましたが、やはり発想のパラダイムが近代の呪縛、あるいは統治の呪縛に陥っているような気がしました。

フォーラムには若い学生がたくさん参加していました。
若い行政職員も参加していました。
彼らが、いま育ちつつある、住民同士の横のつながり、市民同士の横のつながりの動きに気づいていくことを願っています。
アタリやネグリが展望している新しい動きが、少しずつですが、動き出していることに、救いを感じます。
分権論議が、それを邪魔しなければいいのですが。

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■節子への挽歌627:星の王子さまとバラ

バラと旅の話がつづきましたが、サン・テグジュペリの「星の王子さま」もいろいろな星を旅しながら最後に地球に着きました。
そのせいか、久しぶりに「星の王子さま」を読みたくなりました。
私の記憶におぼろげ残っている話が出てきました。

王子さまが自分の星を旅立って、7番目に着いたのが地球です。
そして最初に出会ったのがヘビでした。
次がたくさんのバラの花、3番目がキツネでした。
テグジュペリがこの本で言いたかったことは、ここでキツネが語っていることだと思いますが、その一部を少し編集して引用させてもらいます。
ちなみに、王子さまは、自分の星に残してきた1本のバラのことをとても大事に思っているのです。

「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えない。かんじんなことは、目に見えないんだよ」
「あんたが、あんたのバラの花をとても大切に思ってるのはね、そのバラの花のために、時間をむだにしたからだよ」
「人間っていうものは、この大切なことを忘れてるんだよ。だけど、あんたは、このことを忘れちゃいけない。面倒みた相手には、いつまでも貴任があるんだ。守らなけりゃならないんだよ、バラの花との約束をね」
これだけ切り離して取り出すことはあまりフェアではないかもしれませんが、それぞれに含蓄を感じます。

「かんじんなことは目に見えない」。
いまの私たちが忘れていることです。
「目に見えないこと」の意味はとても広いのですが、その世界を私たちは小賢しい知識と科学で狭くしてしまっているように思います。
有識者といわれる人たちと現場で汗している人たちと、私はそのいずれにも友人知人がいますが、そのどちらが「かんじんなこと」に気づいているかは明らかです。

誰かや何かを大切に思う、つまり愛するのは、その対象のために時間を無駄にしたからだ、というのは、すごい発言です。
思い出すのは、ミヒャエル・エンデの「モモ」ですが、メッセージ力の強さは、その比ではありません。
これは逆ではないのかという人もいるでしょうが、それこそが小賢しい近代の知なのです。

そして3つ目は、面倒をみた相手にはいつまでも貴任がある、ということです。
これも私たちが忘れていることの一つです。
この掟をこわしたのが、「お金」ではないかと、私は思っています。

私は、節子とたくさんの「無駄な時間」を過ごしました。
それに関してはかなりの自信があります。
ですから私は、節子を愛して結婚したのではなく、結婚したから愛したのです。
結婚でもしてみないという言葉でプロポーズしたことの、それが意味でもあるのです。

ところで、節子にこの言葉を伝えた時に、私はまだ「星の王子さま」を読んでいなかったような気がします。
ですから思うのです。
このキツネの言葉は真実ではないかと。

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2009/05/20

■いつの間にか容量が減っていた騙し商法

私は時々、スーパーに食材などを買いに行きます。
実際に購入するのは娘たちなのですが、私もできるだけ彼らに付き合って、実際に自分でも買物をかごに入れます。
基本は、わが家の近くにあるライフですが、比較するためにほかの店にも定期的に行きますし、新しい店が出来ればできるだけ早い時期に行くようにしています。
私の関心事は、食材や日用品を扱っている大型・中型店です。
その店頭を見ていると、社会の動きも少し実感できます。

最近とてもいやなことが増えています。
それは同じ商品なのに中身を少しずつ減らす動きです。
消費者を騙す方策に思えてなりません。
乳製品やお菓子類に多く見られます。
たとえば、明治乳業や森永乳業の商品です。
私がかなり高く評価していた企業ですので、とても残念です。
典型的なのはマーガリンです。
1年前までは400グラムが基本でしたが、今は何と300グラムです。
この間、時間をかけて、内容量と価格を操作してきていますので、おそらく中身がこんなに減少していることに気づかずに購入している人も少なくないでしょう。
明治乳業の人気商品のブルガリア・ヨーグルトも、いつの間にか容量が減少しています。
これはパッケージングを変えていないので、いささか悪質だと思います。
私には許しがたい行為です。

お菓子類はもっとあからさまです。
ビスケットなどは見るからに小さくなっています。
価格が変わらなくても、実質的な値上げと言うことです。
値上げ率はかなり高いはずです。

こうした「騙し商法」は昔からよくあります。
前に単に想定を変えただけで新刊書のように販売する講談社の話を書いたことがありますが、騙される方が悪いといってしまえば、それまでですが、そうした繰り返しでは、消費者はますます企業への不信感を高めるでしょう。
消費者が企業を信頼できないということは、双方にとって不幸なことです。

しかし、よく考えてみると、これこそがこの50年の企業戦略だったのかもしれません。
大量生産というのは、まさにそうした商品の質の低下につながっているのかもしれません。
工業化された農業もそうです。
50年前のほうれん草と今のほうれん草は、見かけは同じでも、栄養的には全く違うものだという話を聞いたことがあります。

食べるものが変わってくれば、食べている私たちも、もしかしたら変わってきているのかもしれません。
そういえば、最近の人は昔に比べて「小粒」になったという話もよく聞きます。
そう考えると、何やら昨今の状況が奇妙に納得できてしまいます。

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■節子への挽歌626:海外旅行で知り合った人たち

イラン旅行は、私と節子との最後の海外旅行でした。
ツアーで行ったのですが、同じツアーに小林さんと岡林さんという、私たちよりも一回り年上の女性2人組がいました。
とても元気なのです。
旅行期間中に、節子はそのお2人と仲良くなりました。
いろいろと話しているうちに、なんと岡林さんと私には共通の友人がいることがわかりました。
世界は狭いもので、そうしたことは時々起こります。

帰国後、ぜひまたお会いしたいというので、一緒に食事をすることになりました。
湯島の私のオフィスに来てもらい、近くのレストランで久しぶりに会食しました。
私も同席させてもらいました。
私が会社を辞めて、節子と二人三脚で仕事を始めてからは、一緒に行動できる時はできるだけ一緒にいようと言うことにしていたのです。
そうやって誰かに会う時、節子はいつもちょっとしたプレゼントを用意していました。
お金にすれば、それこそ高くても数百円のものだったように思いますが、そうした小さなプレゼントを用意するのが節子の文化でした。
その文化はなかなか私には真似できない文化です。
私が思うに、そんなものをもらったら結局は「ごみ」になるんじゃないかと思うようなものもありましたが、節子のその気持ちはとても私には魅力的でした。

エジプト旅行で知り合ってお付き合いが始まったのは、金沢に住む八田ご夫妻でした。
帰国後も交流が続き、私たちはわざわざ金沢まで八田さんに会いに行きました。
たぶんこれも節子が行こうと言い出したはずです。
八田さんご夫妻とお会いしたら、八田さんの奥さんが私たちに言いました。
暑いエジプトで遺跡を歩くのがとても疲れていた時に、佐藤さんたちからそれぞれ声をかけてもらったのがとてもうれしかったのです。
後で、ビデオで撮影したものを見ていたら、たまたま私が「暑いですけど大丈夫ですか」と八田さんの奥さんに声をかけているのが録音されていました。
きっと節子も、同じような声を別の場面でかけていたのでしょう。
八田さんたちからは、私たちがそれぞれ別々に、しかし同じように接したのが印象的だったようです。

その八田さんたちももう今はいません。
節子と彼岸で会っているでしょうか。

私と節子との海外旅行は回数は多くはありませんが、いずれにもとてもあったかい記憶があります。
遺跡周りの後は、節子の好きな自然まわりの予定でしたが、それが始まる前に、節子は一人で彼岸に旅立ってしまったのです。
向こうで、どんな人たちとの出会いを楽しんでいるのでしょうか。
ひとついえることは、節子は私がいればこそ、新しい出会いを楽しめたのだと思います。
一人の時の節子は、意外に消極的だったはずです。
なぜそうかといえば、私もそうだからです。
私たちは、2人でいる時と、別々に1人でいる時とでは、人格が違っていたような気がします。
2人でいると2人とも、心底、素直になれたのです。
もう私も、心底、素直になれることがなくなってしまったのかもしれません。

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2009/05/19

■コンフォーミティ社会ではマスクをしないと異端者になりかねません

今日、降圧剤をもらいに近くのクリニックに行きました。
いつもは混んでいるのに、何と誰もいませんでした。
窓口に人に、新型インフルエンザの報道のせいですかね、と訊いたら、それもあるかもしれませんね、という答でした。
まあ、たまたま私が行った時だけすいていたのかもしれませんが、毎月、通っているのにはじめてのことでした。

昨日、テレビで、街頭でマスクをしている人へのインタビューで面白い回答がありました。
最近はマスクをしていたほうが、「異端」にはなりませんので。
まさにコンフォーミティ社会の到来です。

アッシュの実験という、社会心理学の古典的な話があります。
数名のサクラの中に一人だけ本物の被験者をまぜたグループをつくり、そこに長さの違う3本の直線をみせて、それとは別の1本の直線と同じ長さのものを選ばせます。
普通の人であれば、かんたんに見分けられるような問題です。
しかし、サクラたちはわざと間違った答、しかし全員が同じ答をし、最後に被験者に答えさせると、被験者はサクラたちと同じ答をしてしまうことが多いという結果が出たそうです。
「同調(コンフォーミティ)効果」と呼ばれる現象です。
この観察から、他人に同調しない人はかなりのストレスを持つだろうことが示唆されています。

この実験は有名な話で、私も何回かホームページで紹介していますが、これと似た話に、フェスティンガーの実験というのがあります。
グループの中にサクラを一人だけ入れて、他のメンバーと違った判断をさせると、みんなの関心はそこに向かい、サクラに意見の転換を迫った、そうなのです。
「異端者」は組織の、つまり社会の安定を壊しかねないために、排除されなければならないというわけです。

こうした理論は、すべて安定的な秩序を志向する近代の知なのです。
しかし時代は、ホメオスタシスからホメオカオスの時代に動いていますから、最近ではまあそんなことはなく、組織ではむしろ「異端者」が評価される時代になってきていますが、実体のないふわふわした「社会」全体では、まだまだコンフォーミティ信仰が大勢を占めているのでしょう。

みなさんはマスクをして外出しますか。
マスクをしていなければ不安な社会には、私は生きていたくないので、マスクはしません。
もちろん自分が風邪を引いたりしたら、マスクはしますが。

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■節子への挽歌625:待っているのに手紙が来ない

節子
旅先で会った人シリーズをちょっと続けたくなりました。
いろんな人たちに会いました。
今回は、節子を失望させた人たちの話です。

海外旅行で会った人から手紙が来ると期待していたのに、結局は来なかったことが何回かあります。
まず思い出すのが、トルコで会った若者たちでした。
イズミールだったでしょうか、夕方のホテルの近くを散歩していたら、日本語を学んでいるという学生たちのグループに会いました。
そこで例によって、節子との会話がはじまりました。
みんなで記念写真まで撮って、後で送るからと住所を聞きました。
みんなで手紙を書いて、写真もたくさんプリントして送ったのに、その後、音沙汰がありません。

イラクのペルセポリスでは、私が若者たちに捕まってしまいました。
先生が引率していたのですが、その先生からも何か訊かれたのです。
ペルセポリスは私のとても行きたかったところだったので、そんな相手をしたくなく、ゆっくり見物したかったのですが、いろいろと訊かれているうちに時間が集合時間になってしまいました。
慌てて、バスまで節子と走った記憶がありますが、そうまでして写真を送ったのに、その先生からは何の連絡もなしです。
届かなかったのでしょうか。

イランのダリウス大王の墓の近くでは、イラク人と日本人のカップルに会いました。
その人たちはまもなく日本に転居するといい、日本に行ったら連絡しますといっていたのですが、その後、連絡がありません。

こうして考えると、旅先での出会いが付き合いの始まりになるのはそう多くないのかもしれません。
娘たちは、旅先での出会いはそんなものだといいます。
でも私も節子も、そうした偶然の出会いからはじまる物語をいつも楽しみにしていました。
そのため、節子はいつもなにかお土産まで持っていっていましたが、それを渡したのを見たことはありません。

私は遺跡を観に、節子は人に会いに、地中海に行っていたのかもしれません。
まあここで書いた3組の人たちからは期待して待っていたのに結局手紙は届きませんでした。しかし、手紙を待っていたおかげで、その人たちとの記憶ははっきりと覚えています。
その一つひとつに、節子の楽しそうな笑い顔も重なっています。

さて、いまの話なのですが、私は節子からの手紙を待っています。
もしかしたら来るかもしれない、とそんな気がしてならないのです。
いつになっても来ない手紙を待つことには、少しだけ慣れていますし。


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2009/05/18

■ゼロサムゲームの世界の中での過剰対応の危険性

新型インフルエンザの患者数が日本でも100人を超えました。
きちんと検査したら、その数倍はいるという意見もあります。
学校が1週間休校になるなどという動きも出ています。
それにしてもどこもかしこも大騒ぎです。
騒ぎすぎではないかとある人に話したら、用心にこしたことはない、と怒られました。

でも、そうでしょうか。
みんな大切なことを忘れています。
それは、あることに限られた資源を注入すれば、必ずどこかで誰かがしわ寄せを受けるのです。
いささか極端のことを言えば、いまの新型インフルエンザへの大騒ぎでの対応の影響で、だれかが十分の対応を受けられずに、病気を悪化させ、差異枠の場合は生命を落としていることがないとは限りません。
まあそれは考えすぎだとしても、医療資源や検疫資源は限られていますから、どこかで被害を受けている人がいることは間違いありません。

その反面で、新しいことをやるわけですから、誰かが大もうけすることも間違いない事実です。
念のために言えば、マスクが跳ぶように売れているのでマスクを売っている人が儲ける、などという話ではありません。
もっと大きなところで、誰かが儲けているはずです。
と言うのは、それがこの半世紀の資本主義の本性だからです。
ビジネスとは市場を創造すること、つまり「問題(不幸)」を起こすことなのです。
アメリカの映画の観すぎではないかといわれるかもしれませんが、映画で描かれるようなことは実際にはどこかで行われているような気がします。
「事実は小説より奇なり」なのです。

いずれにしろ、私たちは限られた資源の中で生きています。
それを忘れてはいけません。
政治の世界もそうです。
まあ、最近の私たちは「朝三暮四」の話のサルのレベルに落ちていますから、まあ新型インフルエンザもがんばって十分に対策すればいいでしょう。
豚インフリエンザや鳥インフルエンザが最近、ヒトにうつるのは、もしかしたら私たちがサルに近づいているからかもしれません。
そう考えるといろんなことが納得できます。
いや、いささか失言が過ぎたかもしれません。
困ったものです。

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■節子への挽歌624:最初の東京では高尾山でスイカを食べました

節子
昨日、湯河原のことを書いたら、続いて高尾山のことを思い出してしまいました。
やはりCWSコモンズの活動記録に書かれていました。
2005年11月です。
紅葉のまっさかりでした。
しばらくその見事な効用の前で撮った節子の写真が私のパソコンの画面になっていました。

頂上から見えた富士山を今でもはっきりと思い出します。
その頂上で、鍋をつくっている3人組に話しかけたのが縁で、その仲間に入ってコーヒーまでご馳走になってしまあったのですが、これもまた私一人ではとてもできない話です。
節子はいつもそうやって私たちの世界を広げていってくれました。
小さいですが、みんなで撮った写真もそこに掲載されています。

ところで高尾山といえば。もうひとつ思い出があります。
結婚する以前でしたが、節子と2人で私の両親の家に挨拶に来た時にも、翌日、高尾山に2人で出かけたのです。
はじめての2人の東京旅行が、なんで高尾山なのか不思議ですが、それが私たちのたぶん「好み」だったのだと思います。
今でも覚えていますが、高尾山の駅前でスイカを買って、それだけを持って山頂に行きました。
ナイフも持っていなかったので、そのスイカを手で割って2人で食べた記憶があります。
その写真もきっとどこかにあるのでしょうが、まだ2人とも20代でした。
その時の記憶は、私にはそれ以外、何もありませんが、今から考えてみると、それが私たちの生き方を示唆しているのかもしれません。

ホームページに記録されている、鍋をご馳走になった人たちですが、
残念ながらその後の交流はありませんでした。
住所をお聞きせずに、メールアドレスしか交換しなかったのですが、私からは写真を送りましたが、その返事が来たのですが、それで終わってしまいました。
旅先で出会った人たちとの交流を、節子も私も大事にしていますが、なかなか続くことはありません。

みんな忙しいのかしらね、と節子は言っていました。
1回の出会いを発展させることは、そう簡単ではないのかもしれません。
でも私たちは、一度でも会えば、もう永遠の友だちのような気になるところが似ていました。
もっともっとみんなが出会いを大事にすれば、世界は楽しくなるのにね、と私たちはいつも話していました。
私たちが楽しい生活を送れたのは、いろいろなところで出会った、さまざまな人に支えられていたからだということを、私も節子も、よく知っていましたから。

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2009/05/17

■節子への挽歌623:湯河原の幕山で出会った鈴木さん

湯河原の梅園(幕山公園)といえば、もう一つ記憶に残る体験があります。
2004年4月9日のことです。
その頃は、節子もだいぶ元気を取り戻し、治るという確信が生まれだしていた頃です。
私のホームページ(CWSコモンズ)に記録(「豊かな生活2」)が残っていたので、日が特定できました。

その時はバスで出かけたのですが、バス停から公園まで30分ほど歩きます。
その時の記録を引用します。

途中で、道をゆっくり歩いている一人のお年寄りに出会いました。
私たちは、途中、道の横の小川に寄り道したりしていたので、
追いついたり抜かれたりの繰り返しをしているうちに、交流が始まりました。
目的地の幕山公園はシーズンオフのため、出店も無く少し寂しい雰囲気でした。
女房がおにぎりを持ってきていましたので、そのお年寄りに一緒に食べませんかと声をかけました。
女房はお年寄りに声をかけるのが好きなのです。
その方は鈴木さんといいます。
なんと間もなく90歳だそうです。
湯河原の駅の近くにお住まいです。
家族がみんな出かけたので、昔、来たことがある幕山公園に行きたくなって、歩いてきたそうです。
自宅を出たのが10時半頃、着いたのが1時過ぎ。
2時間半以上、歩いてきたのです。
失礼ながら、歩くのもやっとの感じなのですが。
おにぎりを食べながら、公園のベンチで1時間ほど話しました。
そのうちに昔の話をされだしました。
後はホームページのほうの記事をお読みください。
最後の部分だけをまた一部引用させてもらいます。
のどかな自然の中での1時間。
とてもいい時間を過ごさせてもらいました。
女房と鈴木さんは、実の親子のようでした。
女房に惚れ直した1時間でした。
この記事の文章を読んでいて、久しぶりに涙が出てしまいました。
節子はほんとうにやさしい人でした。
そして、私の生き方に、とても大きな影響を与えてくれました。
私が人生を踏み外さずにすんだのは、間違いなく節子のおかげです。

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■烏合の衆と政党の違い

民主党の代表は鳩山さんに決まりました。
私自身はホッとしましたが、世論はどうも歓迎していないようです。
私の周りでも、これで民主党は選挙が戦いにくくなったといいます。
私はそうした人の見識を疑います。
ちなみに昨日話した、かなり政治に詳しい人も含めての6人の人は全員そういう意見でした。
いやはや、私の周りには見識のない人が多すぎます。
いえ、あるいは私のほうが見識がないのかもしれません。

テレビでは、岡田さんの支持者は、選挙ではどちらが有利かという理由で岡田さんを選んでいると報道されています。
街頭でのインタビューでも、そう答える人をよく登場させていました。
小沢さんの院政と言う人もいましたが、その思いも多分同じでしょう。
政策論議などは出てきません。
いえ政策などはだれも理解していないのです。
最近の国民に、そんな気などありません。
ただ定額給付金のようなものにしか興味がないのです。

つまり岡田さん支持者は、政党とは選挙に勝つための組織だと思っているわけです。
そうした組織は、所詮は烏合の衆でしかありませんから、永続きはせずに、政党とはいえません。
自民党は今まさにそうなっていますから、次の選挙の結果次第では実質的な解党がはじまるでしょう。
相変わらず小沢さんの説明責任を責めますが、みずからの党員の説明責任には何もアクションを起こしません。
自らを正さずして、他者を責めてはいけません。

鳩山支持者は政策が根拠になっています。
世論(全体の気分)に迎合するのではなく、自らの政策信条を核にした、政策実現のための組織です。
政策実現のために選挙で勝つことが必要ですが、選挙に勝つことはあくまでも手段ですから、政策が優先されなければいけません。
これまでの民主党の政策は、小沢さんによって形成されてきました。
烏合の衆を「豪腕」といわれるやり方で政策集団に育ててきたのは小沢さんだと思いますが、もし政権交代が権力交替ではなく、政策交替であれば、小沢さんを軸にしていかなければ意味がありません。

世論は岡田さんを支持したとテレビや新聞は言いますが、支持したのはマスコミです。
世論は輿論と違うといわれますが、所詮は少ない情報によって誘導されて形成される気分でしかありません。
国民の声を聞くということは、世論調査とは違います。
それに、政党の代表をだれにするかなどということは、訊くべき事柄ではありません。
そんなことは気分でしか答えられません。
私たちが責任を持って答えられるのは、自分の生活につながるような問題です。
郵政民営化は、まさにそうした問題でしたが、マスコミはそれを「気分の問題」にしてしまいました。
それがどれほどの問題を引き起こしたか、マスコミは反省すべきです。
同じ繰り返しを、いまもなお続けていることが残念です。
今回の民主党代表にかかわる報道は、私には納得できないものばかりでした。

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2009/05/16

■原宿の賑わいは何も変わっていませんでした

2年ぶりに原宿に行きました。
といっても、BS朝日に行くために通っただけなのですが、地下鉄の明治神宮前駅から外に出たら、若者たちで歩けないほどごった返していました。
こういう若者の街にはこの数年ほとんど足を踏み入れていないので、歩くのが大変です。
朝のラッシュ時の駅構内以上の混み具合なのです。
この世界にはもうとてもついていけなくなっています。
交差点近くでは若者の一段が勝手にダンスをしています。
最近はこらえ性がないので、そうした一団を避けることなく、私はそのど真ん中を歩くようにしていますが、まっすぐ歩けませんので、だんだん不快になってきます。
それにしても人が多いので、車道を歩くことにしました。

そうしたら今度は歩道に長い行列です。
フォーエヴァー21という店に入るのに並んでいるのだそうです。
その長さがまたすごいのですが、たかが安物(値段ではありません)の服を買うのに長い行列に並ぶような若者が惨めに思えてきます。
まあ私はあまりファッション感覚がないので、最近の若者の流行の服は全く好きではないのです。
もちろん猫も杓子も着ている黒いビジネススーツよりはましですが。
黒いビジネススーツを着ている若者を見るとほんとうに哀れに感じます。
まあ彼らは私を哀れに感じるかもしれませんが。

余計な話を書いてしまいましたが、用事を終えて4時間後にまたその道を通ったら、何と行列はまだ同じ長さで続いているのです。
消費文化はまだ健在なのです。
こうした社会のどこが100年に一度の不況なのでしょうか。
こうした連中になんで私たちの税金の中から浪費のための給付金をださなければならないのか。
理解に苦しみます。

道路を歩けないほどふさいでいるのに、警官は交通整理もしていません。
デモ行進の規制をするくらいのエネルギーは割いてほしいものです。

消費大国日本の状況は、まだ何も変わっていないような気がしてきました。
最近またエコポイントなどという、わけのわからない浪費刺激策が登場していますが、そんなことをやるんだったら消費税など論外ではないかと思います。
ちなみに私は「高消費税論者」です。
消費を抑制することにこそ、持続可能な経済があると考えているからです。
経済とは何かを考えて見なければいけない時期になっています。

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■節子への挽歌622:ばんまつり

節子
玄関で、ばんまつりが咲いています。
Banmaturi

「ばんまつり」のことは、一度書いたことがあるかもしれません。
この花には思い出があります。
節子と2人で季節はずれの湯河原の梅林に行った時だったと思うのですが、途中で庭のきれいなお宅がありました。
ちょっと待っててね、と言い残して、節子はその家に入っていってしまったのです。
なかなか出てこないので、仕方なく私も入っていくと、庭を見せてもらいながらその家の奥さんと話しこんでいます。
いやはや、節子の得意芸です。
ちょっと高台にあるので道路からは見えませんでしたが、立派な庭で、たくさんの花が咲いていました。

私も庭を見せてもらいました。
その奥さんからお土産にもらったのが、「ぼんまつり」の苗だったのです。
残念ながら、その後、そこにもう一度行くことはなく、お付き合いは発展しませんでしたが、節子がもし元気だったら、湯河原に行ったらきっとそこに立ち寄ったでしょう。
節子は、そうした出会いがとても好きだったからです。

ばんまつりはナス科の花ですが、咲いた時は明るい紫色(節子の好きな色でした)で、次第に白くなるのです。
バラもいいですが、私はどちらかというとこういう静かな花が好きです。
もっともこの花の原産地は南アメリカだそうですが。

この花が咲くと、湯河原での節子の生き生きした顔を思い出します。
節子は見ず知らずの家にも屈託なく入り込んでしまう、不思議な人でした。

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2009/05/15

■民主党代表選挙の公開討論会

テレビで中継された、民主党代表選挙の鳩山さんと岡田さんの公開討論会を観ました。
2人ともマスコミの手にのらずに、しっかりとマスコミを活用していたように思います。
民主党を少し見直しました。
私自身は数日前に短絡的にこのブログで書いたように、民主党は小沢さんの手を離れた途端に実質的に瓦解すると思っていましたが、見込み違いになるかもしれません。
私が一番安堵したのは、岡田さんが小沢さんと管さんの名前もあげて、みんなで取り組んでいくということを明言したことです。
2人のやりとりも、相互の信頼感を感じさせながら補完しあうような形で、効果的に進められたように思います。
民主党のマスコミ対応は、これまであまりにもお粗末でしたが、今回はその乱れを感じませんでした。

この公開討論会をもっと多くの人たちにみてほしかったです。
こういう番組こそ、夜の8時台くらいに放映すべきです。
それも一部ではなく、全部をです。
しかし、8時台でも多くの企業関係者はまだ帰宅しておらずに見られないかもしれませんが、それが日本の政治をおかしくしている一因であることも考えなければいけません。

討論の様子を見ながら、国会の議論もこのようであってほしいと思いました。
相互に信頼感があればこそ、本当の意味でのディベートができます。
信頼感のない議論は、おそらく何も生み出さないでしょう。
いつも国会中継を見ていて、嫌になるのはそのためです。

マスコミの報道とは違い、民主党には主体性を感じました。
もっともマスコミの評価はきっと低いでしょうね。
そこにこそマスコミの本質が見えてくるのですが。

今日は自宅にいた意味がありました。

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■マスコミに壊される国

民主党の代表選挙に関連するテレビや新聞の報道を見ていると、この国はマスコミによって壊されるのではないかと不安になります。
最近の日本人のように、主体性を失った国民に対しては、映像の編集の仕方で、世論はいかようにも誘導できます。
それにしても、昨今のマスコミの思いあがった言動には驚きます。
マスコミを私物化した読売新聞の渡辺恒雄会長に、みんな続こうと思っているのでしょうか。
渡辺さんは、マスコミを私物化して、日本の政治を壊した極悪人の一人だと思いますが、小物の悪人は罰せられても、極悪人は罰せられるどころか、そのおこぼれに預かりたくてすり寄ってくる人が多いようです。
昨今のテレビに出てくる人たちを見ると、それがよくわかります。

こうした状況をみていて思いだすのが、ガザ戦争によってまもなく国家としては消滅するであろうイスラエルのことです。
勝手に消滅するなどと言いましたが、これは私の極めて主観的な判断ですのであしからず。
それに「まもなく」と言っても、たぶん20~30年先です。

ヘブライ大学教授のユリ・ペネスさんは、イスラエルが引き起こしたガザ戦争(ガザ紛争)について、「最近のイスラエルの歴史の中でも最もメディアに誘導された戦争」だといっているそうです(〔軍縮問題資料2009年6月号「ガザ攻撃をイスラエルのユダヤ系市民はなぜ支援するのか」。
この言葉を紹介しているのは、ジャーナリストの土井敏邦さんですが、土井さんの書いた「沈黙を破る」(岩波書店)は読んでいて、とても悲しくなるとともに、その一方で希望を感ずる本でもあります。

土井さんはまたドキュメンタリー映画もつくり、それがいま中野で上映されています。
私はまだ観に行けていませんが、その映画の最後は、ガザの占領地での自らの加害体験を告白した元イスラエル軍将校の、ユダ・シャウールの次の言葉で締めくくられているそうです。

多くのイスラエル人は「セキュリティ、セキュリティ」と口をそろえて言います。自分たちの国を守らなければならない、と。しかしこの国がまもなく、まともな国ではなくなってしまうことに気づいていない。そのうち私たちすべての国民の魂が死んでしまうのです。社会の深いところが死んでしまいつつあるのです。そのことはここイスラエルで、社会全体に広がっています。

これと同じことが、日本でも起こっているように思います。
社会全体もそうですが、ちょっと言葉を替えると民主党や自民党の話としてもぴったりです。
そうした状況を引き起こす上で、マスコミが果たしている役割は大きいです。
逆に言えば、マスコミがちょっと報道姿勢を変えるだけで、社会は変わってくるようにも思います。
それが無理であれば、私たちのマスコミ観を変えるしかありません。

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■節子への挽歌621: 80円のタケノコ

昨日、タケノコを食べ過ぎてしまいました。

節子も知っているように、私はタケノコが大好きです。
最近は、私のタケノコ好きを知ってくれた節子の姉が毎年タケノコをどっさりと送ってきてくれます。
今年もどっさりと送ってくれましたので、お近くにもお裾分けしましたが、わが家もタケノコ三昧でした。
節子がいなくなっても、むすめたちがタケノコ料理を作ってくれるのです。
タケノコご飯、タケノコの煮物、タケノコスープ、焼きタケノコ、まあいろいろと工夫してくれます。
しかし3日も食べているとさすがに食べられなくなります。
タケノコは季節がとても短いので、タケノコ三昧の2日間はせいぜい3~4回しか楽しめません。
今年はもうわが家の周辺のお店からはなくなりました。
ところが、12日に茨城に行っていた娘が、そこで80円のタケノコを買ってきてくれました。
もう終わりなので、小さくて硬いので安いのでしょうか。
それにしても80円とは、ちょっと安すぎます。
タケノコの価値が過小評価されているのは、いささか不満です。
豚の餌ではないのですから。

まあそれはともかく、私がしばらく自宅で食事をできないでいたので、そのタケノコを昨日、夕食に用意してくれました。
感謝しながら食べようとしたら、いやはや、とても硬いのです。
かなり育ってしまったタケノコのようで、まるで竹そのものを食べているようです。
しかし10日ぶりのタケノコですので、食べてしまいました。
食べながら、これが食べられるのであれば、成長した竹だって食べられるかもしれないとさえ思いました。

ところがです。
寝ようと思った頃になって、お腹の中で食べたタケノコが成長しているような感じで、お腹が張ってきてしまいました。
タケノコは食べすぎてはいけないと、節子が言っていたことを思い出しました。

80円のタケノコは食べてはいけません。
いえ、そうではなくて、やはり季節が終わったものを食べたいなどと思ってはいけないのです。
節子と食材に関していろいろと議論していたことを思いだします。

節子
節子の料理をもう一度食べたいですね。

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2009/05/14

■節子への挽歌620:モダンな都市風景も好きだった節子

節子
今日はユカと乃木坂の国立新美術館でやっている「ルーヴル美術館展」に行ってきました。
節子がいなくなってから、美術展からは足が遠のいていますが、時々ユカが誘ってくれます。

国立新美術館は節子もきっと楽しみにしていたところだったのでしょうね。
今日は美術館のカフェでランチをしたのですが、その時にユカが節子とここに一緒に来たことを話してくれました。
もっとも、その時はまだ完成しておらず、工事中だったので建物の外観だけ見たそうですね。
完成した時には、節子は再発してしまっており、もう来ることは適いませんでした。
でも、ユカに連れてきてもらったことがあるというので少しは心も安らぎます。

美術館のアウトドアのカフェからの風景は六本木ヒルズも見えるモダンな雰囲気です。
私と違い、節子はモダンな風景も好きでしたから、このカフェでゆっくりとお茶を飲ませたかったです。
節子は自然も好きでしたが、こうした都市風景にも憧れがあったような気がします。
もっともそこに緑や水がなければだめなのですが、ここのカフェには緑があって、落ち着きます。
ユカの話では、その時は神宮外苑の銀杏並木を見にいったのだそうですが、その後、六本木ヒルズにも行こうということになったようですね。
節子はとても行動的な人でしたから、その時の様子が想像できます。
その帰りに、乃木坂まで歩いて、国立新美術館の概観を見たのだそうです。

節子は意外とそういうところも好きでしたし、行動的でした。
私も、汐留とか新丸ビルとか、いろいろとつき合わされました。

いつぞや節子のお母さんと羽田空港に行った時に、途中でまだできたばかりの浜松町の駅からつながっている高層ビルの展望台に連れて行ったことがありました。
実はそのビルは確か東芝かどこかのビルで、節子が行ったのはその受付か社員食堂の階だったのではないかと思いますが、ともかく母親を見晴らしのいいところに連れて行きたいという一心で、勝手に入り込んでいってしまったようです。
景色を楽しんだ後で、節子は会社のオフィスだったことに気づいたようですが、まあ節子の面目約如たるものがあります。
そういう時に節子は、私が驚くほどに堂々としていました。
当時はまだ警備があまり厳しくなかったから良かったのでしょうが、今ならきっと怒られていたことでしょう。
会社の人に、何か案内までしてもらったようなことを話していたことを記憶しています。

節子は眺望が楽しめる場所なら誰にでも開放するのが当然だという、奇妙な常識を持っていたのです。
その「常識」を非常識と言うべきか、「見識」と言うべきか、わかりませんが、私にはとても大好きな考え方でした。
結局、わが家のど真ん中にいたのは節子だったのでしょうね。

今回のルーヴル美術館展のテーマは「子ども」や「家族」でした。
人々の生活の中心には、やはり女性がいるのだ、ということを改めて実感したのが、私の感想です。
節子ならどう思ったでしょうか。

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■問題の立て方

問題の立て方を間違うと答は全く違ったものになるという話は以前書いたことがあります。
大切なことは、問題を解くことではなく、問題を立てることなのです。
問題を解くのは技術や知識があれば可能です。
それはコンピューターにゆだねることもできるでしょう。
しかし問題を立てるのは人間、それも主体的に生きている人間でなければできません。

最近経済界では「イノベーション」が流行です。
イノベーションは技術革新と訳されますが、技術以前に発想の問題のように思います。
30年ほど前に光ファイバーのことを調べたことがあります。
そのときに、光ファイバーが技術的に実現可能だということが論証された途端に、開発が加速されたという話を講演で聴きました。
コロンブスが新大陸を発見したのは、そこに新大陸があるという確信だったはずです。
問題が的確であれば、その解決はそう難しい話ではないと私は思っています。

こんなことを書いたのは他でもありません。
今の政治における問題の立て方が適切なのかどうかということを言いたいためです。
テレビの報道は、その問題の立て方で情報の扱い方が全く変わります。
私が一時期、よく見ていた報道ステーションでは、映像情報とコメンテーターとビデオ情報が時に不整合なことがありましたが、これは明らかに問題の立て方があいまいな結果です。

インフルエンザ問題も小沢さんの秘書問題も予算編成の問題も、定額給付金の問題や年金の問題、解散時期の問題など、すべての問題において、私には問題の立て方への違和感があります。
問題の立て方を間違えば、問題を解くことさえ無意味になります。

問題の立て方の間違いは、経済や産業に関してもいえます。
それがしっかりしていないために、無駄遣いが景気浮揚策になり、格差問題や福祉問題が自立問題になってしまうわけです。
あるいは農業の見直しが農業の工業化、商業化になってしまうわけです。

私の考えが普遍性をどのくらいもっているかは保証の限りではありませんので、こうした考えを誰かに押付けようなどとは思いませんが、私自身はいつも「問題の立て方」に最大のエネルギーを向けています。
極端にいえば、問題の解き方など瑣末なことなのです。
問題をしっかりと立てて生きていれば、どんな状況になっても納得できます。
人生は、納得して生きることこそが一番幸せなことかもしれません。

もっとも私の場合、「問題の立て方」を間違ったことがないわけではありません。
むしろいつも間違ってきたと言えるかもしれません。
しかし仮に間違っても、それは自分の過ちですからその結果には納得できるのです。
まあ、そうも言っていられないこともないわけではないのですが。

私の立てた問題からすれば、政治も経済も状況は悪い方向に向かっています。
そのなかで、自分自身はどう生きるか、それはまた実に面白い問題です。
時に、生きるのが嫌になることもないわけではありませんが。

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2009/05/13

■ルポライターの仕事を支えることの大切さ

一昨日、ノンフィクションを手がけるライターの方の取材を受けました。
取材が終わった後、少し雑談をさせてもらいましたが、最近はルポ記事などを掲載する雑誌が次々と廃刊になっているので、仕事が難しくなってきているのだそうです。
私の友人にも同じ仕事をされている人たちがいますので、私もそうしたことは何となく感じていたのですが、その人と話していて、しっかりしたルポルタージュが発表される活字媒体が減少することの意味をあまり考えたことがなかったことに気づきました。
発表の場がないということは、現場をしっかりと実査し評価する活動がなくなっていくことに通じます。
このことの意味は大きいです。
ますます社会は見えなくなり、マクロな視点でしか記録されなくなりかねません。
現場には必ず個々の表情がありますし、そういう現場をルポしているライターの表情ある目は、マクロ的な観察や報道からは違う、現場のメッセージを伝えてくれます。
そういうものがなくなっていくと、世界は平板なものになりかねません。

そういえば、私自身も最近は雑誌をほとんど読まなくなってしまいました。
若い頃は、毎月10冊程度のさまざまな雑誌を講読していましたが、今は、あまりメジャーでないものを数冊読んでいるだけです。
週刊誌は1冊も読んでいません。
ルポルタージュなどのノンフィクションは単行本として読むようになってきていますが、書き手の立場から言えば、最初から単行本を目指しての取材や原稿書きは大変なようです。
おそらく経済的にも引き合わないでしょう。
取材費さえ取り戻せないことも少なくないかもしれません。
それに比べ、雑誌に掲載していったものを、それがたまった段階で本にして残していくという方法は、書き手にとってはありがたい仕組みでしょう。

このブログを書きだしてから、気づいたことがあります。
たとえば昨日の小沢さん関連の2つの記事ですが、多分数日後であればかなり違った書き方になるでしょう。
ましてやまとまった本を意識して書きなおすとしたら、まったくと言っていいほど違う表現になると思います。
全体が見えるにつれて、文章は次第に小賢しくなっていくものです。
極端に言えば、真実から遠いものになりかねません。
ある事件に出会ったときの第一印象、それこそが現場の真実を伝える出発点だと私は考えるようになりました。
もしそうならば、中途半端であれ、できるだけ時間を経ずに雑誌などで書いているものを読んだ方が現実に近づけるように思います。
単行本として編集されたものよりも雑誌掲載記事のほうが、いろんな意味でライブなわけです。

「反社会学講座」(ちくま文庫)という、とても面白い本があります。
そこに出ていたのですが、60代以上の人は最近新聞を読む時間が急増しているのだそうです。
なんと1日40分です。
その一方で新聞以外の活字を読む時間は15分前後です。
もう少しみんなが雑誌を読む時間を増やしたら、ルポライターの人たちの仕事を支援できるかもしれません。
そう思いだしたのですが、ではどの雑誌を講読しようかと思うと魅力的な雑誌が思い浮かびません。
まあ、できるだけ早く書店に行って、読めそうな雑誌を探してこようと思います。

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■節子への挽歌619:見る人もいないたくさんのアルバム

節子
昨日、イランのシラーズの写真を探そうと写真のアルバムを久しぶりに開きました。
たくさんの写真がアルバムにきちんと整理されていました。
私は写真を撮るのが好きでしたが、整理は全くしませんでした。
写真の整理は節子の仕事でした。

わが家にはたくさんのアルバムが残されています。
しかし、このアルバムはいったい誰が見るのでしょうか。
そう思うととても悲しい気持ちです。
私は過去にほとんど興味がないので、写真を見る文化はありません。
これは今に始まったことではないのですが、いまはなおのこと、節子の写真を見る元気もありません。
たぶんこれからもずっとそうでしょう。
娘たちも、私に似て写真にはあまり興味を持ちません。
私以上に過去に関心がないようにも思えます。

そう考えていくと、この膨大な写真は結局はゴミでしかないのです。
写真だけではありません。
ビデオ映像や思い出の記念品なども、そのほとんどはおそらく残された者には何の価値もないのでしょう。
何のために撮ってきたのでしょうか。
おそらくそれは老後の夫婦生活ためだったのです。
しかしそれはもう私たちにはなくなってしまいました。
ですからもはや意味のない存在なのです。

節子が残したものの一つに日記帳があります。
節子は日記が好きでしたので、子どもの頃からの日記がきちんと残されています。
まさに中学生の頃からの日記です。
私との出会いも日記に残されているでしょう。
節子は、子ども時代の日記も含めて、私にすべて公開していました。
不思議なほど、節子は私にはあけっぴろげでした。
おそらく私もまたそうだったからだと思います。

私に出会う前に、節子が好きだったボーイフレンドの話も日記には出てくるでしょうし、私の第一印象も日記に書かれているかもしれません。
節子はある時までは、記録大好き人間でしたので、いろんなことが記録されているはずです。
私と会うまでは几帳面だったようで、こづかい帳まで残っているのです。
私と結婚してからは、家計簿などつけたことがないのが不思議なのですが。
私のずぼらさが影響したのかもしれません。

まだまだ節子が残したものはいろいろあります。
さてどうしましょうか。
私が元気なうちに捨てなければいけないのでしょうが、今はまだ捨てる気にはなれません。
捨てられないでいるうちに、私がいなくなってしまうかもしれません。
そういえば、節子は病気になってから、身辺整理をしだしました。
それを私はやめてほしいと頼んでいましたが、節子の気持ちが最近よくわかるようになりました。

節子はいつも私よりも先を歩いていたのかもしれません。
私よりも年は下でしたが、私にとっては人生の先生でもありました。
残されたたくさんの写真や日記帳などを前にすると、そのことがよくわかります。
たぶん誰にもわかってはもらえないでしょうが。

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2009/05/12

■節子への挽歌618:バラがたくさん咲き出しました

節子
庭のバラがいろいろと咲きだしました。
北斗七星のナニワイバラのことは前に書きましたが、わが家には10種類を超えるバラがあります。
バラが好きだった節子が、いろいろなところから集めてきたのです。
バラは挿木でも増えますので、節子が挿木していたバラもたくさんあります。
節子がいなくなった後も、バラの種類は増えています。

節子の弔問に来てくださった人たちにも一時、小さなミニバラの鉢を持って帰ってもらった時があります。
以前、あるお宅を訪問したら、そのバラが見事に咲いていました。
とてもうれしかったのを覚えています。
その小さなバラがとても気にいったので湯島のオフィスにも持っていきましたが、昨年はあまりオフィスに行かなかったので、結局、ダメにしてしまいました。
自宅にあったものが元気に咲き出しましたので、改めて持っていきました。
今度はだめにしないようにできるだけオフィスに行こうと思います。

節子とバラ園に行った記憶は何回もありますが、いつも少し開花時期に外れていて、感動的なバラ園には出会えた記憶がありません。
一度、まさにいいシーズンに節子と出かけた京成バラ園は、自動車で行ったのですが、自動車の中で夫婦喧嘩になってしまいました。
それで行き先を変えてしまい、今では思い出せないような小さな公園で持参のおにぎりを食べて帰ってきた記憶があります。

バラの原産地は、たしかイランでした。
イランには節子と一緒に旅行したことがあります。
シラーズのバラ園は有名ですが、残念ながらあまり感動はしませんでした。
節子もちょっと期待はずれだったと言っていたような気がします。
しかしシラーズの町はとてもきれいでした。
Iran

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■民主党の終焉と問題の本質

一晩眠ったのですが、やはり怒りはやみません。
もちろん小沢さんを辞任させた私たち国民とそれを先導した有識者たちへの怒りです。
今朝、メールを見たら、私と同じ意見の人もいるようで、その種のメールがメーリングリストで何通か届いていました。
まあしかし、食い止められなかったのですから、私も含めてみんな口だけの人間です。
身から出たさびでしょう。

しかし、相変わらず前原議員の言動にはあきれます。
党内に、こういう人が少なくないとしたら、小沢さんも投げ出したくなるでしょう。

もっともこうした動きによって、検察への批判が高まるという意見もあります。
たとえそうだとしても、それがどうしたと思います。
検察は、その目的を達したのですから、その後はどうでもいいのです。
まあ逮捕劇を実行した検察官たちもまた消耗品でしょうし、国家権力は自らの行動がつねに正義ですから、その帰趨はどうでもいいはずです。

まだ荒れていますね。
一晩寝たのに、まだどうも冷静に慣れていないようですね。
困ったものです。

しかし、問題の本質だけは見誤りたくないと思います。
景気状況も大事ですが、それを決めているのはこうした社会の構造原理なのですから。

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■消費拡大から抜け出られないのでしょうか

浪費の拡大はどうやって引き起こさせられるのでしょうか。
たとえば、一昨年までのアメリカは、収入に関係なく(収入を意識させることなく)クレジットで限界までお金を使わせる戦略がとられました。
消費する楽しさを体験させ、消費ブームを引き起こします。
麻薬の売り方と同じです。
しかもそこでは、お金を消費することがお金を得る手段ですらありました。
これはねずみ講の発想です。
そしてこれらがバブル経済の基本構造でもあります。
しかし、それはサブプライムローンの先をつくりだせなかったため挫折しました。

もう一つの方法は、消費しなければ生存基盤が危うくなるという危機感を煽ることです。
背に腹は換えられないですから、ここでも収入は問題になりません。
その典型は戦争ですが、自然災害も地球環境危機も、そして疫病の流行もそうしたときに使われやすい話です。
最近の(今回に限りません)インフルエンザや疫病の報道には、そのにおいを感じてしまいます。
今回もエジプトで大量の豚が処分されたというニュースがありましたが、鳥インフルエンザでたくさんの鶏は卵が処分されるニュースには、どこか大きな違和感があります。
一方で、地球上には餓死者が決して少なくないことが思い出されるからです。
もちろん処分する卵をそうした飢餓者に食べさせようなどというつもりはないのですが、でも心のどこかに、そうした考えが残ります。
処分するよりも、そこから危険性を除去する道はないかということです。

消費はまた廃棄と深く繋がっています。
消費させるには、まずは廃棄させることが必要です。
最近、百貨店やスーパーで下取りセールが流行ですが、このレベルではない廃棄の促進が必要になっているのです。
疫病不安や安全性不安は、そのためには極めて効果的です。
戦争もある意味では、大量廃棄戦略でもあります。

靴を履く文化のないところに、靴を売りに行った営業マンの話があります。
靴を履いていない社会には市場がないと考えるか、無限の市場があると考えるか、
むかし、よくマーケティングのテキストで語られました。
顧客は創造すればいいとドラッカーは言いました。
その発想がいかにおぞましいか、
最近改めて実感しています。

経済の基本を問い直す時ではないかと思います。
それなくして持続可能性など語るべきではありません。
最近のパンデミック論議は、やはりどこかおかしいように感じます。

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2009/05/11

■小沢さんの辞任で希望はすべて消えた気分です

むすめから小沢さんの辞意表明があったという連絡があったので、急いで帰宅しました。
やはり時代の流れには勝てなかったのでしょうか。
テレビでいろいろな人の話を聞いていて、怒りがこらえられなくなってしまいました。
権力の強かさを、改めて感じました。
さわやか財団の堀田力さんの顔を思い出しました。
あれが国家権力の顔なのでしょうか。

小沢さんの秘書逮捕事件を、私は国家権力と生活者の対立と受け止めていました。
問題の構図を「民の横軸」ではなく、「官と民の縦軸」で考えているのです。
ですから、検察の理不尽な横暴と考えています。
最近話題の冤罪とはちょっと違いますが、根は同じです。
権力は何をしても許されるわけですが、しかしその説明はしなければいけません。
それが国民主権の基本です。

今日になってもまだ「小沢さんの説明責任」を語る人がいますが、前に書いたように、明らかにすべきは検察の説明責任です。
一部の人が、検察の横暴と説明責任を口にしていますが、その議論は広がりませんでした。権力に抗うことの恐ろしさを知っている人たちは、口をつぐんでいます。
検察も、その後、驚くほどの黙秘を続けています。

その流れをいち早くつくった一人が、堀田さんだと私は思っています。
朝日新聞で、検察には説明責任はないと言い切ったのです
堀田さんのような人が権力を補強していくのでしょう。
そうした人が福祉の世界やNPOの世界にいてほしくはありません。
いささか言い過ぎで、明日にはもう書いたことを後悔するでしょうが、その時の憤りは大切にしておきたいと思います。

政権交代などと言うのは、その問題に比べたら瑣末な話だといってもいいくらいです。
問題は、その政権そのものの位置づけです。
傀儡政権の中心がどこに動いても意味はありません。
そもそも西松建設と小沢さんの関係など、知っていた人は多かったはずです。
しかも同じような関係は自民党にもたくさんあります。
何がいまさら調査だと、私などは思いますが、権力はいつでも自らのためにしか、事件を起こさないのです。

政治と金の問題なども、その本質は違うところにあるように思います。
2兆円の税金を使って、全国民を金漬けにすることのほうが私にはよほど許せません。
麻生さんの卑しさは、小沢さんの比ではありません。
それに迎合している、テレビのキャスターやコメンテーターは、私には許せません。
みんな金の亡者にしか見えません。

政権交替はもうどうでもいいような気がしてきました。
日本はいまや70年前と同じ下り坂を下り出したように思うからです。
民主党は、やはり政党にはなれなかったような気がします。
この憤りが、私の見識のなさであることを願います。

怒りにまかせて書いたので、品格のない暴論になっているでしょうね。
しかし、書いたおかげで、少しすっきりしました。

蛇足ですが、私は小沢さんの政治思想は好きではありません。
どちらかといえば、嫌いな政治家でした。

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■節子への挽歌617:弱音を少し

節子
たぶん走り続けているといいのでしょうが、少し気を抜いてしまうと、どうも気が萎えてしまうようです。
4月はかなりいろいろなことに取り組んだのですが、連休後半から、また心身が重くなってしまいました。
どうも周期的なそううつ循環が生じているようです。
そういえば、昨年もそうでした。

もっとも、気分が落ち込むというわけでもないのです。
やらなければいけないことがわかっているのに、身体が動かないのです。
たとえば電話です。
一言だけの電話で終わる用件なのですが、電話をかける気にならないのです。
なぜなのでしょうか。
まだどうも精神的には不安定状態のようです。
こればかりは自分ではコントロールできません。

気が萎えた時、たとえばこの数日がそうなのですが、「人間嫌い」になります。
一番嫌悪感を持つのは、言うまでもありませんが、自分自身に、です。
自分が嫌になるのも、うつの典型的な症状でしょうが、それとはちょっと違う気もします。

私は自分の感性を基本にして生きています。
時評編を読んでいる方は感じているでしょうが、かなり世間的な標準からははずれています。
しかも物事をかなり断定的に捉えます。
私と反対の考え方に対する理解力も一応はあるつもりなので、実際には自分の考えを相対化はしているのですが、書いたり話したりする時には断定しないとわかりにくいと思っています。
そうした生き方は、自分では素直に生きていると思っていますが、実はどこかで力んでいるのでしょう。
ですから、気が萎えてくると、世の中の大勢に合わせたら楽だろうなと思ってしまうのです。
世間の常識に合わせて生きていれば、こんな苦労もしないだろうと思ってしまうわけです。
そういう自分が情けなくなります。

節子も「正義感」の強い人でした。
もっとも、その「正義」も、私と同じでかなり独りよがりでしたが、私よりも直感的でした。
知識や情報からの帰結ではなく、暮らしやいのちからの反応でした。
そこから気づかされることも多かったです。

私が大勢に流されてしまったら、節子は嘆くことでしょう。
動かない身体を動かして、今日は3人の人に電話しようと思います。
今週は毎日湯島に出かけることにします。
怠惰になりがちな私を諌めてくれる人はもういませんので、自分で自分を鼓舞しなければいけません。
なんでそんなことをしなければいけないのか、という思いは消えないのですが。

節子
1年前と似てきているのがいささか気になります。
節子がひっぱっているんじゃないでしょうね。

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2009/05/10

■マスクつけず観光地巡ることは非難されることなのか

とても嫌な感じの報道が最近は少なくないのですが、今朝の朝日新聞の次の見出しにはいささかの恐怖感を感じました。

マスクつけず観光地巡る
記事はこう書いています。
大阪府教委などは9日、感染が拡大するカナダで生徒らがマスクを着用せず、観光地などを巡っていたことを明らかにした。
語学研修でカナダに行っていた高校生たちが、昨日帰国し、新型インフルエンザに感染していたことが判明したのですが、それに関連した報道です。
テレビでも学校側がこの点を記者から追及され謝罪していましたが、とてもとても気になる風潮です。
マスクしなかったことがそんなに大きく取り上げられるほどのことかと思うわけです。
恐ろしい予兆を感じます。

マスクをしないことが非難される時代になってきた。
国旗に対して敬意を表しないと処罰され、国家を歌わないと非難される。
そうした時代気分は、どんどんと広がっているようです。

その一方で、電車の座席で化粧している女性を放任し、泥酔して電車に乗ることを禁ずることもない状況ですから、まあ何が非難され、何が許容されるのかが、よくわかりません。
しかし、マスクをしなかったことで非難するような文化は、いささかぞっとします。
こんな見出しをつける新聞社の意識を疑います。

もちろん、感染は防ぐにこしたことはありません。
それに誰だって病気になりたいなどと思ってはいないでしょう。
しかしだからといって、完全防御の生活をしなければいけないわけでもありません。
顰蹙をかいそうですが、ほどほどに感染し、ほどほどに病気になる社会のほうが、健全であり、健康であるような気がします。
パンデミックがどういうものなのかよくわかりませんが、かつてペストが流行したにはそれなりの理由があったように思います。
それが問うているのは、決して、一国の水際で病原菌が入ってくるのを食い止めれば事が済むというような話ではないような気がするのです。
水際で食い止めることにどんな意味があるのか、私には理解できません。

やはり私の常識は、どこかでずれているのかもしれません。
私は、もちろん時代のほうがずれていると思ってはいるのですが。

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■節子への挽歌616:苦楽を共にしていれば相手の痛みはわかる

節子
滋賀や奈良など、関西にいるコムケア活動の仲間たちが「農業と福祉」をテーマにした集まりを企画しています。
その関係で、農業関係の本を読んでいるのですが、佐賀の山下惣二さんが、「百姓が時代を創る」という本の中でこう書いていました。

農家の亭主は女房にいちばんやさしい。
どうしてかというと、女房の苦労を毎日みているからですよ。
苦楽を共にしているから、相手の痛みがわかるのです。

私は47歳で勤務していた会社を辞めました。
その頃は、家のことはすべて節子に任せていました。
私たちは途中から両親と同居したのですが、まあ、とてもいい嫁姑の関係だったと思います。
節子は、私には一言も愚痴らしきことを話したことはありませんでした。
しかし、会社を辞めて在宅の時間が長くなると、節子の苦労が少しはわかってきました。
どんないい嫁姑関係でも、お互いそれぞれに苦労はあるものです。
私が節子のことを心から理解できたのは、会社を辞めて一緒の時間が多くなってからです。

私は勝手に会社を辞めてしまい、節子まで巻き込んで個人オフィスを開きました。
世間的な意味では仕事もせずに、共感したプロジェクトに時間を割いていましたので、収入は極めて不安定で、給料をもらえないことのほうが多かったかもしれません。
こんなに忙しいのになぜ収入がないの、と節子に言われたこともありますが、一緒に働いているうちに、節子は私の生き方を心から理解してくれました。

つまり、私が会社を辞めて、お互いに一緒にいる時間が増えたことで、私たちは深く理解し、支え合える関係になったといっていいでしょう。
「苦楽を共にしているから、相手のことがわかった」のです。

私にとっては、実に刺激的な20年でした。
しかし、不安定な収入のなかで、節子には世間的な贅沢は味わわせることはできませんでした。
おいしいお店にも連れて行ったこともなく、おしゃれな服も買ってやったこともありません。
もちろん宝飾品など無縁であり、旅行もいつも格安ツアーでした。
仕事ばかりしている私に、少しはゆっくりしたらと節子はよく言いましたが、それはもっと夫婦の時間を持とうよということだったかもしれません。

しかし苦楽だけは共にしましたから、お互いの本当のよさがよくわかりました。
お互いの悲しみや喜びも、一緒になって実感できるようになったのです。
ですから、私は妻へのやさしさにかけては、農家の人以上だと自負しています。
夫へのやさしさにかけては、節子もまた世界1でした。
会社を辞めて、私が一番良かったと思うのはこのことです。

しかし、お互いに本当に理解しあえたにもかかわらず、あまりにも早い別れでした。
節子は、私のために苦労し続けて、報われることもなく逝ってしまった、そんな気がします。
決してそうではなく、節子は私との「苦楽」を20年は楽しんだと確信はしているのですが、私よりも早く逝ってしまったことが、不憫でなりません。
私が先に逝けなかったことが、悔しくてならないのです。
この痛みを、節子はもちろん知っていましたが。

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2009/05/09

■節子への挽歌615:節子、書くことがなくなってしまいました

節子
最近、いささか平板な生活をしているせいか、今日はパソコンの前に座ったのですが、書くことが思い浮かびません。
先ほどから、パソコンの前の節子の写真を眺めているのですが、この写真はあまりよくないなとか、闘病中なのにこの時の節子は明るかったな、などとどうでもいいことしか思いつきません。
まあ、そこから書き出すと書けるのでしょうが、なんだかあまり明るい話になりそうもないので、書く気が起きません。
今日は久しぶりに雨が上がり、気持ちのいい日になりましたので、明るい内容を書きたいという思いが強いのです。

娘たちに、何か書くことはないかといったら、そういう時はいつも節子に相談していたのにね、と皮肉られました。
そうなのです。
私は、仕事などで知恵が出なくなったリ、行き詰まったりした時は、いつも節子に相談していました。
相談したからといって節子が良い知恵を出してくれるわけでもないのですが、ちょっとした雑談や、時には感想が、壁にぶつかっていた私の発想を解き放ってくれました。
人は、話しながら考えるものだと、私はいつも思っていますが、とりわけ心開いて話す節子の存在は、私には自らの発想を引き出すためにはとても効果的だったのです。
節子は。私とは全く違った論理回路と基礎情報を持った人でしたから、ともすると袋小路に入りがちな私の発想を柔らかにしてくれました。
おかしな言い方ですが、私たちはお互いの思考回路をも、自分のものとしてシェアできていたように思います。
それに長年一緒に生活していると、相手の心情が自然と伝わってきて、的確なヒントをお互いに与えることができるようになります。
ですから、相談しなくても、ヒントになるような一言があることもあるのです。
壁にぶつかっていると、お茶でも飲まないと誘ってくれたのも、そうしたことの一つです。

そういえば、最近、自宅での発話数は節子のいた頃に比べると大幅に減っているように思います。
これはよくないことです。
幸いに娘たちが同居していますので、彼女たちと話すことは少なくないのですが、そうそう話が合うわけでもありません。
そういえば、彼女たちも自宅での会話数は少なくなっているはずです。
これはいささか問題ではあります。
少し考えなければいけません。

ところで、残されたのが私ではなく、節子だったらどうだったでしょうか。
わが家の家族の会話数は、私がいた時よりも増えるかもしれませんね。
そして節子にとって、今頃はもう、私は過去の人になっているかもしれません。
まあ、毎朝、お経はあげてくれるでしょうが。
節子の写真を見ていると、そんな気がしてなりません。
いやはや、やはり明るくない話になってしまいました。

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2009/05/08

■利他精神に基づいた超民主主義への期待

昨日、NHKテレビで、ジャック・アタリのインタビューが放映されていました。
アタリはフランスの経済学者ですが、その多彩ぶりは経済の枠を超えています。
昨日のインタビューでは最近の著書「21世紀の歴史」について語っていました。

アタリが10年ほど前に書いた「21世紀事典」という本もあります。
そこに「日本」という項目があるのですが、その書き出しはこうです。

21世紀のはじめの3分の1における完全な敗者である。
こうまではっきりと言い切られるといささかムッとします。
そのせいでもないのですが、この本はそれ以来、読んでいません。
思い出して、またその項目を読み直してみました。
こんな記述もありました。

日本の民主主義はまだ成熟したものではなく、大方のところ腐敗した党派によって支配されており、没落を避けるためには、他国の思想、文化、産業に開放的になる以外、ほかの道はない。

私の意見とは正反対ですが、視点が全く違うのでしょう。

アタリは、金融資本の時代、超紛争の時代を経て、「超民主主義の時代」が到来すると考えます。
利他的精神(博愛精神)に基づいた民主主義秩序が実現するというのです。
利他的精神、言い換えれば「愛」の復権ですが、これはおそらく「近代の思想」とは全くパラダイムを異にします。
近代に埋め込まれている理念は「競争」ですが、利他の思想の理念は「共創」です。
「21世紀事典」で、近代人だと勘違いしていたジャック・アタリの新著「21世紀の歴史」を読んでみることにしました。

今日は自宅でだらだらと国会中継を見ていました。
今日の議論はかみ合っていて面白かったです。
日本の民主主義もそう捨てたものではないかもしれません。

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■節子への挽歌614:何かしていないと心が落ち着きません

初夏のようだった数日前とはうってかわって肌寒い日が続いています。
あまりけじめのない連休を過ごしていたせいか、ここに来てちょっと疲れが出てきてしまいました。
予定を変えて、今日は自宅で少し気を抜こうと思い、予定をすべてキャンセルしてしまいました。

考えてみると、節子がいなくなって以来、ゆっくりとした時間を過ごしたことがないような気がします。
何もしないでぼんやりしていたり、自宅でだらっとしていることはあるのですが、積極的な意味で「ゆっくりした」気分にはなれていないのです。
心を通い合わせた人と一緒にいることの意味はとても大きいのです。
これは、その人がいなくなってはじめてわかることかもしれません。

人は、所詮は一人で生まれてきて、一人で死んでいくという人がいます。
教団宗教には、洋の東西を問わず、そうした思想が色濃くあります。
仏教も同じです。
本質的に人間は孤独だというのです。
そう思えばこそ、煩悩から離脱できるというのですが、そうやって離脱することに何の意味があるのか。
仏教書を読んでいて、私が一番抵抗を感ずるのは、そうした「孤独観」です。

私は、人はいつも一人ではなく、みんなの中に生まれ、みんなと共に育ち、みんなとつながりながら死んでいく、と思っています。
煩悩があればこそ、人生は豊かになっていくのです。

2人で生きることは、生きるための問題を複雑化させます。
2人の主体性を調整するための努力も必要ですし、自分の主張を断念しなければいけないことも少なくないでしょう。
しかし、ひとたび、そうした生き方の良さを体験してしまうと、その煩わしさは煩わしさではなくなり、喜びに変わります。
そして、人は孤独ではないことを実感できるのではないかと思います。
節子は最後まで決して孤独ではありませんでした。
そうしたことが、なぜ仏教を初めとした宗教に理念化されなかったかはとても興味ある問題です。
しかも、最近はむしろそうした孤独観を強調した仏教が人気だということに、大きな違和感を持ってしまいます。

話が大きくなってしまいましたが、一緒に人生を歩んでいた節子と一緒に、つまり心を完全に開いたまま、だらっとしている時間が持てないことが、私の最近の疲労感の原因かもしれません。
だとしたら、これからずっと心やすまることがないということでしょうか。
それはちょっと辛いなと思いながら、いま朝から4杯目の珈琲を淹れました。
さて、次は何をしましょうか。
節子、あなたがいないと何かしていないと心が落ち着きません。
困ったものです。

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2009/05/07

■手賀沼に「おしゃれな」なカフェはいりません

コメント欄に、ちょっと書いたことですが、もう一度ここに書かせてもらいます。私の住んでいる我孫子市には手賀沼があります。
沼というので泥臭いイメージを持つかもしれませんが、とても安堵する風景を私たち住民に与えてくれます。
写真集手賀沼というサイトもありますので、よかったら見てください。

その手賀沼にある手賀沼公園の湖畔に沼に張りだす形で、おしゃれなウォーターカフェがあったらいいのにと前から思っていました。
思っているだけではダメなので動き出さなければいけませんが、その話をある人に話したら、その人がこういうのです。
私はこの我孫子が大好きです。
それは土と水と緑のにおいがするからです。
手賀沼の湖畔には着飾ったおしゃれなカフェはつくってほしくありません。

初めて異論をぶつけられました。
そして、ハッと気づきました。
「おしゃれなカフェ」というのは、そういうイメージなのだと。
安直に話していたことを反省しました。
私も、土と水と風が生き生きしている空間を描いていたのですが、どこかにモダンな小奇麗さもイメージしていたかもしれません。
その異論に対して、いささか苦しい回答をしましたが、実はこの異論がこれまで私が出会った一番の賛意なのかもしれないと思いました。
我田引水に考えるのが(ポジティブシンキングともいいます)、私の長所なのです。

「おしゃれ」というのは便利な言葉ですが、誤解を招きがちな言葉です。
注意して使わないといけません。
多義的なのに、反論しにくい言葉があります。
そうした言葉は、議論を封じ込めがちです。
「おしゃれ」もそうした言葉の一つです。
私が一番嫌いな言葉のはずだったのに、自分がそうした言葉を安易に使っていることに気づいたのです。

手賀沼に必要なのは、「おしゃれなカフェ」ではなく、「手賀沼らしいカフェ」です。
それがどんなカフェなのか、みんなで話し合うような場をいつか実現したいと思います。

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■節子への挽歌613:私の生き方を2度変えさせた節子

節子
先日お会いした方からメールがきました。

私の生き方を変えた友が3年前に亡くなりました。
大切な人がいなくなって
心に大きな穴があきました。
穴が大きすぎてやり場がなくて
目の前にあることに夢中になりました。
そして3年が過ぎ・・・
心の穴が塞がり灯りが灯るようになりました。
そんな時、自分の内に友の存在を感じて元気になります。
心に生じた「大きな穴」。
私の場合は、その穴の中に自らが落ちてしまった感じで、何かに夢中になることさえありませんでした。
最近、いろいろなことを始めましたが、やはり「夢中」にはなれません。
しかし、いろいろとやりだしたことは、もしかしたらこの方と同じかもしれません。

3年が過ぎて、ようやく灯りが見え出した。
もう少ししたら私にも灯りが見えてくるでしょうか。

私の生き方を変えた節子は、いなくなることで、私の生き方をまた変えました。
もちろん生き方が昔に戻ったということではなく、さらにその先に変わったのです。
節子は私の生き方を、前に前にと進めてくれたのです。

おそらく今日、メールを下さった方も、そうでしょう。
その、さらに新しい生き方を照らす灯りが見えてきたのかもしれません。
そして、自分のなかに存在する「友」と一緒にまた歩き出したのでしょう。
その感覚は、とてもよくわかるような気がします。

心に大きな穴ができると、人は思索家になるのです。
今まで気づかなかったような自分にも出会います。
そして、そのおかげで、それまでとは違った人たちとの出会いが起こってくる。
節子がいなくなって、私の周りの友だちの風景が少し変わってきたように思います。
もちろん変わることのない友人は少なくありませんが、会うことの多い人たちは一変したようにも思います。
決して私が意図してそうしているわけではないのですが。

私にもきっともうじき灯りが見えてくるのかもしれません。
どんな灯りなのでしょうか。

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2009/05/06

■節子への挽歌612:この頃、ちょっと後悔することが多いのです

有名人の葬儀の様子をテレビのニュースなどで目にすることがあります。
喪主を務めた残された人は健気にみんなに感謝の気持ちをいいます。
葬儀の時には、みんな不思議なほどに気が強まるのです。

そんな映像を見ると、私も節子を見送った日のことを思い出すことがあります。
告別式で挨拶などできるはずがないと思っていたのに、立ち上がって話し出したら、すらすらと言葉が出たのです。
そして話し終わった後も、何を話したのかしっかりと記憶されていました。
それを書き留めて、ホームページの挽歌の総集編に入れました。
一度だけ、読み直したことがありますが、その前の夜のことを思い出しました。
まるで他人事の映像のような感じでした。
リアリティが全くなかったのです。
不思議なほどに涙が出なかったのを思い出します。
それはそれは、不思議な体験でした。

娘たちには挨拶は一言だけにしようと言っていました。
彼女たちも、まさか私があんなにすらすらと話せるとは思ってもいなかったでしょう。
あまりにすらすら話せたので、参会者は私があまり悲しんでいないのではないかと思ったかもしれません。
事実、話している時には、笑顔とまではいかないにしても、明るい顔で話していたように思います。

挨拶に立ち上がった時に、一瞬、涙があふれそうになり、言葉が出ませんでした。
ところが、それを乗り越えたら、後は不思議なほど言葉が滑らかでした。
明らかに誰かによって話させられていたような気がします。
節子が話させてくれたのだと思います。
節子はそういう場では、しっかりと話さないといけないと思う人でしたから。

私はきちんとした集まりの時に、形式ばった話をするのが全く不得手でした。
節子はそのことをよく知っていました。
企業時代も全く権威のない上司だったでしょう。
家庭でもそうでした。
元日の朝、家族が集まって最初の食事をする時くらい、一家の主人として、ちゃんと挨拶をしなくてはいけないと、節子はいつもよく言っていました。
そういう場をつくり、はい、お父さん、始めてください、と言うのです。
私にそんなことが出来るはずがありません。
なにごとも「カジュアルに」が、私の生き方なのですから。
ですから、わが家ではみんなが一斉に「おめでとうございます」と言って、年が始まるのです。
節子はそれが不満でした。

こうして思い出すと、私に対する不満を、もしかしたら、節子はたくさんもっていたかもしれません。
来世でまたやり直すことになったら、もう少ししっかりした夫になろうと思います。
でも無理かもしれませんね。
来世では節子は私を選ばないかもしれませんから。
私は間違いなく、節子を選びますが。
今頃になって、悔やむことが思い出されます。
みなさんはそういうことのないように、伴侶を大事にしてください。

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■危険から逃げる社会と危険を克服する社会

新型の豚インフルエンザの情報が連日、マスコミから大量に放出され、パンデミックの危機を煽っているような気がしてなりません。
もちろん十分な対策をとるために情報を積極的に出すことは必要ですが、その出し方やマスコミの取り上げ方にどうも扇動的なイメージを感じます。
「パンデミック」という言葉も、何か不気味さを感じさせます。
流行を食い止めるのは大切ですが、その反面で何かが犠牲にならなければいいのですが。

発熱症状のある患者が医療機関から診療を拒まれるという状況がすでに発生しています。
東京都の発熱相談センターには、すでに100件近い報告が寄せられているそうです。
海外への修学旅行の中止や延期も報道されています。

危機管理体制が整っている証拠という見方もできるかもしれませんが、どこかに「危険から逃げる社会」を感じてしまいます。
危険から遠ざけた環境に育った子どもたちのひ弱さや「無菌社会」の落とし穴が話題になったこともありますが、どこかそれに似たものを感じてしまいます。

こうした不測の事態に対しては、「逃げる」か「立ち向かう」かですが、いまの対応はどちらでしょうか。
報道を見ていると、どうもこれまでは危険から逃げてきたのではないか、という気がします。
なぜそう思うかといえば、これまでもサーズだとか鳥インフルエンザだとか、同じような体験があったように思いますが、その体験があまり活かされずに、同じような慌て振りをしているように感ずるからです。
特にそう感じたのは、医療機関の対応に関する厚生労働省の方針です。
テレビでしか見なかったので誤解があるかもしれませんが、一般の医療機関では対応しないことのほうが流行を防止するというようなメッセージを感じました。
机上論では間違いなくそうでしょう。
しかし、実際の現場の対応を考えるとそんな話は絵空事でしかありません。
現場から発想して取り組んでいる、たとえば仙台市のように、現実に立脚して、危険に立ち向かう真剣さを感じません。
現場に立脚すれば、危機を煽り立てることなど考えられません。
現場での選択肢は、危機に立ち向かうしかないからです。
そして、その体験は必ず体験知として社会に蓄積されていくでしょう。

今回の豚インフルエンザ流行の報道をみていて、「危険から逃げる社会」と「危険を克服する社会」があることに気づきました。
それはもしかしたら、「危険から逃げる企業」と「危険を克服する企業」というように、「社会」の部分を「企業」や「行政」や、「生き方」に変えてもいいでしょう。

私自身、若い頃は、危険を克服する生き方を少しは意識していましたが、最近はどうも、危険から逃げる生き方だけになっているのではないか、そんなことを気づかされています。
生き方を変えなくてはいけないと思いなおしました。

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2009/05/05

■節子への挽歌611:3人のミュージシャンの出前コンサート

初夏のような昨日と違い、今日は雨です。
あいにくの天気だったのですが、我孫子に住んでいる3人のミュージシャンが、わが家に出前コンサートに来てくれました。
ギタリストの宮内さんの計らいです。
宮内さんは、私に少しゆっくりしろと気遣ってくれているのです。

宮内さんが手賀沼の近くで演奏していて、何となく知り合ったのがコカリナ奏者の鈴木さんと二胡奏者の中村さんです。
これまた不思議な組み合わせですが、それぞれの演奏に取り組むきっかけの話も、いずれも魅力的です。
それを書き出すとそれだけでまた長くなってしまいますので、それはまたホームページのほうに譲ります。
みなさん、とても気持ちのやさしい人で、しかも我孫子が大好きのようです。

鈴木さんは、宮内さんからこの挽歌のことを聞き、その夜、読み始めて気がついたら明け方になっていたそうです。
節子と同じがんセンターに通っていた友人を、見送ったばかりだったのだそうです。
もしかしたら、その方と私たちとは病院ですれ違っていたかもしれません。
そんなこともあって、まずは節子に線香をあげてくださいました。
そして、節子の位牌の前で、演奏をしてくれました。
Kiko_4

私はコカリナも二胡も、直接、演奏を聴くのは初めてです。
今日はジュンが不在だったので、ユカと2人で、贅沢なコンサートを楽しませてもらいました。
聴きながら、節子がいたらどんなに喜ぶだろうかと思いました。
たぶん演奏に合わせて、歌いだしたかもしれません。
節子がいたら、きっとコンサートも開いたにちがいない、そんな気がします。
Niko_2

二胡もコカリナも、心にとても沁みる音色です。
お2人の人柄も伝わってきました。
宮内さんの「なだそうそう」も久しぶりに聴きました。
節子のおかげで、いろいろな人との出会いがまだ続いています。
節子、あなたも聴いていましたか。

宮内さん
ありがとうございました。

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■「民」を統治する官、「官」を統治する民

名古屋市長になった河村たかしさんの活動にとても共感をもっています。
読売新聞は、「そのたび右往左往」の1週間という見出しで、市職員や市議の反応を報道していますが、新聞やテレビで知り限り、河村市長の発言はとても共感できます。
国会議員時代の名古屋弁には違和感がありましたが、市長にあると名古屋弁がぴったりきます。
個性の強い人ですから、好き嫌いもあるでしょうが、私にはその言動がとても素直に入ってきます。
特に共感できたのは、非公開だった幹部会を報道陣に公開したことです。
情報の共有化が政治の始まりでないといけないと思っている私にとっては当然のことですが、その当然のことが行われていないのが「日本の官僚文化」です。
公開されないところで行われるのは「官」であって、「公」ではないというのが私の考えです。「民」を統治する官は、それで当然でしょうが、「官」を統治するという発想に立てば、「官」はすべて公開されて当然です。
河村市長は、局長ら幹部に対し、「テレビや新聞のカメラの向こうには、市民がいることを忘れないでほしい」と述べたそうですが、コムケアセンターの意識が日本の政治家にはありません。
もしあれば、こんな混迷した政治状況にはならないはずです。

読売新聞はこう報じています。

市の幹部は「普通は政策を煮詰めてから発表するが、市長は初めにアイデアをぶち上げて既成事実化する。そのたびに右往左往している」と話し、別の幹部は「政策を実現できなければ、われわれも堀川(名古屋市中心部を流れる川)に捨てられるのか」と冗談とも本気ともつかない言葉を口にした(2009年5月4日)。
当然捨てられて然るべきです。
そうした自覚がいまの官僚や行政職員にはほぼ皆無です。
政策を計画し実現するのが自分たちの役割だと思っている役人はどれだけいるのでしょうか。
もちろん「政策」とは、市民や国民のためのものであることはいうまでもありません。
そういう視点で考えると、「反政策」が横行しているような気がしてなりません。
マニフェストなどとカタカナ言葉は広まっていますが、何も変っていないような気がします。

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2009/05/04

■アリとキリギリス

友人から長電話がありました。
電話が長くなったのは、脱線してしまった結果です。
そこで連休に何をしていたのかという話になったのですが、彼は仕事の関係で仕事をしていたというのです。
自分で会社を経営していますが、零細企業はたとえ休みでもそう簡単には休めないのです。
彼の仕事は毎日処理していないといけない種類の仕事なので休めないのです。

もうそろそろ会社をやめて奥さんとゆっくりしたらと話したところから、話題がおかしくなってしまいました。
彼の幼馴染も自分で事務所をやっているのですが、同じように働いていたのに、彼の友人は億を超える資産を貯めているそうです。
ですからもう後は奥さんとの悠々自適な生活も可能なのだそうです。

しかし私の友人のほうは、おそらくそれ以上の収入があったはずですが、それをその時々に使ってきてしまっています。
なかにはかなり問題のある遊興費や趣味に投じているのではないかと思いますが、私が知っているだけでもたとえば500万円を投じて、自らの主張をテレビで放映するような活動もしています。
ともかくお金は貯めずに、その時々でお金を使っているのです。
そのためまだ借金もあり、仕事をやめられないのだそうです。
どこかで聞いたような話ではあるのですが、それはともかく、電話を切った後、この2人のどちらが豊かな生き方なのか少し考えてしまいました。

やや簡単に割り切れば、「お金を貯める人生」と「お金を使う人生」のどちらが豊かか、です。
なにやら、アリとキリギリスの話を思い出します。
10年前までであれば、私はアリを称賛していましたが、最近はどちらかといえば、キリギリスの方が正しいのではないかという気がしています。
でも、そう簡単に割り切れない面もあります。
キリギリスの生き方を「浪費」と捉えれば評価は逆転しかねません。
しかしキリギリスは、浪費していたのか。
お金を稼いでいないのですから、もしかしたら「浪費」はしていないかもしれません。
一方、アリは将来の生活のために現在の時間を「浪費」していたのかもしれません。
悩ましい問題です。
皆さんはどちらを選ぶでしょうか。

いまさら、アリとキリギリスでもないのですが、お金とは何かを考える上で、とても重要な何かを示唆しているようにおもえてなりません。
私は実は今日まで、自分はアリの生き方をしてきているという認識でしたが、もしかしたらキリギリスだったのではないかという気がしてきました。
自分の生き方は、なかなか本人にはわからないものなのかもしれません。

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■節子への挽歌610:むすめたちの「孝行」

節子
大型連休も残すところ2日ですが、娘たちのおかげで、節子がいたころを思い出す連休の恒例行事が終わりました。

まずは湯島のオフィスに自動車で行くことです。
5月の連休には、季節の模様替えをしに湯島に自動車で行くのが、私たち夫婦の恒例行事でした。
私は自動車の運転には不向きのようで家族から運転を禁じられてからもう10年以上ですが、節子は運転が好きでした。
それで湯島に行く時は、いつも節子の運転でしたが、混まないうちにと早朝に出かけることが多かったのです。
今日は上の娘が付き合ってくれました。
今日は、自宅から自転車を運び、オフィスからは昔の資料を持ち帰りました。
往復の自動車の中で娘と話しながら、節子のことを思い出していました。
この道を節子と通いだしてから20年以上往復していますが、いろんなところに節子の思い出があります。
節子がいないのが本当に不思議です。

下の娘とは、節子の開墾した節子農園を耕して、野菜の苗を植えました。
といっても、主役は娘で、私は節子のいた時と同じく、手伝い人でしかありません。
私も雑草を刈ったりしましたが、30分もやっていると疲れてしまいます。
また倒れるといけないからいいよと娘から言われてしまいましたが、この風景も節子がいた時と同じです。
私の雑草刈りは、かなりいい加減なので、仕上がりが中途半端なので、娘は気に入らないのです。
修はいい加減だからと、いつも節子は笑っていましたが、まあどうせすぐ雑草は生えてくるのですから、完璧にやることなどあまり意味がありません。
それに雑草だって一生懸命生きているのだからすべて抜くのはよくないなどと勝手な講釈をするために、節子にとっては良き手伝い人ではなかったのです。
節子なら笑ってかわしてくれますが、娘にはそんな会話は受け容れてもらえません。
私は1時間で家に帰りましたが、娘は暗くなるまで畑仕事をし、おかげで荒れ放題だった節子農園は畑らしくなりました。
一時はやめようかと言っていましたが、再開です。
節子がやりだしたことを辞めるのは、私にはできないことなのです。

かといって、私が中心でがんばるわけでもないので、娘たちからの私の評価は極めて低いのです。
お父さんは口だけだから、といわれますが、まあ事実だから仕方がありません。
でも嫌味を言いながらも、結局は私のためにいろいろとやってくれるのです。

夜、2人の娘たちがケーキをつくっています。
これも節子の文化でした。
明日の来客のためにがんばってくれているのです。

節子
あなたがいなくても、わが家の連休の恒例行事は続いています。
家族みんなで出かけたりする行事はなくなってしまいましたが。

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2009/05/03

■自己実現の落とし穴

先日、地元のNPOネットワークの集まりに出たことはCWSコモンズに書きましたが、そこで千葉県のNPO担当の人が、NPO活動には「サービスの提供」と「参加する人の自己実現」という2つの役割があると話しました。
NPOの2つの役割。
前に紹介した田中弥生さんは「サービスの提供」と「参加する人の市民性の向上」と言っていますが、「自己実現」と「市民性の向上」には雲泥の差があります。
その集まりでも、私は一言述べておきましたが、真意は伝わったでしょうか。

「自己実現」
よく使われる言葉であり、私も一時期、それにプラスの価値を与えていました。
しかし最近、その言葉にどうも抵抗を感ずるようになってしまっています。
大切なのは、「自己実現」ではなく「実現しようとしている自己」なのだと気づいたからです。
たとえば先日裁判が行われたJR荒川沖駅周辺での通り魔殺人事件の犯人の行動も、自己実現といえないことはないでしょう。

たばこ総合研究センターが出している「談」という雑誌がありますが、その最新号に芹沢一也さんが次のように語っています。
ちょっと長いですが、引用させてもらいます。

生活世界の喪失を補償しようとするセキュリティは、それを実践する過程で一種の快楽を生み出しています。
たとえば、防犯パトロールに勤しむ住民たちは、そうした実践に参加することによって、生きがいや人とのつながりといった、とても具体的な生の充実感を手にすることができる。
その愉悦に満ちた振る舞いが、結果として弱者を排除していくわけですが、しかしながら現在にあっては、そうした住民もいつまで「内部」にとどまれるかはわかりません。
内部と外部を隔てている境界線は、住民たちが信じ込んでいるほど、現在にあっては堅固なものではないのです。
「外部」へと放り出された時、そこは生存への配慮が枯渇した不毛地帯です。
そして、善意と快楽に満ちた監視の眼差しに取り巻かれる。皮肉としか言いようがありません。
この15年間、私はさまざまな市民活動にささやかに関わってきていますが、ずっと感じてきたことを見事に表現しています。
こうした、自分の世界に浸ってしまっている「市民活動家」にたくさん出会ってきました。
彼らが一様に言うのは、しかし、「社会のために」と言う言葉です。
私は「社会のために」とか「社会貢献」などという言葉を自分の行動の説明に使う人にはとても違和感を持ちます。
それは、他者に言われる言葉であって、自分で言う言葉ではないだろうと思うのです。
しかし、私のところに来る人はなぜか、この種の言葉をよく使います。

もっとも、「市民性の向上」という言葉も、「社会のため」とそう変わらないような気もします。
私にとっては、そもそも「市民」などという言葉さえ、まだしっかりと理解できていないのです。
このことに関しては、これから時々書いていこうと思います。
とりあえず、「自己実現の落とし穴」だけを今日は問題提起しておきたいと思います。
その落とし穴に陥っている人が多すぎることに、最近、辟易しているのです。

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■節子への挽歌609:時間とともに積み重なっていく辛さ

節子
世間は大型連休の行楽シーズンですが、わが家は残念ながらどこにも行かずに、ひっそりと暮らしています。
別に、悲しみに打ちひしがれているわけではなく、なんとなく世間が華やかな時には、逆に気持ちが華やがないのです。
節子がいなくなってから今日で609日目、20回目の月命日ですが、気分は自分には素直になれても、世間にはなかなか素直になれません。
すねているわけでもないのですが、世の中に華やいだ気分が広がるのと反比例するように、なぜか気持ちが沈んでしまうのです。

気持ちは華やがないのですが、節子が育てていたわが家の庭の花は華やいでいます。
昨日も近くの人がやってきて、この庭にいると心が癒されますねと言ったそうですが、癒され半分、落ち込み半分というのが、偽らない私の心情です。

ある集まりで、私と同じように気を沈めている友人に久しぶりに会いました。
娘さんを3年前に亡くした話は以前から聞いていました。
みんなが楽しそうに話し合っている片隅で、彼は黙って座っていました。
声をかけようかと思いながらも、自分の話に気が向いてしまっているうちに、ふと気づいたら彼の姿がなくなっていました。
帰ったのかなと思っていたら、しばらくして戻ってきました。
ちょっと他の場所で時間をつぶしていたのだそうです。

はっと気づきました。
場の話が盛り上がるほどに、なにか自分の居場所がなくなってしまう、そういう経験を私も何回かしているではないかと。
にもかかわらず、なぜ彼のことをしっかりと気遣えなかったのか。
自分のことしか考えていない自分がいやになりました。
それ以上に、盛り上がってしまっている話し合いの中に違和感なく溶け込んでいた自分にもいささかの嫌悪感を持ちました。

彼の辛い体験は3年前です。
私は1年半前。
多くの人は、たぶん彼の方が立ち戻れているはずだと考えるでしょう。
しかし違うのです。
彼は辛い世界を3年間も生きている、私はまだその半分です。
そう考えれば、時間が忘れさせてくれるなどと言えないことがわかってもらえるでしょうか。
時間とともに消えていく辛さもあるでしょうが、時間とともに積み重なっていく辛さもあるのです。
愛する人を失うのも辛いですが、愛する人のいない人生を過ごすことも、辛いことです。

一度、彼と会ってみようと思いました。
私でも、何かできることがあるかもしれません。

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2009/05/02

■儲かる農業と暮らせる農業

佐々木さんが、日経ビジネスの特集、企業発「儲かる農業」のことを教えてくれました。
日本の農業生産高8兆1927億円(2007年) は約247万人で作りだしているが、パナソニックの売上高9兆689億円(2008年)は約31万人で稼ぎ出しているという比較に基づいて、「日本の農業の生産効率はパナソニックの10分の1」という記事です。
その論調に対して、佐々木さんは、「農業の方が10倍の人間が仕事に携わることができているということの方が、今は大切なのではないかと思えます」と言うのです。
とても共感できる指摘です。

「生産効率」とは「生産」の「効率」ですが、工業における「生産」は自然の「消費」にほかなりません。
もともと自然から調達した原材料を人工物に加工するわけですが、商品からみれば「生産」でも、原材料の自然からみれば「消費」です。
一方、農業、正確にいえば、工業化された農業ではない農業の場合、「生産」には「消費」の要素はありません。
むしろ自然の循環の中で、自然を豊かにする営みと言ってもいいでしょう。
ですからそこからは「消費」の残滓としての「廃棄物」は生まれません。
同じ「生産」という言葉を使っていても、その意味するものは全く違うのです。

日経ビジネスの記事に出てくる「農業」は、工業化された農業でしょうから、生産効率論議は成り立つのでしょうが、生産性のあまりの大きな違いは、産業とは何か、あるいは生産性とは何か、という本源的な問題にも通じています。
もし廃棄物や環境への影響などの「大きな枠組み」で、生産性を考えたら、パナソニックと日本の農業のどちらが効率がいいかはわかりません。
佐々木さんはまた、「生産高と売上高を単純に比較していいのかもわかりませんが」と書いてきていますが、「生産高」と「売上高」を並べているところにも大きな落とし穴がありそうです。

生産性を高めて働く場から人を追い出していくよりも、多くの人の働く場を確保していく事のほうが大事ではないかという佐々木さんの指摘は含蓄に富んでいます。
「仕事」とは何かという本源的な問いかけでもあります。

最近、「儲かる農業」がもてはやされていますが、その議論には私は与したくありません。
儲かる農業ではなく、暮らせる農業に、もう一度、戻るべきではないかと思います。
さらにいえば、そろそろ「儲ける」などと言う発想は捨てていいのではないでしょうか。
そのことは、「消費する経済」から「生産する経済」への転換に繋がります。
そしてそれは、たぶん働くことの意味を一変させるでしょう。
働くことは稼ぐことや儲けることではなく、生きること、暮らすことになっていくように思います。

ネットで調べたら、同じ特集記事に、「主業農家の平均農業所得は約420万円」というデータも出ているようです。
自然豊かな地方であれば、420万円なくても暮らしは成り立つはずです。
私たちは、なぜかお金がないと暮らしていけないとか、生産効率は高めなければいけないとか、奇妙な思いに縛られていますが、そこから自由になれば、世界は全く違って見えてきます。
みんながお金の呪縛から抜け出せば、今の経済は成り立たなくなるでしょう。
恐慌どころの話ではなく、まったく想像もできないことになるでしょう。
想像できないからみんな踏み切れませんが、踏み切ったら意外となんでもないのかもしれません。
そう思いだした人たちが、少しずつ増えてきているように思うのですが、どうでしょうか。

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■節子への挽歌608:シルシフロラム

節子
2005年の世界蘭展で、節子が買ってきていたシルシフロラムが咲きました。
Ran2

シルシフロラムはもともとビルマ原産ですが、節子が買ってきたのは、タイの蘭園キーリー・オーキッズからのものでした。
節子は、東京ドームで毎年開かれる蘭展に行くチャンスがなかなかなかったのですが、この年は娘のジュンと行ってきたのです。
私はどうも同行できなかったようです。
いかにも節子らしく、蘭展のお店からもらってきた説明書などが、「洋ラン12ヶ月」という本に挟み込まれて残されていました。
そこに、手書きで「黄色、ふじのような花付き」と書いてありました。
まさにそんな感じで咲いています。
節子はメモをするのが好きな人でした。
いつもメモと鉛筆をバッグに入れて、忘れないうちに書き留めていました。
お店の人と話している節子の様子が目に浮かびます。

蘭は自宅で毎年花を咲かすのは難しいのですが、シルシフロラムは2回目の開花です。
わが家ではまだ、胡蝶蘭を咲かせたことはないのですが、デンドロビウムやシンピジウムの種類はよく咲いているようです。
私はどちらかといえば、日本の和名の花が好きだったのですが、最近はどうも和名の花よりもカタカナの名前の花が多くなってしまいました。
それに、昔は「てっせん」と呼んでいたのに、最近は「クレマチス」の名前が広がってしまうようなことも増えています。
花好きの人はカタカナが好きなのでしょうか。

たしかに和花と洋花とは雰囲気が違います。
最近の人には洋花が好まれるのもわかります。
しかし、私にとっては、日本の昔からの花のほうが子供の頃の風景がよみがえってきて、捨て難いものがあります。
近代主義者の節子と葉、そこが違っていました。

わが家の庭も、いまではほとんどが洋花です。
節子もどちらかといえば洋花が好きでしたので、節子の墓前の花はいつも洋花です。
法事も洋花中心なので花屋さんによってはあまりいい顔をされません。
幸いにわが家のお寺のご住職は、どんな花でも受け容れてくれるので、安心ですが。

例年より暖かいせいか、庭の花が次々と咲き出しました。
どの花に、節子は乗っかっているのでしょうか。


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2009/05/01

■パンデミック?

「パンデミック」と言う言葉を頭に刻んだのは、辺見庸さんのテレビ番組でした。
今年の2月1日のETV特集です。
彼は、カミユのペストの医師について語りました。
この小説は、私もかなりの影響を受けた小説ですので、思い出して読み直しました。
あまりの重苦しさに、実は途中を読み飛ばして、希望が見えてきたところを2回ほど繰り返して読みました。
歳のせいか、最近は思い内容の小説は読めないのです。
その時、辺見さんが使っていた「パンデミック」という言葉は、象徴的な意味だと受け止めていました。
まさかペストが再流行するはずもないと思っていたのです。

ところがそれから3か月しかたっていないのに、まさに言葉そのものの意味での「パンデミック」です。
マスコミ情報だけではなく、私の周辺でさえ、その騒ぎに巻き込まれている有様です。
恐ろしいほどの広がりです。
しかも、それが日本では一番の行楽シーズンに発生したのです。
そこに天の啓示をどうしても感じてしまいます。

しかし、どこかで「本当なのか?」という疑念もあります。
これまでも似たような話は何回かありましたが、いつもたいしたこともなく、75日で消えてしまう噂のような結末でした。
今回は、どうなのでしょうか。
テレビでは異常に感ずるほどの報道が続いていますし、薬局の店頭からはマスクが消えているようです。

でも、なんだかどうもおかしいです。
テレビで思い切り不安を高めているわりには、現実の対応策にはおかしさも感じます。
仙台方式、つまり熱が出たらいつものかかりつけに行くということを前提にした対策は効果的でしょうが、論理演算的に講じた国の対策は、どうも現実的ではありません。
絵空事にしか感じません。
リアリティが感じられないのです。

みんなが深々とマスクをしている風景も、違和感があります。
なんだかどこかで基本的に何かが違うような気がしてなりません。
何が違うのか、わからないのですが、テレビを観ていてともかく違和感があるのです。
なぜでしょうか。

流行しているのはインフルエンザではなく、違うものなのではないのか。
そういう疑念から抜け出られずにいます。

でもまあ、手洗いとうがいはちゃんとしています。
心は洗えませんし、うがいもできませんが。

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■節子への挽歌607:「時間がとまる」

昨日は元やくざのdaxさんのことを書きましたが、
ブログに書き上げた直後、世田谷一家殺人事件の特別捜査本部の刑事から電話がありました。
時評編にも書いてしまいましたが、今日は湯島に2人の刑事がやってきました。
湯島には、相変わらずいろんな人がやってきます。

事件の被害者である宮澤みきおさんは私の知人です。
ですから、事件のあった翌日の元旦、新聞社からも電話がありました。
節子は、宮澤さんとは面識はありませんでしたが、せっかくの元日の集まりの時に長電話があったので、この事件はわが家ではよく話題になりました。

宮澤さんのお父さんは時間が止まってしまっているんですよ、と刑事が言いました。
「時間がとまる」
その感覚はよくわかります。
家族のだれかがいなくなると、一瞬そこで時間は止まってしまうのです。
ましてや息子家族全員がいなくなってしまった隙間を埋めるためには、未来永劫、時間を止めたくなるのでしょう。
その気持ちがよくわかります。
不謹慎ですが、私は今も時々、私の時間だけではなく、宇宙の時間を止めたくなります。
いえ、もっと正直に言えば、宇宙を壊したくさえなることがあるのです。

昨日は、その後、ある集まりに出かけたのですが、そこでもまた「時間が止まってしまった人」に会いました。
娘さんを失ったのですが、3年たってもまだ動けずにいるようです。
みんなと話していて、彼のことがとても気になりました。
いささかの危険ささえ感じました。
時間を止めてしまったもの同士でなければ通じ合わない何かが作動してしまったのです。
彼と一度会うことにしました。
古い友人ですが、それほど親しくなく、2人で会ったことなど一度もありませんし、たぶん私とは生き方が正反対だった人です。
価値観が全く違っても、生き方が正反対であろうとも、愛する人、愛するものを失ってしまうと、人間は同じになってしまうのかもしれません。

節子が教えてくれたことはたくさんありますが、
最大のことは私の生き方をエンパワーしてくれたことかもしれません。
私の生き方は、いささか非常識でしたが、
その生き方をすべて受け容れ、一緒に歩き、元気づけてくれたのは節子でした。
隣に悩んでいる人がいたら声をかけることを当然だと支えてくれたのも節子でした。
もう節子には支えてもらえませんが、節子のおかげでそうした生き方を続けてこられたことを、ほんとうに幸せに思います。

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