■消費拡大から抜け出られないのでしょうか
浪費の拡大はどうやって引き起こさせられるのでしょうか。
たとえば、一昨年までのアメリカは、収入に関係なく(収入を意識させることなく)クレジットで限界までお金を使わせる戦略がとられました。
消費する楽しさを体験させ、消費ブームを引き起こします。
麻薬の売り方と同じです。
しかもそこでは、お金を消費することがお金を得る手段ですらありました。
これはねずみ講の発想です。
そしてこれらがバブル経済の基本構造でもあります。
しかし、それはサブプライムローンの先をつくりだせなかったため挫折しました。
もう一つの方法は、消費しなければ生存基盤が危うくなるという危機感を煽ることです。
背に腹は換えられないですから、ここでも収入は問題になりません。
その典型は戦争ですが、自然災害も地球環境危機も、そして疫病の流行もそうしたときに使われやすい話です。
最近の(今回に限りません)インフルエンザや疫病の報道には、そのにおいを感じてしまいます。
今回もエジプトで大量の豚が処分されたというニュースがありましたが、鳥インフルエンザでたくさんの鶏は卵が処分されるニュースには、どこか大きな違和感があります。
一方で、地球上には餓死者が決して少なくないことが思い出されるからです。
もちろん処分する卵をそうした飢餓者に食べさせようなどというつもりはないのですが、でも心のどこかに、そうした考えが残ります。
処分するよりも、そこから危険性を除去する道はないかということです。
消費はまた廃棄と深く繋がっています。
消費させるには、まずは廃棄させることが必要です。
最近、百貨店やスーパーで下取りセールが流行ですが、このレベルではない廃棄の促進が必要になっているのです。
疫病不安や安全性不安は、そのためには極めて効果的です。
戦争もある意味では、大量廃棄戦略でもあります。
靴を履く文化のないところに、靴を売りに行った営業マンの話があります。
靴を履いていない社会には市場がないと考えるか、無限の市場があると考えるか、
むかし、よくマーケティングのテキストで語られました。
顧客は創造すればいいとドラッカーは言いました。
その発想がいかにおぞましいか、
最近改めて実感しています。
経済の基本を問い直す時ではないかと思います。
それなくして持続可能性など語るべきではありません。
最近のパンデミック論議は、やはりどこかおかしいように感じます。
| 固定リンク
「経済時評」カテゴリの記事
- ■資本主義社会の次の社会(2023.10.10)
- ■「資本主義の次に来る世界」(2023.07.24)
- ■「ペットボトル水現象は現代のチューリップ・バブル」(2023.07.06)
- ■読書の3冊目は「マルクス」(2023.03.28)
- ■ドラマ「ガラパゴス」を観て心が揺さぶられました(2023.02.15)
コメント