■節子への挽歌627:星の王子さまとバラ
バラと旅の話がつづきましたが、サン・テグジュペリの「星の王子さま」もいろいろな星を旅しながら最後に地球に着きました。
そのせいか、久しぶりに「星の王子さま」を読みたくなりました。
私の記憶におぼろげ残っている話が出てきました。
王子さまが自分の星を旅立って、7番目に着いたのが地球です。
そして最初に出会ったのがヘビでした。
次がたくさんのバラの花、3番目がキツネでした。
テグジュペリがこの本で言いたかったことは、ここでキツネが語っていることだと思いますが、その一部を少し編集して引用させてもらいます。
ちなみに、王子さまは、自分の星に残してきた1本のバラのことをとても大事に思っているのです。
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えない。かんじんなことは、目に見えないんだよ」これだけ切り離して取り出すことはあまりフェアではないかもしれませんが、それぞれに含蓄を感じます。
「あんたが、あんたのバラの花をとても大切に思ってるのはね、そのバラの花のために、時間をむだにしたからだよ」
「人間っていうものは、この大切なことを忘れてるんだよ。だけど、あんたは、このことを忘れちゃいけない。面倒みた相手には、いつまでも貴任があるんだ。守らなけりゃならないんだよ、バラの花との約束をね」
「かんじんなことは目に見えない」。
いまの私たちが忘れていることです。
「目に見えないこと」の意味はとても広いのですが、その世界を私たちは小賢しい知識と科学で狭くしてしまっているように思います。
有識者といわれる人たちと現場で汗している人たちと、私はそのいずれにも友人知人がいますが、そのどちらが「かんじんなこと」に気づいているかは明らかです。
誰かや何かを大切に思う、つまり愛するのは、その対象のために時間を無駄にしたからだ、というのは、すごい発言です。
思い出すのは、ミヒャエル・エンデの「モモ」ですが、メッセージ力の強さは、その比ではありません。
これは逆ではないのかという人もいるでしょうが、それこそが小賢しい近代の知なのです。
そして3つ目は、面倒をみた相手にはいつまでも貴任がある、ということです。
これも私たちが忘れていることの一つです。
この掟をこわしたのが、「お金」ではないかと、私は思っています。
私は、節子とたくさんの「無駄な時間」を過ごしました。
それに関してはかなりの自信があります。
ですから私は、節子を愛して結婚したのではなく、結婚したから愛したのです。
結婚でもしてみないという言葉でプロポーズしたことの、それが意味でもあるのです。
ところで、節子にこの言葉を伝えた時に、私はまだ「星の王子さま」を読んでいなかったような気がします。
ですから思うのです。
このキツネの言葉は真実ではないかと。
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