■節子への挽歌636:医師と患者の関係の悩ましさ
節子
私も68歳になりました。
そのことをどう節子に報告しようかと先週から思っていたのですが、今日は全く違う話を書きます。
昨日の話です。
節子の主治医だった先生からメールをもらいました。
何回も読んだのですが、先生の許可を得ずに掲載することにしました。
許可を得てないので匿名にさせてもらいます。
昨年の手賀沼エコマラソンの次の日に書かれた日記を先ほど見る機会を得ました。これについて、少し私の気持ちを書こうと思いましたが、やはり涙が出てきて書けません。
正直動揺してしまいました。
佐藤さんが「がんセンターにはいけなくなってしまいました。
近くに行くことはあるのですが、入れません。」と書かれていた気持ちは非常によく分かる気がしたのです。
「医師と患者、そして患者の家族の関係はとても微妙です。」という事も含めてです。今でこそ白状いたしますが、節子さんが亡くなられる少し前(正確には覚えていませんがおそらく1ヶ月くらい前だと思います)に、2人の娘を連れて佐藤さんの家の前まで行ったことがあります。
もちろん節子さんに会ってお話ししたいと思ったことと、うちの娘を節子さんに会わせたかったからです。
どうしてそのように思ったのかはうまく説明できませんが、とにかく娘と共に会いたかったのです。
いろいろとお菓子を作ってくださったこともありましたし、家で佐藤さん方の事は話ししていたこともありましたが、本当のところはうまく説明できません。
その時僕は車を止めて、呼び鈴を押すかどうかしばらく迷い、やめて帰りました。
子供にもどうして折角きたのに会わないの?と言われましたが
その時の僕はそのような判断をしました。
その数日前に僕の妻に、節子さんに会おうか迷っているのだけどと相談したところ、
彼女より「医師と患者さんの関係は微妙であり、時に私情が過ぎるとうまくいきませんよ」とアドバイスされました。
彼女の言葉が大きかったのは事実ですが、その後もあの時会っておけば、と何度か思ったのも事実です。
佐藤さん方と同じように、ずいぶん深く関わっていながら内科治療に移っていったある患者さんが今入院しています。
内科の主治医に状態がすぐれないことを夕方聞きました。
そのあと偶然、佐藤さんのホームページを久しぶりに見たのです。
今日は当直なのですが、先ほどその患者さんに会いに行きました。
もう意識はなく僕が来たことがわかってもらえたか自信がありませんが、
僕ははっきりと、僕が呼びかけたときにうなずいたと分かりました。
その患者さんがずっと僕に会いたがっていたと家族の方々に教えて頂きました。
今日僕がこのような行動をとることができたのは、佐藤さんのおかげです。
急にこんな事を言われて変だと思わないでください。
とても偶然なことなのですが、
もしあの文書を読むことがなかったら、
勇気が出なかったというのが正しい言い方なのかもわかりません。
そして2年前の8月には、その勇気が出せませんでした。
1日、間を置いたので大丈夫かと思っていたのですが、今読み直したら、また胸が痛くなりました。
明日か、明後日、つづきを書きます。たぶん。
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