■節子への挽歌625:待っているのに手紙が来ない
節子
旅先で会った人シリーズをちょっと続けたくなりました。
いろんな人たちに会いました。
今回は、節子を失望させた人たちの話です。
海外旅行で会った人から手紙が来ると期待していたのに、結局は来なかったことが何回かあります。
まず思い出すのが、トルコで会った若者たちでした。
イズミールだったでしょうか、夕方のホテルの近くを散歩していたら、日本語を学んでいるという学生たちのグループに会いました。
そこで例によって、節子との会話がはじまりました。
みんなで記念写真まで撮って、後で送るからと住所を聞きました。
みんなで手紙を書いて、写真もたくさんプリントして送ったのに、その後、音沙汰がありません。
イラクのペルセポリスでは、私が若者たちに捕まってしまいました。
先生が引率していたのですが、その先生からも何か訊かれたのです。
ペルセポリスは私のとても行きたかったところだったので、そんな相手をしたくなく、ゆっくり見物したかったのですが、いろいろと訊かれているうちに時間が集合時間になってしまいました。
慌てて、バスまで節子と走った記憶がありますが、そうまでして写真を送ったのに、その先生からは何の連絡もなしです。
届かなかったのでしょうか。
イランのダリウス大王の墓の近くでは、イラク人と日本人のカップルに会いました。
その人たちはまもなく日本に転居するといい、日本に行ったら連絡しますといっていたのですが、その後、連絡がありません。
こうして考えると、旅先での出会いが付き合いの始まりになるのはそう多くないのかもしれません。
娘たちは、旅先での出会いはそんなものだといいます。
でも私も節子も、そうした偶然の出会いからはじまる物語をいつも楽しみにしていました。
そのため、節子はいつもなにかお土産まで持っていっていましたが、それを渡したのを見たことはありません。
私は遺跡を観に、節子は人に会いに、地中海に行っていたのかもしれません。
まあここで書いた3組の人たちからは期待して待っていたのに結局手紙は届きませんでした。しかし、手紙を待っていたおかげで、その人たちとの記憶ははっきりと覚えています。
その一つひとつに、節子の楽しそうな笑い顔も重なっています。
さて、いまの話なのですが、私は節子からの手紙を待っています。
もしかしたら来るかもしれない、とそんな気がしてならないのです。
いつになっても来ない手紙を待つことには、少しだけ慣れていますし。
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