■国王の処刑
いささか穏当でない話を書きます。
自分たちを統治するために国王を選んだのであれば、その統治がうまくいかない場合、国王は追放されるのが論理的です。
国王が神から選ばれた場合、もし統治に失敗すれば、処刑という運命が待ち構えていたという話を本で読んだ記憶があります。
心当たりの本を少し探してみましたが、見つかりません。
ですから引用はできないのですが、この文化は多くのことを含意しています。
もっとも、その文化は、クロムウェルが英国国王を処刑し、フランスでは革命軍が国王を処刑したあたりが最後だったかもしれません。
ナポレオンもヒトラーも処刑されませんでした。
それに類した話は、今もなお続いていますが、多くの場合は、単なる権力闘争でしかありません。
しかし民の幸せを踏みにじるリーダーは追放ではなく処刑こそが相応しいと、私は思っています。
誤解される恐れがありますが、処刑に賛成しているわけではなく、自らの生命を賭けるほどの自覚がなければ、人を統治すべきではないということです。
統治の失敗は、多くの民の生命を損なうことにつながっているのですから。
事実、この10年、どれだけの人が政治の失敗で生命を失っていることでしょうか。
私は小泉元首相は凶悪犯罪者と考えていますが、私にとっては麻生首相も間違いなき犯罪者です。
いずれも近世以前であれば、処刑の対象者です。
彼らがもし企業の社長だったら、たかだかその会社を倒産させる程度ですんだかもしれません。
その息子は、借金に苦しんだかもしれませんが、まあ世襲の輪は切られ、彼も自分の人生を生きることができるようになるでしょう。
そうなる前に、殿ご乱心と社長を諌める人が出てくるかもしれません。
株主(最近の株主には倫理も良識もないかもしれませんが)も動き出したかもしれません。
しかし、国家の場合はそういう動きは出ないのです。
今の麻生政権を見ればわかるでしょうが、首相の犯罪は周りの人たちで守られているのです。
しかも首相は誰も辞めさせられません。
それを利用している官僚たちは、無能な人であるほど、辞めさせないでしょう。
首相の座を投げ出すほどの勇気も能力もない人が首相であることは、官僚にとっては実にうれしいことでしょう。
北朝鮮の金正日を独裁者と言う人がいますが、麻生首相はたぶんそれ以上の独裁が可能でしょうし、事実そうしているように思います。
国民の税金は湯水のように浪費され、自然環境も生活文化も壊され続けていますが、誰も止められません。
いまどき、クロムウェルは出てきませんので、彼はのうのうと絶対君主役を楽しみ、任期が終われば、処刑されることもなく、余生をさらに楽しめるのです。
未開社会の国王を処刑する文化のほうがいいのではないかなどと、この頃、つくづく思います。
ついでに言えば、人を裁く者もまた、その行為によって自らを裁かれるほどの緊張感がなければ、その任につくべきではないと私は考えています。
その自覚がないために冤罪が後を絶ちません。
そこが司法改革の出発点だと思いますが、それとは全く逆方向の司法改革が進められています。
韓国では前の大統領が自殺しました。
この事件から、こんな妄想を膨らませてしまいました。
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