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2009/05/10

■節子への挽歌616:苦楽を共にしていれば相手の痛みはわかる

節子
滋賀や奈良など、関西にいるコムケア活動の仲間たちが「農業と福祉」をテーマにした集まりを企画しています。
その関係で、農業関係の本を読んでいるのですが、佐賀の山下惣二さんが、「百姓が時代を創る」という本の中でこう書いていました。

農家の亭主は女房にいちばんやさしい。
どうしてかというと、女房の苦労を毎日みているからですよ。
苦楽を共にしているから、相手の痛みがわかるのです。

私は47歳で勤務していた会社を辞めました。
その頃は、家のことはすべて節子に任せていました。
私たちは途中から両親と同居したのですが、まあ、とてもいい嫁姑の関係だったと思います。
節子は、私には一言も愚痴らしきことを話したことはありませんでした。
しかし、会社を辞めて在宅の時間が長くなると、節子の苦労が少しはわかってきました。
どんないい嫁姑関係でも、お互いそれぞれに苦労はあるものです。
私が節子のことを心から理解できたのは、会社を辞めて一緒の時間が多くなってからです。

私は勝手に会社を辞めてしまい、節子まで巻き込んで個人オフィスを開きました。
世間的な意味では仕事もせずに、共感したプロジェクトに時間を割いていましたので、収入は極めて不安定で、給料をもらえないことのほうが多かったかもしれません。
こんなに忙しいのになぜ収入がないの、と節子に言われたこともありますが、一緒に働いているうちに、節子は私の生き方を心から理解してくれました。

つまり、私が会社を辞めて、お互いに一緒にいる時間が増えたことで、私たちは深く理解し、支え合える関係になったといっていいでしょう。
「苦楽を共にしているから、相手のことがわかった」のです。

私にとっては、実に刺激的な20年でした。
しかし、不安定な収入のなかで、節子には世間的な贅沢は味わわせることはできませんでした。
おいしいお店にも連れて行ったこともなく、おしゃれな服も買ってやったこともありません。
もちろん宝飾品など無縁であり、旅行もいつも格安ツアーでした。
仕事ばかりしている私に、少しはゆっくりしたらと節子はよく言いましたが、それはもっと夫婦の時間を持とうよということだったかもしれません。

しかし苦楽だけは共にしましたから、お互いの本当のよさがよくわかりました。
お互いの悲しみや喜びも、一緒になって実感できるようになったのです。
ですから、私は妻へのやさしさにかけては、農家の人以上だと自負しています。
夫へのやさしさにかけては、節子もまた世界1でした。
会社を辞めて、私が一番良かったと思うのはこのことです。

しかし、お互いに本当に理解しあえたにもかかわらず、あまりにも早い別れでした。
節子は、私のために苦労し続けて、報われることもなく逝ってしまった、そんな気がします。
決してそうではなく、節子は私との「苦楽」を20年は楽しんだと確信はしているのですが、私よりも早く逝ってしまったことが、不憫でなりません。
私が先に逝けなかったことが、悔しくてならないのです。
この痛みを、節子はもちろん知っていましたが。

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