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2009/05/18

■節子への挽歌624:最初の東京では高尾山でスイカを食べました

節子
昨日、湯河原のことを書いたら、続いて高尾山のことを思い出してしまいました。
やはりCWSコモンズの活動記録に書かれていました。
2005年11月です。
紅葉のまっさかりでした。
しばらくその見事な効用の前で撮った節子の写真が私のパソコンの画面になっていました。

頂上から見えた富士山を今でもはっきりと思い出します。
その頂上で、鍋をつくっている3人組に話しかけたのが縁で、その仲間に入ってコーヒーまでご馳走になってしまあったのですが、これもまた私一人ではとてもできない話です。
節子はいつもそうやって私たちの世界を広げていってくれました。
小さいですが、みんなで撮った写真もそこに掲載されています。

ところで高尾山といえば。もうひとつ思い出があります。
結婚する以前でしたが、節子と2人で私の両親の家に挨拶に来た時にも、翌日、高尾山に2人で出かけたのです。
はじめての2人の東京旅行が、なんで高尾山なのか不思議ですが、それが私たちのたぶん「好み」だったのだと思います。
今でも覚えていますが、高尾山の駅前でスイカを買って、それだけを持って山頂に行きました。
ナイフも持っていなかったので、そのスイカを手で割って2人で食べた記憶があります。
その写真もきっとどこかにあるのでしょうが、まだ2人とも20代でした。
その時の記憶は、私にはそれ以外、何もありませんが、今から考えてみると、それが私たちの生き方を示唆しているのかもしれません。

ホームページに記録されている、鍋をご馳走になった人たちですが、
残念ながらその後の交流はありませんでした。
住所をお聞きせずに、メールアドレスしか交換しなかったのですが、私からは写真を送りましたが、その返事が来たのですが、それで終わってしまいました。
旅先で出会った人たちとの交流を、節子も私も大事にしていますが、なかなか続くことはありません。

みんな忙しいのかしらね、と節子は言っていました。
1回の出会いを発展させることは、そう簡単ではないのかもしれません。
でも私たちは、一度でも会えば、もう永遠の友だちのような気になるところが似ていました。
もっともっとみんなが出会いを大事にすれば、世界は楽しくなるのにね、と私たちはいつも話していました。
私たちが楽しい生活を送れたのは、いろいろなところで出会った、さまざまな人に支えられていたからだということを、私も節子も、よく知っていましたから。

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