■羽田空港検疫官木村もりよさんの疑問
羽田空港検疫官の木村もりよさんが、テレビのインタビューで、新型インフルエンザ対策で行われた空港や機内での検疫を、明確な言葉で批判しているのを観て、厚生労働省職員にもこうした人がいるのかと驚いたのですが、数日後に彼女が参院予算委員会に参考人として発言しているのをニュースで見て、さらに驚きました。
木村さんは、そこで、「マスク、ガウンをつけて検疫官が飛び回る姿は、国民にパフォーマンス的な共感を呼ぶ。利用されたのではないかと疑っている」と述べたそうです。
あの画面を見て、私が感じた第1印象と全く同じです。
表面的な広報技術を学んだどこかの広報コンサルタントの浅知恵が、また馬鹿なことをやらせていると思いました。
広報は、実体が基本ですが、昨今の広報コンサルタントのビジネスは本末転倒していることも少なくありません。
後で知ったのですが、木村さんは「厚生労働省崩壊」という著書もあるそうで、早速、アマゾンで注文しました。
木村さんは、テレビ取材の前に、省内でも上司にしっかりと反論していたと思いますが(もしそうでなければ、彼女自身の行動こそがパフォーマンスということになります)、そうした議論があったということだけでも少しホッとします。
組織では、「意思決定」と「行動」との距離が少なからずあります。
行動は、社会と接点を持つ組織の境界領域で展開されますが、意思決定は多くの場合、社会と切り離されたところで行われます。
組織が大きくなると、その距離が大きくなるために、組織は現実とは無縁の論理で動き出しますから、どこかで破綻します。
ところが、行政制度の場合は、破綻せずに、それぞれが別々の世界を形成していくことがありえるのです。
たとえば、厚生労働省の意思決定者にとっては、インフルエンザの流行を止めることは第二義的な意味しかなく、予防対策を展開していることを社会に示すことが目的になってしまうわけです。
これが日本の行政お得意のアウトプット型行政です。
景気対策は予算を増やして、歳出を増やせばいいのです。
だから何も考えていない麻生首相や与謝野さんにもできるのです。
それが効果的に活用されるかどうかは全く関心の外です。
たとえば、霞が関のさまざまな助成金は、それこそ湯水のごとくばら撒かれていますから、その恩恵を受けて不労利益までもらっている人ですら罪悪感や違和感をもつほどです。
その成果には関心はありません。
しかし、アウトプット方行政とは、そういうものです。
それに対して、アウトカム型行政というのが、一応話題にはなりだしています。
ちなみに、私のこのブログに立ち寄ってくれる方の、検索ワードのトップは「アウトカム」なのです。
私のブログではそれほど話題にはしていませんが、不思議です。
アウトカムから発想すると木村さんのような指摘が出てくるのでしょうが、アウトプット発想からは出てきません。
そもそも最初に「パンデミック仮説」があるわけですから、感染者が大量に出てくることを前提にして方策が仕組まれています。
ですから、大量感染という事態になっても、行政は何のお咎めもない大勢が最初から用意されているわけです。
そうした行政の本質的な仕事への取り組み方を、木村さんは問題提起しています。
おそらくそう遠くないうちに、木村さんは大学の先生に転身されるでしょうが(つまり厚生労働省にはいられなくなるでしょうが)、現場起点のアウトカム発想から霞が関を組み変えていかなければ、厚生労働省は生活に役立つ省にはならないように思います。
分割すればいいというような問題ではないでしょう。
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