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2009/05/04

■アリとキリギリス

友人から長電話がありました。
電話が長くなったのは、脱線してしまった結果です。
そこで連休に何をしていたのかという話になったのですが、彼は仕事の関係で仕事をしていたというのです。
自分で会社を経営していますが、零細企業はたとえ休みでもそう簡単には休めないのです。
彼の仕事は毎日処理していないといけない種類の仕事なので休めないのです。

もうそろそろ会社をやめて奥さんとゆっくりしたらと話したところから、話題がおかしくなってしまいました。
彼の幼馴染も自分で事務所をやっているのですが、同じように働いていたのに、彼の友人は億を超える資産を貯めているそうです。
ですからもう後は奥さんとの悠々自適な生活も可能なのだそうです。

しかし私の友人のほうは、おそらくそれ以上の収入があったはずですが、それをその時々に使ってきてしまっています。
なかにはかなり問題のある遊興費や趣味に投じているのではないかと思いますが、私が知っているだけでもたとえば500万円を投じて、自らの主張をテレビで放映するような活動もしています。
ともかくお金は貯めずに、その時々でお金を使っているのです。
そのためまだ借金もあり、仕事をやめられないのだそうです。
どこかで聞いたような話ではあるのですが、それはともかく、電話を切った後、この2人のどちらが豊かな生き方なのか少し考えてしまいました。

やや簡単に割り切れば、「お金を貯める人生」と「お金を使う人生」のどちらが豊かか、です。
なにやら、アリとキリギリスの話を思い出します。
10年前までであれば、私はアリを称賛していましたが、最近はどちらかといえば、キリギリスの方が正しいのではないかという気がしています。
でも、そう簡単に割り切れない面もあります。
キリギリスの生き方を「浪費」と捉えれば評価は逆転しかねません。
しかしキリギリスは、浪費していたのか。
お金を稼いでいないのですから、もしかしたら「浪費」はしていないかもしれません。
一方、アリは将来の生活のために現在の時間を「浪費」していたのかもしれません。
悩ましい問題です。
皆さんはどちらを選ぶでしょうか。

いまさら、アリとキリギリスでもないのですが、お金とは何かを考える上で、とても重要な何かを示唆しているようにおもえてなりません。
私は実は今日まで、自分はアリの生き方をしてきているという認識でしたが、もしかしたらキリギリスだったのではないかという気がしてきました。
自分の生き方は、なかなか本人にはわからないものなのかもしれません。

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