« ■儲かる農業と暮らせる農業 | トップページ | ■自己実現の落とし穴 »

2009/05/03

■節子への挽歌609:時間とともに積み重なっていく辛さ

節子
世間は大型連休の行楽シーズンですが、わが家は残念ながらどこにも行かずに、ひっそりと暮らしています。
別に、悲しみに打ちひしがれているわけではなく、なんとなく世間が華やかな時には、逆に気持ちが華やがないのです。
節子がいなくなってから今日で609日目、20回目の月命日ですが、気分は自分には素直になれても、世間にはなかなか素直になれません。
すねているわけでもないのですが、世の中に華やいだ気分が広がるのと反比例するように、なぜか気持ちが沈んでしまうのです。

気持ちは華やがないのですが、節子が育てていたわが家の庭の花は華やいでいます。
昨日も近くの人がやってきて、この庭にいると心が癒されますねと言ったそうですが、癒され半分、落ち込み半分というのが、偽らない私の心情です。

ある集まりで、私と同じように気を沈めている友人に久しぶりに会いました。
娘さんを3年前に亡くした話は以前から聞いていました。
みんなが楽しそうに話し合っている片隅で、彼は黙って座っていました。
声をかけようかと思いながらも、自分の話に気が向いてしまっているうちに、ふと気づいたら彼の姿がなくなっていました。
帰ったのかなと思っていたら、しばらくして戻ってきました。
ちょっと他の場所で時間をつぶしていたのだそうです。

はっと気づきました。
場の話が盛り上がるほどに、なにか自分の居場所がなくなってしまう、そういう経験を私も何回かしているではないかと。
にもかかわらず、なぜ彼のことをしっかりと気遣えなかったのか。
自分のことしか考えていない自分がいやになりました。
それ以上に、盛り上がってしまっている話し合いの中に違和感なく溶け込んでいた自分にもいささかの嫌悪感を持ちました。

彼の辛い体験は3年前です。
私は1年半前。
多くの人は、たぶん彼の方が立ち戻れているはずだと考えるでしょう。
しかし違うのです。
彼は辛い世界を3年間も生きている、私はまだその半分です。
そう考えれば、時間が忘れさせてくれるなどと言えないことがわかってもらえるでしょうか。
時間とともに消えていく辛さもあるでしょうが、時間とともに積み重なっていく辛さもあるのです。
愛する人を失うのも辛いですが、愛する人のいない人生を過ごすことも、辛いことです。

一度、彼と会ってみようと思いました。
私でも、何かできることがあるかもしれません。

|

« ■儲かる農業と暮らせる農業 | トップページ | ■自己実現の落とし穴 »

妻への挽歌04」カテゴリの記事

コメント

佐藤様より新米の私ですが、同じような気持ちです。
先日、主人の一周忌法要を終えました。

皆様の言葉の中にしきりに「区切り」というのが出てくるのですが・・・違和感を
感じながら。。時間が経つごとに周りの期待と自分の気持ちの中との隔たりが大きく
なっていくような気がしています。実際に法要をすませた後の方が何ともいえない
虚脱感に襲われています。

主人の写真に向かって「ねえ、長い不在に、私は疲れてきたわ」と文句を言ってしまい
ました。主人が悪いわけではない、真摯に投げ出すことなく闘い、無念の思いで旅立った
であろう主人の気持ちは十分に分かっているつもりですが、つい泣き言を言いたくなり
ました。多分、私自身が自分でかけているプレッシャーに疲れているのだと思います。

投稿: 田淵 マサ子 | 2009/05/03 22:23

田淵さん
私も、一周忌法要を終えたころに、ちょっと気が沈みこんだことがあります。

あまり自分にプレッシャーをかけないほうがいいですよ。
といっても、ほかの人からのアドバイスは役にはたたないでしょうが。

泣き言は、どんどん口に出すのがいいです。
私のこの挽歌は、泣き言ばかりです。
また気楽に泣き言を投稿してください。

投稿: 佐藤修 | 2009/05/06 20:18

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■節子への挽歌609:時間とともに積み重なっていく辛さ:

« ■儲かる農業と暮らせる農業 | トップページ | ■自己実現の落とし穴 »