■節子への挽歌630:中途半端な楽しさは、悲しさも引き出します
節子
今日はめずらしく家族3人でイタリアン・レストランに行きました。
むすめの友達がやっている、柏にあるイタリア田舎料理の「まがーり」です。
シェフの佐藤峰行さんは、23歳の時に料理人になることを決意して、イタリアに修業に行き、そこからまあいろいろとあって、2003年に「まがーり」を開店したのだそうです。
むすめから話は何回か聞いていたので、一度、みんなで食べに行くことにしていたのです。
「まがーり」では、毎月、イタリアの特定の地方の料理メニューにしているのですが、今月はアブルッツォ州でした。
と言っても、私は名前も知らなかったのですが、そこの料理では仔羊のミートソース和えがおいしいのだそうです。
肉が不得手で、しかもミートソースも不得手な私としては、残念でしたが、メインは魚にしてもらいました。
魚はヒラメでしたが、とても素直な仕上げでおいしくいただきました。
野菜の味付けも私の好みにぴったりでした。
田舎料理だからでしょうか、とても素朴で素直で、イタリアンのイメージがちょっと変わりました。
食事をしていて、思いだすのはやはり節子のことです。
節子がとても喜びそうなお店だったからです。
実にアットホームで、素朴で、いろんな意味で「すき」のあるお店なのです。
最近のレストランは、なにやらきれいすぎて退屈ですが、このお店には表情が感じられます。
それが、たぶん節子が気にいることなのです。
まあ、節子のことですから、いろいろと批判をし、改善点をあげることでしょう。
しかし、それこそが、会話を育てるお店なのです。
料理も間違いなく、節子好みです。
味付けがとても素直なのです。
おそらくシェフの人柄が出ているのでしょう。
人柄が感じられないような味は、節子も私も好きではありません。
デザートに手づくりケーキが出てきましたが、そば粉と卵白で作ってみたそうです。
これも美味しかったです。
ちょっと素朴に硬すぎる感じもしましたが、そこが田舎料理の良さかもしれません。
節子なら早速、レシピを訊いて家で作ったことでしょう。
そうした会話が弾みそうな雰囲気のレストランです。
久しぶりに3人でのイタリアンでしたが、節子がいたらもっともっと楽しい食事になったことは間違いありません。
わが家では、時々3人で外食するのですが、節子がいた4人の時と今の3人では、雰囲気が全く違います。
楽しさが全く違うといってもいいかもしれません。
そして、いつも必ず、節子のことが話題になります。
時に、私は涙が出そうになります。
家族にとって、やはり妻であり母親である人の存在は大きいです。
なにかある度にそう思います。
家族で最初に抜けるのは、やはり父親であるべきだと、今日も娘たちと話していて思いました。
妻のいない夫は抜け殻のようであり、母親のいない家族は空気の抜けかけたボールのようです。
食事は楽しかったのですが、節子のことを思い出したら、何だかとても悲しくなってしまいました。
中途半端な楽しさは、悲しさを引き出す役割を果たすものなのです。
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