■「民」を統治する官、「官」を統治する民
名古屋市長になった河村たかしさんの活動にとても共感をもっています。
読売新聞は、「そのたび右往左往」の1週間という見出しで、市職員や市議の反応を報道していますが、新聞やテレビで知り限り、河村市長の発言はとても共感できます。
国会議員時代の名古屋弁には違和感がありましたが、市長にあると名古屋弁がぴったりきます。
個性の強い人ですから、好き嫌いもあるでしょうが、私にはその言動がとても素直に入ってきます。
特に共感できたのは、非公開だった幹部会を報道陣に公開したことです。
情報の共有化が政治の始まりでないといけないと思っている私にとっては当然のことですが、その当然のことが行われていないのが「日本の官僚文化」です。
公開されないところで行われるのは「官」であって、「公」ではないというのが私の考えです。「民」を統治する官は、それで当然でしょうが、「官」を統治するという発想に立てば、「官」はすべて公開されて当然です。
河村市長は、局長ら幹部に対し、「テレビや新聞のカメラの向こうには、市民がいることを忘れないでほしい」と述べたそうですが、コムケアセンターの意識が日本の政治家にはありません。
もしあれば、こんな混迷した政治状況にはならないはずです。
読売新聞はこう報じています。
市の幹部は「普通は政策を煮詰めてから発表するが、市長は初めにアイデアをぶち上げて既成事実化する。そのたびに右往左往している」と話し、別の幹部は「政策を実現できなければ、われわれも堀川(名古屋市中心部を流れる川)に捨てられるのか」と冗談とも本気ともつかない言葉を口にした(2009年5月4日)。当然捨てられて然るべきです。
そうした自覚がいまの官僚や行政職員にはほぼ皆無です。
政策を計画し実現するのが自分たちの役割だと思っている役人はどれだけいるのでしょうか。
もちろん「政策」とは、市民や国民のためのものであることはいうまでもありません。
そういう視点で考えると、「反政策」が横行しているような気がしてなりません。
マニフェストなどとカタカナ言葉は広まっていますが、何も変っていないような気がします。
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