■節子への挽歌633:深い信頼関係があれば、生きるも死ぬも同じかもしれない
節子
私たちは、お互いを信頼するという点では、一点の曇りもなかったですね。
まあお互いに頼りなさは感じていましたが、自らの生命ですら、相手の決断に託すことができるほどの、信頼関係があったといってもいいでしょう。
節子は、私に自らの生命のすべてを託しました。
それを、私ははっきりと実感していました。
だからこそ、それを守れなかった自分自身の不甲斐なさから、いまなお私は立ち直れないのですが、節子はそのことを微塵も後悔していないでしょう。
そのことには、自信があります。
立場が逆であったとしても、同じだったでしょう。
節子は私のために最善を尽くし、尽くしてもなお悔いを残したはずです。
人を、それも大人になってから初めて出会った他者を、これほど信頼できるということは、おそらく幸運としかいいようがありません。
私たちは、一度として、相手を裏切ることはありませんでした。
いや、そう言い切るのはわずかばかりの迷いがないわけではありませんが、節子も私も、相手に自らの生命をゆだねることにおいては、全くの躊躇がなかったと思います。
裏切られることはないという確信が、私たちには間違いなくあったのです。
人は他者を完全に信頼できるものだという体験があれば、生きるのはとても楽になります。
素直に自分を出すことにも躊躇がなくなります。
生きるためには、お金よりももっと効果的なものがあることも確信できます。
私の楽観主義も、節子の楽観主義も、お互いに伴侶を信頼できる関係をもてたからではないかと思います。
信頼する伴侶がいれば人は生きられる、と私は思っていました。
唐突にこんなことを書いたのは、理由があります。
今日、東尋坊で自殺防止活動をしている茂さんから電話をもらいました。
電話で話していて、突然思い出したのが、茂さんがこの活動にのめりこんでいった契機になった不幸な事件です。
テレビや新聞などで時々取り上げられるので、ご存知の方も多いでしょうが、茂さんの働きかけで、一度は死を思いとどまった仲の良いご夫婦が、その後、結局は死を選ばざるを得なかった話です。
いまでも茂さんは、その人たちからの最後の手紙を大事にとっています。
お互いに、心底、信頼しあっていたご夫婦がなぜ死ななければいけなかったのか。
以前から、そのことがずっと気になっていました。
今日、茂さんとの電話が終わった後、なぜか急にそのことが思い出されました。
そして、その疑問が氷解したのです。
心底信頼しあっていたからこそ、一緒の死を選んだのだ、と。
茂さんに話したら、そんなことはないといわれそうなので、内緒にしておこうと思いますが。
なぜそう思ったのか。
実は、昨日、書きかけてややこしくなってしまった記事は、「生きること」と「死ぬこと」とは同じことなのだという話なのです。
昨日も書きましたが、書いていてまとまらなくなっていたのです。
「生きること」と「死ぬこと」とが同じ、そんなはずはないからです。
でも、もしかしたらそれは正しいのかもしれません。
そんな気がしてきたのです。
もう少しまとまったらこの挽歌に書いてみたいと思います。
まだまだ未消化で、支離滅裂ですが、最近、生きることの意味が何となくわかってきたような気がしてきました。
死が近いのかもしれません。
節子が呼んでいるのでしょうか。
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