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2009/05/23

■家族が新型インフルエンザにかかったらどうしますか

今日の朝日新聞の夕刊に、次の見出しの記事が出ていました。

家で「隔離」1週間 感染の高校生、
電話でつながる家族
記事によるとこんな話です。
新型インフルエンザに感染した神戸市の女子高校生が、1週間、自分の部屋から出ないよう病院と保健所から指示され、同居の家族とも、電話の子機だけでのつながりだったというのです。
わが家では絶対にありえない話です。
と言うか、常識的に考えても、あってはいけない話ではないかと思うのですが、どう考えても恐ろしい話です。
念のために、わが家の娘たちに確認したら、やりすぎだろうというので安心しました。
ハンセン病を思い出すといったら、批判されそうですが、どこかに通ずるものを感じます。

家族の誰かが病気になったら、私は自らがたとえうつる恐れがあったとしても、生身で看病しますし、看病してほしいと思います。
もちろん伝染しないように細心の注意は払いますが、それでもうつってしまったら、それは仕方がありません。
法的に決められている伝染力の強い病気で、病院に隔離されるのであれば、それは受け入れますが、「隔離」の発想の恐ろしさを感じます。

大変失礼ですが、その家族の親たちの見識を疑います。
そうした発想が自然と出てくる人たちが増えていることに対して、不気味さを感じてしまいます。
鳥インフルエンザにかかった鳥を大量廃棄処分にする発想と同じではないでしょうか。
いや、これ以上、恐ろしい妄想を発展させるのはやめましょう。
しかし、こうした話は、決して笑い話ですますべきではありません。

私は家族からは必ずしも同意されていませんが、風邪菌にも場を与えていくことが必要ではないかという思いを持っており、毎年、風邪を引いています。
風邪を引いたら3日ほど、彼らに活躍してもらいますが、4日目からは彼らに退出してもらうようにしています。
今は亡き妻は、そうした私の発想をいつも笑っていましたが、私はかなり真面目にそう考えています。
大げさに聞こえるでしょうが、もし生物多様性論を口にするのであれば、それくらいの自己犠牲は甘んじて受け容れるべきでしょう。
まあ、あまり論理的ではなく、たぶん支離滅裂なのでしょうが、私は本能的にそう思っています。

今回のインフルエンザ対策はもちろんですが、最近の病気予防対策には違和感があります。
風邪が怖くて、生きていけるか、という気がします。
インフルエンザに罹るのも、また人生なのです。
風邪を引いたことのない人生よりも、私は引いたことのある人生が豊かなような気がします。
また支離滅裂になってきましたので、やめましょう。

みなさん
家族が新型インフルエンザにかかったら、親身に看病しましょう。
それでこそ家族です。
人間というものがわかっていない医師の言いなりになってはいけません。
治る病気も治らなくなりかねません。
但し、その結果、問題が起こっても私は責任は取りません。
それは皆さんの家族の問題だからです。

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