■節子への挽歌626:海外旅行で知り合った人たち
イラン旅行は、私と節子との最後の海外旅行でした。
ツアーで行ったのですが、同じツアーに小林さんと岡林さんという、私たちよりも一回り年上の女性2人組がいました。
とても元気なのです。
旅行期間中に、節子はそのお2人と仲良くなりました。
いろいろと話しているうちに、なんと岡林さんと私には共通の友人がいることがわかりました。
世界は狭いもので、そうしたことは時々起こります。
帰国後、ぜひまたお会いしたいというので、一緒に食事をすることになりました。
湯島の私のオフィスに来てもらい、近くのレストランで久しぶりに会食しました。
私も同席させてもらいました。
私が会社を辞めて、節子と二人三脚で仕事を始めてからは、一緒に行動できる時はできるだけ一緒にいようと言うことにしていたのです。
そうやって誰かに会う時、節子はいつもちょっとしたプレゼントを用意していました。
お金にすれば、それこそ高くても数百円のものだったように思いますが、そうした小さなプレゼントを用意するのが節子の文化でした。
その文化はなかなか私には真似できない文化です。
私が思うに、そんなものをもらったら結局は「ごみ」になるんじゃないかと思うようなものもありましたが、節子のその気持ちはとても私には魅力的でした。
エジプト旅行で知り合ってお付き合いが始まったのは、金沢に住む八田ご夫妻でした。
帰国後も交流が続き、私たちはわざわざ金沢まで八田さんに会いに行きました。
たぶんこれも節子が行こうと言い出したはずです。
八田さんご夫妻とお会いしたら、八田さんの奥さんが私たちに言いました。
暑いエジプトで遺跡を歩くのがとても疲れていた時に、佐藤さんたちからそれぞれ声をかけてもらったのがとてもうれしかったのです。
後で、ビデオで撮影したものを見ていたら、たまたま私が「暑いですけど大丈夫ですか」と八田さんの奥さんに声をかけているのが録音されていました。
きっと節子も、同じような声を別の場面でかけていたのでしょう。
八田さんたちからは、私たちがそれぞれ別々に、しかし同じように接したのが印象的だったようです。
その八田さんたちももう今はいません。
節子と彼岸で会っているでしょうか。
私と節子との海外旅行は回数は多くはありませんが、いずれにもとてもあったかい記憶があります。
遺跡周りの後は、節子の好きな自然まわりの予定でしたが、それが始まる前に、節子は一人で彼岸に旅立ってしまったのです。
向こうで、どんな人たちとの出会いを楽しんでいるのでしょうか。
ひとついえることは、節子は私がいればこそ、新しい出会いを楽しめたのだと思います。
一人の時の節子は、意外に消極的だったはずです。
なぜそうかといえば、私もそうだからです。
私たちは、2人でいる時と、別々に1人でいる時とでは、人格が違っていたような気がします。
2人でいると2人とも、心底、素直になれたのです。
もう私も、心底、素直になれることがなくなってしまったのかもしれません。
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