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2009/05/28

■理念か現実かー党首討論の感想

昨日の党首討論は、残念ながらすべてを見ることができませんでしたが、報道ステーションが比較的長く流してくれたので、それを見ることができました。
私の評価は、大方のマスコミ報道とは全く違います。
価値基準が違うのですから、それは仕方がないのですが、一番気になったのは、麻生首相が、友愛や絆を説く鳩山代表を「問題は理念、抽象論ではなく、現実問題」と切り捨てたことです。
理念がないから日本の政治は迷走しています。
1980年代に、日本の政治は崩壊し始めたと私は思っていますが、その基本は理念の欠如です。
それが明確になってきたのは、1990年代に入ってからだろうと思いますが、総理大臣の職そのものが次第に私物化されたように思います。
もし1980年代に日本の政治が理念を失うことがなかったならば、今のような世界の混乱もなく、日本の社会の状況も全く違っていただろうと思います。

ジャック・アタリは近著「21世紀の歴史」でこう書いています。

多くの人々は、東京が(世界の次の)「中心都市」になるのではないかと想像するようになった。当時(1980年前後)の日本には金融力があり、経済はよく統制されていた。また、日本には貧困に対する不安感があり、テクノロジーと工業力があった。
しかし、日本は結局、その可能性を活かせず、世界の中心都市はロスアンジェルスに移ったとアタリはいいます。
さらにアタリは、日本の経済力は2025年には世界第5位ですらないかもしれないと書いています。
私は地すべり的に経済力も政治力も崩壊していくような気がします。
それが私たちの生活にとって良いか悪いかは別問題ですが。

理念がなければ社会は崩れます。
1980年代はともかく、1990年代になって、理念のない、つまり政権能力(マスコミと定義は違いそうですが)のない自民党政権が日本を壊し続けてきました。
それに便乗したのが、日本の大企業経営者でした。

もし今が100年の危機なのであれば、理念なくしては乗り越えられません。
現実対応は所詮は官僚に任せなければいけないのですから、その傀儡政権には政治はできないはずです。
その基本が、すべての議論から抜け落ちているような気がします。
「理念ではなく現実」
政治家の言葉ではありません。

この点を議論しないマスコミには失望します。
有識者といわれる人で、こうした議論を以前からしているのは寺島実郎さんくらいでしょうか。

麻生首相はまた、「国民の最大の関心は西松建設事件」といいました。
本当かな、と思いますが、少なくとも私は西松事件に大きな関心を持っています。
しかし、その関心は小沢さんの関係ではなく、検察と政治の癒着と言うことです。
政治に理念がなくなった時に、政治を正すのはだれでしょうか。
三権分立の発想から言えば、司法しかありません。
しかしその司法もまた、おかしくなってしまっています。
司法は壊れつつあるように思います。
裁判員制度は、それを加速させるでしょう。

党首討論での唯一の救いは、私には鳩山さんの「友愛」の発想です。
なぜこの理念が評価されないのか残念ですが、少なくとも私はこの理念で67年間生き続けてきて、今も豊かに暮らせています。
運がよかったのでしょうか。

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