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2009/05/25

■北朝鮮の核実験で思うこと

北朝鮮の核実験が大きな話題になっています。
本当に次々と世間を騒がす事件が起こるものです。

ところで、私ですが、どうも感受性が弱いのか、常識がないのか、視野が狭いのか、利己主義なのか、馬鹿なのか、今回も「それが何なの?」という程度の思いしか出てこないのです。
危機感など全くないのです。
新型インフルエンザもそうですが、大騒ぎになるような事件に対して、どうしても騒ぐ意味が理解できないのです。
困ったものです。

もし今回の核実験が成功したのであれば、北朝鮮は日本への核攻撃が可能になったとテレビは報道しています。
まあ攻撃されたら逃げようもなく、恐ろしいといえば恐ろしいです。

しかし、です。
アメリカやロシアは、北朝鮮とは桁違いの核爆弾を保有しています。
なぜそれは脅威ではないのでしょうか。
自分たちは核爆弾を有り余るほど持っており、もしかしたその管理の不備から誰かに盗まれるかもしれないような状況にあるにもかかわらず、ほかの国がささやかな核爆弾をもつことをなぜ非難するのでしょうか。
核拡散防止条約に反するといいますが、なぜ既に持っているところは許されて、新たに持とうとしている動きは非難されるのでしょうか。
まあ、こんなことを書くと、私が「非難」されそうですが、私にはこのことが昔からわかりませんでした。
全く理解できないのです。

アメリカやロシアは、自国で持っている核爆弾を全世界の国々に、人口に比例して無料配布したらどうでしょうか。
そうしたら北朝鮮も巨額なお金を使ってまで、核実験はしなくなるかもしれません。
ますます不謹慎だと怒られそうです。
しかし、もしそれが嫌ならば、自国の核爆弾をなくす努力をすべきです。
あるいは核爆弾を一国の管理下におくのではなく、国連的な機関に管理を任すべきです。
いいかえれば、核爆弾を所持することの意味をなくしていけばいいわけです。
その努力をせずに、弱い国家の核実験を非難することにどうも納得できないのです。
核爆弾を持つことの意味を存続させておいて、それへの動きを封ずるというのは、どう考えても私には公正だとは思えません。
公正だないものが非難するということは、その行為が公正であるからだ、などと言うつもりはありませんが、でも少し言いたい気もします。

なんとまあ非常識な議論だといわれそうですが、そもそも人類が核爆弾を持っていることが非常識なのです。
北朝鮮を攻める前に、まずは核爆弾を持っている国家は、自らを恥じなければいけません。
それがあって初めて北朝鮮を責める資格があるはずです。

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