■節子への挽歌610:むすめたちの「孝行」
節子
大型連休も残すところ2日ですが、娘たちのおかげで、節子がいたころを思い出す連休の恒例行事が終わりました。
まずは湯島のオフィスに自動車で行くことです。
5月の連休には、季節の模様替えをしに湯島に自動車で行くのが、私たち夫婦の恒例行事でした。
私は自動車の運転には不向きのようで家族から運転を禁じられてからもう10年以上ですが、節子は運転が好きでした。
それで湯島に行く時は、いつも節子の運転でしたが、混まないうちにと早朝に出かけることが多かったのです。
今日は上の娘が付き合ってくれました。
今日は、自宅から自転車を運び、オフィスからは昔の資料を持ち帰りました。
往復の自動車の中で娘と話しながら、節子のことを思い出していました。
この道を節子と通いだしてから20年以上往復していますが、いろんなところに節子の思い出があります。
節子がいないのが本当に不思議です。
下の娘とは、節子の開墾した節子農園を耕して、野菜の苗を植えました。
といっても、主役は娘で、私は節子のいた時と同じく、手伝い人でしかありません。
私も雑草を刈ったりしましたが、30分もやっていると疲れてしまいます。
また倒れるといけないからいいよと娘から言われてしまいましたが、この風景も節子がいた時と同じです。
私の雑草刈りは、かなりいい加減なので、仕上がりが中途半端なので、娘は気に入らないのです。
修はいい加減だからと、いつも節子は笑っていましたが、まあどうせすぐ雑草は生えてくるのですから、完璧にやることなどあまり意味がありません。
それに雑草だって一生懸命生きているのだからすべて抜くのはよくないなどと勝手な講釈をするために、節子にとっては良き手伝い人ではなかったのです。
節子なら笑ってかわしてくれますが、娘にはそんな会話は受け容れてもらえません。
私は1時間で家に帰りましたが、娘は暗くなるまで畑仕事をし、おかげで荒れ放題だった節子農園は畑らしくなりました。
一時はやめようかと言っていましたが、再開です。
節子がやりだしたことを辞めるのは、私にはできないことなのです。
かといって、私が中心でがんばるわけでもないので、娘たちからの私の評価は極めて低いのです。
お父さんは口だけだから、といわれますが、まあ事実だから仕方がありません。
でも嫌味を言いながらも、結局は私のためにいろいろとやってくれるのです。
夜、2人の娘たちがケーキをつくっています。
これも節子の文化でした。
明日の来客のためにがんばってくれているのです。
節子
あなたがいなくても、わが家の連休の恒例行事は続いています。
家族みんなで出かけたりする行事はなくなってしまいましたが。
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